発覚
労働は嫌いだ。
朝から晩まで働かされるブラック労働はもっと嫌いだ。
そして社畜生活を脱し、男爵家の嫡男へと華麗に異世界転生したはずの俺は、なぜか相も変わらずブラック労働に勤しんでいた。
うう、漫画が読みたい、ゲームもしたい、美味しいご飯を食べに行きたい。
しかし現実は非情だった。
朝起きれば鍛錬、午前は持ち込まれる裁判などの重要案件を捌き、午後になれば用水路の工事現場に赴いて現場監督見習い補助業務。合間には勉強まで待っている。
転生してからというもの、俺は毎日のように思っていた。
休みたい。
切実に。
そしてその日、ついに休日が訪れた。
「ようやく休みだ……」
朝、俺が万感の思いを込めて呟くと、ハンスが妙な顔をした。
「若がそこまで休日を喜ばれるとは珍しいですね」
「そうなのか?」
「はい」
嫌な予感がした。
「ちなみに、工事に出ている者たちはどれくらい休んでいる?」
「六日に一度で、休みが重ならないよう分けて休んでおります」
「俺は?」
「若が丸一日政務をお休みになるのは、ひと月に一度ほどです」
「……月一?」
「はい」
俺は天を仰いだ。
元のヨアヒム。
そうか……。お前が諸悪の根源だったのか……。
限度を知らない仕事中毒者め!
あーあ、こんな話、聞かなきゃ良かった。
聞く前より、疲れた気がする。
◇◇◇
休日とはいえ、丸一日寝て過ごせるわけではなかった。
俺はゼバスティアン、ハンス、コンラートと共に馬を走らせ、用水路工事の仮住まいからシュヴァルツ家の屋敷へ向かっていた。
病床の父、フリードリヒ男爵を見舞うためだ。
道中、気になることがあった。
三人とも、やけに口数が少ない。
普段ならハンスは何かと話しかけてくるし、ゼバスティアンも必要なことがあれば遠慮なく言う。コンラートはもともと無駄口の多い男ではないが、それにしても今日は三人揃って様子がおかしい。
「何かあるのか?」
「いえ」
ハンスが答えた。
「特にはありませんな」
コンラートが続いた。
「屋敷へ着いてから、お話ししたいことがございます」
最後にゼバスティアン。
絶対に何かある。
しかし、今は誰も俺に説明する気がないらしい。
釈然としないまま馬を進め、昼前には屋敷へ到着した。
馬を預け、俺は玄関へ向かう。
「まず父上を見舞いたい」
そう言いながら屋敷に入ったところで、一人の女性がこちらへ歩いてきた。
俺は足を止めた。
長い銀髪。
すらりとした姿に、整った顔立ち。
美人だった。
ものすごく美人だった。
誰、この美人。
「ヨアヒム様」
しかも俺の名前を知っている。
女性は俺の前まで来ると、少し戸惑ったような表情を見せた。
俺がぽかんと見つめているせいだろう。
背後で人の動く気配がした。
振り返る。
三人とも、俺と女性を見比べていた。
ハンスの表情が奇妙に歪んでいた。
「若」
「なんだ」
「こちらの女性がどなたか、ご存じですか?」
「…………」
俺は女性を見る。
銀髪の女性も俺を見返している。
再びハンスを見る。
「…………」
「……ヨアヒム様?」
わからない。
まったくわからない。
でも、ここでそれを言ったら何か大変なことになる気がする。
「……場所を変えようか」
俺は逃げた。
◇◇◇
俺たち五人は別室へ移動した。
扉が閉まる。
そして、ハンスが告げた。
「こちらはヨハンナ・フォン・シュヴァルツ様。若の奥方です」
「…………妻?」
「はい」
ヨハンナへ視線を戻す。
向こうも戸惑いを隠せない様子で、俺を見返していた。
「こんな美人が、俺の妻……?」
思わず口から出た。
心の中では両拳を握っていた。
やったぞ。
誰だ。
この婚姻の手筈を整えた奴は誰だ。
今すぐ名乗り出ろ。
シュヴァルツ大勲章を与えたい。
ところが、ヨハンナは目を見開いた。
それから、俺ではなくゼバスティアンたちを見た。
「……本当に、ヨアヒム様なのですか?」
「え?」
