ep.29 湿地の精霊
「ああ、それで奥様はガラスの蓋を所望されたのですね」
ヨハンは納得したように言った。
「そうです。密閉できる蓋が必要でした。蜜蝋で隙間を封じれば安全に実験できると思いまして」
「安全という言葉が信用できません」
「ヨハン?」
「奥様の安全と一般的な安全の定義には隔たりがございます」
シグルドが口を挟んだ。
「姫君、念の為その実験をする時は私を同席させてください」
「毒消しのお香も焚きますし、浄化の砂や塩も使いますよ?」
「念の為です」
「でも旦那様もお忙しいのでは?」
「書類仕事ならばどこでもできます」
シグルドの意思は固いようだ。
諦めたリディアはヨハンに言った。
「先程の迷いの伝承がある場所を書いたものを見せてくれますか?」
どうぞ、と手渡される。
地図を眺める。
(実はミストラ以外の迷いクエスト、知らないか忘れちゃってるんだよね。名前でピンとくるのがあればいいなー)
「あった!」
急ぎシグルドを見たリディア。
「覚えてました!ダダボボの湿地!」
「なかなか忘れられそうにない名前ですね」
「次に聖女が関わる事件ですが、二週間後です」
リディアはシグルドの目を見た。
「旦那様と私で行けばこの位置なら往復で一週間かからないんじゃないでしょうか」
「聖女の事件の後でもいいのでは?」
「でもこうして場所までわかった以上、なるべく早く行ってあげたいなと」
偽善ですが……とリディアは自嘲した。
「本物の聖女に取って代わろうとしているんです。偽善者くらいでちょうどいい」
シグルドは口の端を上げた。
「帰って来たばかりなのに、本当に姫君は休みませんね」
リディアは苦笑した。
せめて今日はお休みください。料理長がお二人への食事を熱意を込めて作っていたのです。というヨハンの言葉にご飯を無駄にしてはいけないというリディアの日本人精神に響き翌朝出発することになった。
リディアは白い制服姿だがパンツルックだ。
馬に相乗りするにせよなんにせよ、足を見られるのは恥ずかしいからね!作ってもらってました!
二日後、二人はダダボボの湿地へ到着した。
「グラン、ありがとうね」
そう言ってシグルドの愛馬、グランの首筋や立髪を撫でる。いい子!
「姫君、この先の湿地はどのように進めばいいか分かりますか?」
「確か、木道を使わず湿地帯を抜けろというクエストだったと思いますが、沈みそうですよねこれ」
水で分断された地面がゆるゆるだ。
「私の魔法でなんとかなると思います」
え、と見上げるリディア。
「私の魔法は氷です」
シグルドは軽く笑った。
「足場を固めて行きましょう」
そう言った瞬間、リディアの身体がふわりと浮いた。
「わっひゃ!?」
シグルドの腕に座るように抱えられていた。
「前の霧ほどではありませんが視界が悪いので、前回と同じですよ」
「言ってからにしてください……人のことは言えませんが」
「そういうことです。では行きますよ」
リディアには飛んだように感じられた。
足元でカツンと音がなるとまた飛んだ。
時にはカッカッと音が鳴りスピードが上がったりした。
シグルドは巧みに木道を避けながら着地地点を凍らせ進んでいく。霧のせいもありどこをどう進んでるのかわからない。
シグルドが霧の中でも足を止めた。
「……姫君、あそこかもしれません」
霧で霞みながらも見れたのはら枯れた巨木の根とつた植物に覆われたものだった。
近付くとそれだけじゃないのがわかる。
入り口をまるでこじ開けるようにナタなどを使った形跡があった。
「……これは」
植物だが乱雑に切られた跡を痛々しく感じた。
「入りましょう姫君」
中に入ると、やはり――
毒で穢された泉があった。
「旦那様は毒霧装置がないか確認してくださいませ!」
そう言いながら、リディアは浄化の砂を瓶から泉に落とす。毒消しの実も投げ入れた。
「姫君。ありました。装置として動いています」
報告すると平たい文字石を手に取る。毒が流れるのが止まったのがわかった。
泉が浄化されていく。
泉が輝き光が集まる。
人に似ながら違うものにかたどられていく――
楽器のような声が聞こえた。
〝やぁやぁ たんめいのものよ。よくぞわれをたすけた〟
〝ほうびをやろう〟
リディアはこれまでの経験から精霊は多くを語らないと悟っていた。
光球が胸元に近づいてくる。
「あの!あなたの姉妹はどこにいますか?」
光球が虹色の石となる。
精霊は消えながら一言
〝まんなか〟
と言って消えた。
帰りの道中〝まんなか〟の意味を考えたが、地図の中央? 国の中央?王都?絞りきれない。
残る虹の石は二個。今回は東にある湿地だった。迷いの森と迷いの霧は北だ。ゲーム的に考えるなら一個が〝まんなか〟にあるなら残りは南か西にあるのではないだろうか。迷いの伝承があるところをしらみつぶしにしなければならないかもしれない。同時に王都でも薬局の開設。できるかな?
