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頑張っていたのは俺じゃない -楽をしたい領主代行の異世界領地経営-  作者: oldenhaldt
一歩ずつ

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10/22

減らしたいもの、増やしたいもの

 領都の屋敷へ戻って三日目。


 仮住まいでの生活を思えば、ここは天国だった。


 まず、風が吹き込んでこない。夜中に布を頭まで被る必要がない。


 寝台もちゃんとしている。朝起きても身体のあちこちが痛くない。


 しかも朝食には、小麦のパンが出る。


 俺のQOLは、屋敷に帰ってきただけで爆上がりしていた。



 そして何より――。


「おはようございます、ヨアヒム様」


「お、おはよう」


 愛しのヨハンナちゃんがいる。


 同じ屋根の下に暮らしている。


 食事ともなれば同じ食卓について、一緒に飯を食う。


 前世では女性と付き合ったことすらなかった俺が、美人の奥さんと毎食食事を共にしているのである。


 結婚ってすごい。


 ただし。


「…………」


「…………」


 会話が続かない。


 夫婦の朝の会話、終了。


 いや、終了するな。


 何か話せ、俺。


 そうは思うが、何を話せばいいのかわからない。


 今日は天気がいいですね。


 そうですね。


 終わり。


 俺の対女性会話能力は、前世から何一つ成長していなかった。


 そうだ。


 木彫りの髪留め。


 あれを早く完成させよう。


 プレゼントさえできれば、ヨハンナちゃんもきっと心を開いてくれる。


 そこから会話が増える。


 会話が増えれば距離も縮まる。


 完璧だ。嫌な予感センサーも反応していない。これはいける!


 朝食を終えると、ヨハンナやハンスたちは席を立った。


 残ったのは、俺とゼバスティアン、それにミヒャエルだった。



「昨日の話?」


「はい」


 やっぱりか。


「決められたことについて、今さら異を唱えるつもりはございません」


 ゼバスティアンが言った。


「ですが、外科医や産婆が使う薪と石鹸の費用は、どこから出されますか?」


「あ」


 資金繰りについて二人に頼みっぱなしでは駄目だったらしい。


「橋の建造も、この後に控えております」


 ミヒャエルが続けた。


 もちろん忘れてなんかいない。


 エンゲル男爵領との境を流れるムル川には、橋を架ける約束が残っている。


 荷を積んだ馬車が通れる橋だ。用水路工事と同様、こちらも大工事になるだろう。


「そういえば、記憶を失う前の俺は、橋を造る費用をどうするつもりだったんだ?」


「細かな予算までは、まだ決められておりませんでした」


 ミヒャエルが答える。


「ただ、用水路と同じように進めるおつもりだったのではないかと」


「同じように?」


「領民には、領主のために一定期間働く労役の義務がございます」


 ゼバスティアンが説明を引き継いだ。


「用水路工事も、初めはその労役として人を集めました。しかし定められた日数を超えましたので、超過した分には割増の賃金を支払っております」


「資材は?」


「領内で用意できるものは領内から出しました。足りない道具は購入し、工事中に壊れたものも領主持ちで補っております」


「じゃあ、橋も資材にはそれほど金がかからない?」


「木材は領内にございますので、さほどかからないかと」

「ただし、橋を架ける技術を持つ技師たちには報酬が必要です」

「工事が長引いて労役の日数を超えれば、領民への賃金も必要になります」


「必要な道具については、技師に確認するほかありません」


 ミヒャエルが付け加えた。


「つまり、木と人手を出せても、金がかからないわけじゃない、と」


「左様でございます」


 道具代がわからないのは怖いが、重機が必要とはならないはずだ。それなら何とかなるかもしれない。


 ――この見込みが甘かったことを、俺は後になって知る。



「今すぐ金がなくなるわけじゃないよね?」


「ただちに立ち行かなくなるほどではございません」


「ですが、新たな支出を増やし続けてよい状況ではありません」


 ミヒャエルの言葉に、俺は唸った。


 用水路を造った成果が出るとしても、早くて一年以上先だ。


 内職もまだ商売になっていない。


 すぐには収入を増やせない。


 なら、出ていく金を減らすしかない。


「兵は減らせない?」


「それはお控えになるべきかと」


 ゼバスティアンの返事は早かった。


「賊への対処や領内の警備に加え、有事の初動を担う者が必要です。兵を減らせば、いざという時の対応が遅れます」


「却下か」


 では次。


「官僚って全部で何人いる?」


「五人です」


 ミヒャエルが答えた。


「一人くらい減らせ――」


 ミヒャエルに睨まれた。


 そして嫌な予感センサーがけたたましく反応している。


「官僚は……」


「五人でも手が足りておりません」


「五人でいこう」


「承知いたしました」


 官僚削減案、速攻廃案。官僚の横暴を許すな!


