迷いの霧
シグルドは慎重に持ち帰ったその稲を枯らさないようにと配下に命じた。
「多分ですが、魔獣の生息地に生えていた植物なんじゃないでしょうか。おそらく魔獣に種子が付いてきたんだとお思います」
「納得できる話です」
リディアの言葉にシグルドは頷いた。リディアは続けて言った。
「ここより北にある魔獣の生息地なら、より北に向いた植物が他にもあるかもしれません。確認したいですが流石に危険すぎますよね」
「姫君をそんな地に連れて行く気はありません」
「でももう一度城壁外には行ってみたいです。今日は稲を持ち帰るだけになってしまいましたが、きっと他にもあると思います」
「姫君は貪欲でいらっしゃる」
シグルドは苦笑する。
「私はきっと欲張りなのです」
もしかしたら前世の、なにか、を取り戻したいのかもしれない。
できることはやってみたいという気持ちが強かった。
「ではもう一度だけ、行ってみましょう」
翌日、また城壁外の地を踏むリディアとシグルド。
リディアはいつもの斜め掛けのバッグの他にも大きめの鞄を背負い、シグルドも肩から鞄を下げていた。
「姫君、これは期待しすぎではないでしょうか」
「これでも少ないくらいです。荷車を使いたいくらいですが我慢しました」
シグルドはくつくつと笑う。
では始めますと宣言しリディアは言葉を連ねる。
『鑑定 採取 可食植物 範囲指定城壁外』
発現したウィンドウに光がいくつも点滅する。
「これは……期待できます。行きましょう、旦那様!」
十種類ほどの植物――木の実、根菜、きのこ、葉物、豆などを収穫した。
リディアは充足感を感じていた。
(楽しー!前世の苺狩りとかしたらこんな感じなのかなぁ。苺もないかな?冬に収穫できる苺!)
ウィンドウの光と辺りを見回す作業を続けていた。
その時、楽器のような音が聞こえた。
「旦那様、今、楽器のような音が」
シグルドはすでに剣を構えていた。
「聞こえました。姫君、私の側に」
楽器を思わせる音は続いた。
これは楽器ではない……声?
それも助けを求めるような。
リディアには楽器のような声に覚えがあった。
「泉の精霊……!」
あたりを見回すが泉はなく声もどこからかきているのかわからなかった。
「旦那様!泉は近くにありますか!?」
「いや聞いたことはない」
無闇に見回すがやはり見つけられなかった。
(昨日は聞こえなかった。見えないけれど場所が今近い?それともなんらかの条件があって聞こえてる?すぐに聞こえなくなるかもしれない?)
様々な可能性を考え焦りが募った。
(鑑定が使えればいいのに!)
しかし《精霊》は採取できるものではない。
「あっ」
あれならば鑑定できる。
『鑑定 採取 虹色の石 方向指定』
矢印が二つウィンドウに現れた。矢印の一つはこの場、リディアの斜め掛け鞄を指しており、そしてもう一つの矢印が北を指していた。
鞄の中にあるのは本城へ向かう道中、ミストラの森で得た虹色の石。つまり行くべきは北であった。
「旦那様」
「背負ってる鞄はここに置いていってください。私もそうします」
迷いなくシグルドは言った。
「行きましょう」
「はい!」
二人は足早に、だが慎重に北に向かって進んでいった。
泉は見えぬまま足を進めた。
ふと、急に目の前が白い霧で覆われた。
先が一mほども見えない濃霧だ。
「姫君、失礼します」
「えっ、ひゃ!」
リディアの目線が急に高くなった。シグルドに片手で抱え上げられたのだ。
シグルドは片手が使えなくなることよりリディアとこの不可解な濃霧の中、逸れることを恐れた。
本来なら今すぐ引き返すべきである。
だがシグルドはそれはリディアの心の傷となって残るだろうと判断した。
楽器のような声が、言葉もなさず助けを求めていた。
「姫君、方角を指示してください」
「はい、このまま真っ直ぐ、! ここで左方向です」
方向が変わるのはおかしいように思われた。
「この霧は迷いの森と同じ性質のものかもしれません」
順番通りに進めなければ辿り着けない。
右、左、真っ直ぐ、ウィンドウの指示通りに進む。
魔獣が急に現れてもおかしくない。終わりがないような濃霧の中での緊張感。
急に視界が開けた。
泉がそこにあった。
泉はやはり濁っていた。
「旦那様、降ろしてくださいませ」
シグルドは片膝をつき、そっとリディアを降ろした。
リディアは泉に駆け寄り、急ぎ鞄から浄化の砂と毒消しの実を出し泉の中に落としていく。
砂と実を落としていくところを中心に泉の濁りが消えていく。
リディアは安心した。
「姫君、あそこを」
シグルドが指さした。
不自然に泉の浄化が遅れていた箇所があった。
「見てきます。姫君は浄化を進めていてください」
泉のきわ、泉に一歩足を踏み入れた場所にそれはあった。
シグルドが泉に手を入れ拾う。
するとその場所も綺麗に浄化された。
泉が輝き出した。光が集まり、人に似た姿に形作られていく。
〝ありがとう ありがとう〟
泉の精霊の楽器のような声が響いた。
〝いたくてこわかった これ あげる〟
前に見た泉の精霊より幼げな声と話し方だった。
リディアの手元に光の球が届き、それは虹色の石となった。
そして精霊は姿を消した。
「姫君こちらに」
リディアはシグルドの元に行く。
「これは……!」
シグルドの手にあるもの、それがあった場所に置いてあるものに言葉を失う。
手のひらサイズの平たい石。起動、発動と彫られた文字。そして六つの魔石があった。
霧は晴れなかったので、戻るのにもシグルドに抱えられ、方向指定をヴァルグ本城にある白魔石にし脱出した。
置いてきた鞄を拾い、本城に戻った。
泉の精霊を助けることができたのに、気持ちは重かった。
「旦那様……」
シグルドの部屋で二人きりとなる。
「姫君……わかっています。わかっていますが……」
シグルドは短く溜め息をついた。
「裏切り者がいるとは……少々堪えますね」
ヴァルグ本城の北側は魔獣領域に接している。そのため本城と外壁の出入り口は厳しく管理され、本城を経ずに城壁外へ出ることはほぼ不可能だった。
「本城壁外の外縁部から来た者かもしれません。海からだって来れるかもしれません……!」
リディアはそう言いつつも難しいことだとわかっていた。
北海は魔獣の海として知られている。大型船であっても襲われることがあり、沿岸航路ですら危うい。
「そもそもあの石を置いたことが裏切りにあたるかもわかりません。私たちとは違う考えを持っているだけかも」
精霊の泉を汚すことが?フェルン村を毒霧で覆うことが、違う考えをもつ、それだけのことと済ませるのか?
「姫君の言う可能性にも、言うことにも一理あります」
シグルドは静かに言った。
「ただ、考えが著しく違う味方も恐ろしい」
なんにせよ警戒はせねばならない。シグルドはそう締め括った。
リディアは実験室で収穫した植物を鑑定していた。
何かしていないと落ち着かなかった。