帰ると、侍女二人に心配させていた。他の人はシグルド様と奥様だし……ともう慣れた反応だった。
「フィオナ、カティア、心配かけてごめんなさい」
(そうだ!)
「カティア、私は今探し物をしていてそれが、まんなかにあると言われたのだけど、どこを指しているか分かる?」
地図の中央か、国の中央、王都、などを考えたのだけれどとリディアは続けた。
カティアは少し考え込んだ。
「どれも違うと思います。その探し物をもう一つ見つけたら意味がわかりそうです」
(先に他の迷いどころをクリアしなきゃいけないの?)
「ヨハン、何かわかりますか?」
いつも通り、三人はシグルドの執務室に集まった。
「今のところわかりませんが頭の隅に入れておきましょう」
「姫君、焦りは禁物です。まずは次の聖女の関わる事件について考えましょう」
「シグルド様の言うとおりかと。奥様、改めて確認させていただきます。八日後に行われる行事、魔獣狩猟祭にて魔獣の暴走が起こりそれを聖女が鎮めるというものでしたね」
「その通りです」
シグルドが少し息を吐いた。
「単純な事件にみえますがどうして魔獣が暴走したのかわからないのでしたね」
「物語では言及されてませんでした」
《聖花のレガリア》ではバックボーンなどは語られていなかった。
「姫君、今回は本物の聖女に活躍の場を譲ってもいいかもしれません」
「旦那様?何故です?」
「危険だからです。貴女を危険な目にあわせたくない」
リディアは目を見開いた。心臓の音が大きくなる。
「私は今王都にいる以上参加が義務付けられていますし、優勝も期待されているでしょう。最下位でも構いませんが、貴女を側で守れない状態です」
「……」
「護衛をつけたとしても心配です。彼等の腕を侮っているわけでもなく、それほど暴走した魔獣は危険なのです。邸の中で私の帰りを待っていてくれませんか?」
「旦那様……」
リディアは呟くような小さい声で言った。
「でも、それでは私だって旦那様を守れません」
静まり返った執務室で、その言葉だけが落ちた。
シグルドは少しだけ目を見開く。
「姫君」
「私ばかり守られるのは嫌です。実際守られてばかりですが」
リディアは視線を落とした。
「姫君……」
「だから」
顔を上げる。
「旦那様を一人で行かせたくありません」
シグルドが息を呑んだ。
「せめて、旦那様が危険な目にあった時、駆けつけれる場所にいたいのです」
ヨハンが静かに目を伏せる。
執務室に沈黙が落ちた。
先に口を開いたのはシグルドだった。
「……困りましたね」
「旦那様?」
「姫君はご自分がどれほど強情かご存知ない」
シグルドは小さくため息をついた。
「わかりました。ただし約束してください。危険だと思ったら逃げることを」
「約束します。ですが旦那様もです」
「私が危険を感じることはないでしょう」
「それは約束じゃありません」
思わず笑いが漏れた。




