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頑張っていたのは俺じゃない -楽をしたい領主代行の異世界領地経営-  作者: oldenhaldt
楽をするために

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9/22

溢れ出てしまった二十一世紀日本人

 今にも雪が降り出しそうな黒い空の下、ドゥニン村へ向かう支線水路の取水口が開けられた。


 幹線水路から水が入り込み、細い流れが少しずつ幅を広げていく。


「来たぞ」


 誰かが声を上げた。


 工事に携わった者たちが、水を追うように歩き出す。


 一年以上かかった用水路工事。その最後に残った支線だ。皆、期待を抑えきれない。


 俺もその列に混ざった。


 この世界に来て直面した最初の大仕事だ。


 俺が関わったのは最後の短い期間だけ。それでも、完成となれば他人事ではない。



 幅一メートルほどの支線には、途中に何本か橋が架かっていた。太い木を両岸に渡し、その上に板を並べただけで、橋脚はない。


 これだけ短ければ、橋そのものより両端の補強が大事だ。荷車が通るたびに岸が崩れては意味がない。


 橋脚がない橋だったら、つくるのは簡単なんだけどな。


 ムル川に架ける橋を思い出す。



 水は麦畑の脇を巡り、やがて幹線水路へ戻った。


「通ったぞ!」


 歓声が上がった。


 男たちが抱き合い、肩を叩き合う。泣いている老人までいた。


 やったぜ!