「じゃあ、屋敷の使用人は?」


 ゼバスティアンは少し考えてから答えた。


「何人かは減らせるかもしれません。ただ、現在の家政を取り仕切っているのは奥方様です。お呼びして確認するのがよろしいでしょう」


「ヨハンナが?」


 初耳だった。


 もともと屋敷の家政はゼバスティアンが取り仕切っていたらしい。


 だが、父上が病に伏せ、俺が領主代行を担うようになると、ゼバスティアンは政務を補佐する時間が増えた。今では執事というより、俺の専属秘書に近い働き方をしている。


 代わって家政を引き継いだのが当時新婚ホヤホヤのヨハンナだった。


 今や十八歳で、屋敷の人間と金の流れを把握している。


 一方の俺は、自分の家に使用人が何人いるのかさえ知らない。


 ……夫として以前に、何か負けてないか?



 ほどなくして、ヨハンナがやってきた。


「使用人を減らされるのですか?」


「少しでも支出を減らせないかと思って」


 ゼバスティアンが、昨日決めた外科医と産婆への指示――湯の用意や、石鹸を使った手洗いなどについて簡潔に説明してくれた。


「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」


「もちろん」


「なぜ、外科医や産婆にそのようなことを命じられたのですか?」


「ええと……」


 どう説明すればいい。


 細菌がいるから。


 そう言っても、俺自身が細菌について詳しく説明できるわけではない。


「理由を、うまく説明できるわけじゃないんだ。ただ……」


 言葉を探す。


「生まれてきた赤ん坊が、すぐ死んでしまうことを減らしたい」


 ヨハンナは何も言わなかった。


「手とか、道具とか、使う布とか。そういうものをきれいにしておけば、死ぬ子が減るんじゃないかと思ってる。正しいかどうかは俺にもわからない。だから一年続けて、数えて、前と比べたい」


 結局、昨日に続いて、言葉を濁すことしかできなかった。


 それでも、もう一つだけ伝えておく。


「同じ理由で、できれば父上が飲む水も、一度沸かしてから冷ましたものにして欲しい」


「男爵様のお水も、ですか?」


「うん。意味があると断言はできない。でも、できるならそうして欲しい」


 ヨハンナは俺の顔をしばらく見つめた。


「ヨアヒム様」


「はい」


「記憶を取り戻されたのですか?」



「……いや」


 俺は首を横に振った。


「戻ってない」


 ヨハンナの視線が俺からゼバスティアンへ移る。


 ゼバスティアンも、ミヒャエルも答えない。


 当然だ。


 記憶を失ってから急にポンコツになった人が、今度は外科医や産婆に妙な指示を出している。


 俺が三人の立場でも疑う。


 俺は口を閉じた。


 誰とも目を合わせず、ただこの気まずい時間が過ぎるのを待った。



 やがて、ヨハンナが口を開いた。


「使用人についてですが、すぐにでなくてよければ、何人かは減らせます」


「本当?」


「はい。嫁入りや契約の期限で辞める者はおります。その時に新しい者を雇わなければ、少しずつ人数を減らせます」


 なるほど。


 今いる人間をいきなり追い出す必要はない。


「ただ、お願いがございます」


「何?」


「ゲルトルートとバルバラ、それからドロテア。この三人は、本人たちが辞めたいと言うまでは、屋敷に置いていただけないでしょうか」


「どうして?」


「三人とも長くシュヴァルツ家に仕えております。年齢も高く、今から新しい働き口を探すのは難しいでしょう」


 一斉に人を追い出すのではなく、穏便に人を減らす。一方で行き場を失いそうな三人のことも気に掛けている。


 ヨハンナは、しっかりとこの屋敷の女主人をやっているんだ。


 シュヴァルツ中勲章……いや、ヨハンナちゃん補正で大勲章を授与したい。


 俺はゼバスティアンとミヒャエルを見る。


「二人も問題ない?」


「ございません」


「私も異論はありません」


「じゃあ、それでいこう。辞める人が出ても、必要がなければ補充しない。ただ、その三人は本人が望む限り残す」


「ありがとうございます、ヨアヒム様」


 ヨハンナが頭を下げた。


「こちらこそ、ありがとう、ヨハンナ」


 顔を上げたヨハンナの表情に、わずかな驚きが浮かんでいた。


 俺、何か変なこと言った?



 ともかく今回は、使用人をいきなり追い出さず、辞める者の補充を止めることで支出を減らすことになった。


 だが、削るだけでは限界がある。


 父上の治療。

 用水路工事の借金。

 橋。

 外科医と産婆への支援。


 暮らしを良くしようと思えば、これから必要な金は、むしろ増える。


 やっぱり収入を増やさないと駄目だ。


 そのためにも橋は完成させなければならないし、内職を何とか形にしなければならない。



 そしてヨハンナちゃんとのいちゃいちゃ計画の推進だ。


 ちなみにこちらの計画の進捗率もほぼゼロである。


 同じ屋根の下で暮らしていて、手を伸ばすことすらできていない。


 でも今日だって、仕事の話だけどちゃんとヨハンナと話せた。


 これは少し前進したと言っていいんじゃないだろうか。


 なんか明るい未来が待っている気がしてきた。


お読みいただきありがとうございます。

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