 元のヨアヒムにはシュヴァルツ大勲章。皆には小勲章をあげたい。


 来年からは、種を播く前の畑へこの水を引き込む。ムル川から流れ込む泥が、畑を肥やしてくれるはずだ。


 この水が、来年の麦になる。


 そう思うと、俺まで嬉しくなった。


 ◇◇◇


 その夜は、ご馳走と酒が持ち寄られ、村中で通水を祝った。


 シュヴァルツ男爵家からも金一封を出す。


 借金持ちとしては一枚でも多く銅貨を握っていたいのだが、ゼバスティアンとコンラートの意見は一致していた。


「若君、このような金を惜しんではなりません」


「ゼバスティアンにも同じことを言われたよ」


「ならば間違いありませんな」


 頼れる二人が揃って言うなら、それはきっと正しい。


 そこは素直に従った。


 笑い声と酒杯の音が夜まで続き、一年以上にわたった用水路工事は、ようやく終わった。


 ◇◇◇


 翌朝、仮住まいを引き払い、領都へ戻る。


 途中で俺はコンラートを伴い、フェルン村へ寄ることにした。エーファに木彫りの髪留めを見てもらうためだ。どうしても思うように加工できないところがある。


 馬を並べていると、コンラートがこちらを見た。


「若君。ひとつ確認してもよろしいですかな」


「何?」


「エーファ殿に懸想されているわけではありませんな?相手は子持ちの人妻ですぞ」


「なんでそうなる!?」


「若君も木石ではないですからな。念のためです」


「違うよ。エーファは頼れる年上の人だ。今日は木の加工を教えてもらいたいだけ」


「それならば結構です」


 不思議なことに、転生前の自分から見れば年下であろうエーファが、かなり年上のお姉さんに見える。


 逆にハンスなんかは完全に同年代に見える。どうも俺自身の年齢感覚まで、この身体に引っ張られているらしい。



 フェルン村へ着くと、エーファの一家は家ではなく、教会脇の墓地にいた。


「エーファ?どうしたんだ?」


 何気なく声をかけてから気づいた。


 身重だった腹がへこんでいる。


 それなのに、赤子がいない。


 夫のヤコブも子どもたちも疲れきった顔をしていた。エーファと何人かの子どもの目元には、泣きはらした跡があった。


 気づけたはずだった。



「……すまない」


「今朝、亡くなりました」


 生まれたのは七日前だったそうだ。


「三日目くらいから元気がなくなって、乳もあまり飲まなくなりました。臍の辺りが腫れてきて……今日の明け方に」


「……無神経だった。改めてお詫びする」


 俺は頭を下げた。


「いいえ。お顔をお上げください。赤ん坊には、あることですから」


 エーファは墓を見た。


「この子で二人目です」


 二人。


 昔は乳幼児の死亡率が高かった。


 前世で知識として聞いたことはある。


 この世界へ来てから、俺は村で大勢の子どもを見た。元気に走り回る姿ばかり目にして、それが当たり前だと思っていた。


 違った。


 子どもが多いからといって、子どもが死なない世界ではない。


 たくさん生まれて、たくさん死んでいる。


 昨日、人を食わせる水が通ったと喜んでいた頃、この子はもう乳もろくに飲めずにいた。


 俺は何も知らなかった。



 俺とコンラートは墓の下に眠る赤子に祈った。


 髪留めの話はできず、そのまま村を辞去した。



 馬を進めても、臍が腫れた話が引っかかっていた。


 病名も、死因も、俺にはわからない。


 それでも思い当たるものはある。



「……ばい菌か」


「何ですかな?」


「こっちの話」


 感染を減らすなら、まず煮沸。それから手洗い。


 それぐらいなら俺にもわかる。それぐらいしかわからないけれど。


「コンラート。石鹸ってある?」


「あります。衣服を洗うときに使います」


 あるのか。


 そう言えば転生してから、石鹸で手を洗ったことなど一度もない。


 俺の衛生観念はさておき、今からできることはある。


 全部は無理でも、減らせる死は減らしたい。そう思ってしまった。


 ◇◇◇


 領都の屋敷へ戻ると、父上とヨハンナへの挨拶もそこそこにゼバスティアンを捕まえた。


「この領地に医者はいる?」


「傷や腫れ物を診る者なら、領都に一人おります。理髪外科医です」


「出産もその者が取り上げるのか?」


「いえ。出産は産婆が行います」


「なら、その外科医と産婆を集めて欲しい」


 翌日、屋敷の一室に外科医と産婆が一人ずつ集まった。領都の産婆はこの一人だけだそうだ。


 ゼバスティアンとミヒャエルにも同席してもらう。


 二人にも知っておいてもらいたい。こんなことを言えば、また妙に思われる。


 それでも、あの墓を思い出すと、何も言わずに済ませる気にはなれなかった。


 大きく息を吸った。


「俺は領主代行として命じる。傷口の手当てや臍の緒を切るのに使う刃物や布は、使う前に煮沸する。傷口を洗う水は、一度沸かして冷ましたものを使う。それから、出産や傷の手当ての前には石鹸で手を洗って欲しい。臍の緒を切ったあとは、なるべく汚れた手や布で触れない」


 外科医と産婆が顔を見合わせた。


 ゼバスティアンの眉も動き、ミヒャエルは困惑した様子で俺を見ている。


「ヨアヒム様。手なら、その都度洗っております」


「石鹸を使って欲しいんだ」


「ですが、何のために?」


 説明できるほどの知識はない。


「生まれてすぐ死ぬ赤子や、傷から病になる人を減らせるかもしれない」


 外科医が首を振った。


「刃物や布を毎回煮れば薪が要ります。湯を沸かして冷ますにも時間がかかります」


「石鹸も安くはありません」


「必要な石鹸と薪は男爵家で出す。一年だけ、俺の言う通りに試して欲しい」


「ヨアヒム様」


 今度はゼバスティアンが止めた。


「その資金をどこから出されるおつもりですか」


 ミヒャエルも頷く。


 頼れる二人が揃って言うなら、それはきっと正しい。



 でもその言葉を振り切る。


「まず、ここ一年で、あなたが取り上げた赤子の数を教えてくれ。そのうち、ひと月も経たずに亡くなった子が何人いたかも調べたい」


 産婆が考え込んだあと、頷いた。


「これから一年、同じように数えてくれ。それでも何も変わらなければ、もう要求しない。変わるようであれば他の村にも広める」


 今度は外科医を見る。


「あなたもだ。傷を縫った後、傷口が膿んだり、患者が熱を出したりすることが減るか、前より治りが良くなるか。気にかけて欲しい」


「……命令には服します」



 前世の常識が、この世界でも同じように通じる保証はない。


 俺はゼバスティアンとミヒャエルに頭を下げた。


「頼む。資金はなんとか用意してくれ」


 ◇◇◇


 その夜、俺は一人で頭を抱えた。


 ゼバスティアンもミヒャエルも、俺がただ記憶を失っただけではないと疑っただろう。


 記憶を失ったはずの人間が、誰も聞いたことのないような命令を外科医と産婆に出した。


 自分で考えても怪しい。やってしまった感が拭えない。


 でも、仕方ない。


 まず数えて、比べる。それで死ぬ子が減るなら、続ければいい。


 今の俺にできることをやる。それしかないじゃないか。


お読みいただきありがとうございます。

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