「ヨアヒム様は、私をそのように褒める方ではありませんでした」
ゼバスティアン。
ハンス。
コンラート。
彼らの視線が、一斉に俺へ向く。
まずい。
ものすごくまずい。
思い返せば、兆候はいくらでもあった。
工事のやり方を知らなかった。
測量器具の扱いもわからなかった。
自分が決めたはずのことを、何度も他人に訊ねた。
それでも三人は、疲れているのだろう、体調を崩した影響だろうと考えてくれていたのかもしれない。
だが。
妻の顔すら知らない。
これはさすがに誤魔化せない。
「……話しておくことがある」
俺は腹を括った。
もちろん、転生したとは言わない。
そんなことを言ったところで、信じてもらえるとは思えない。
「俺は……以前のことを、ほとんど覚えていない」
四人の顔から表情が消えた。
「記憶を失っている」
最初に口を開いたのはハンスだった。
「やっぱりですか」
「やっぱり?」
「おかしいとは思っていたんです。最初は疲れていると考えていましたが、若がご自分で決めた工事の段取りを俺に訊ねたあたりから、さすがにそれだけではないんじゃないかと」
ゼバスティアンが続ける。
「私どもも、何かが起きているのではないかと心配しておりました。先ほど、屋敷へ着いてからお話ししたいと申し上げたのも、そのことです。ただ、まさか奥方様のお顔までおわかりにならないとは……」
「私は剣の稽古で気づきましたな」
コンラートが腕を組んだ。
「近頃は、剣筋に迷いがありましたな」
三人とも気づいていたらしい。
俺の必死の演技は何だったんだ。
……いや、そりゃバレるよな。
「いつからなのです?」
ヨハンナが訊ねた。
責める口調ではなかった。
「何があったのですか?落馬をされたとか、頭を打たれたとか……」
「いや、それが俺にもわからない。ある朝、目が覚めたら……こうなっていた」
ここは正直に話した。
ヨハンナは何も言わなかった。
俺を見つめたまま、指先だけが衣服をつまんでいる。
「……私のことも、ですか」
「ああ。すまない」
「初めてお会いした日のことも?婚礼の式のことも?」
「……何も」
首を振り答えると、ヨハンナは目を伏せた。
何も知らないままこの世界に放り出されて、辛いと思っていた。
だが、何も覚えていない俺より、忘れられた側の方がよほど堪えるのかもしれない。
衣服を強く握りしめたヨハンナが顔を上げた。
「……今は、何をすればよいのでしょう」
その問いに、しばらく誰も答えなかった。
やがてゼバスティアンが言う。
「ヨアヒム様がヨアヒム様であることに変わりはありません」
心臓が跳ねた。
それは俺にとって、非常に反応に困る言葉だった。
「そして、シュヴァルツ家を継ぐ男子はヨアヒム様しかおられません。旦那様は病床にあり、領地の政務を担える状態ではない」
ハンスとコンラートが頷く。
「だったら、俺たちで若を支えるしかないでしょう」
「そうなるな」
ヨハンナも俺を見て、小さく頷いた。
「私も……お手伝いいたします」
ありがたい。
今まで一人で誤魔化してきた俺の胸の内に、皆の言葉が染み入った。
「ただし」
ゼバスティアンが全員を見回した。
「この件は、当面この場にいる者と、特に信用できる者だけの話といたしましょう。領主代行が記憶を失ったと知られて、喜ぶ者がいないとは限りません」
俺は思わず背筋を伸ばした。
「また、これまで通りお一人で政務を執られるわけには参りません」
どういうことだ?
「当面、重要な決裁については事前に私どもへご相談いただくか、私どもの誰かが同席することにいたしましょう。それと、信頼の置ける医師にも一度診ていただくべきかと存じます」
たしかに。これは単に俺が困るだけの話ではない。
俺は男爵家の跡取りで、今は父に代わって領地を預かる立場にいる。
「父上には?」
「今はお伝えしない方がよろしいでしょう。余計な心労をお掛けします」
反対する者はいなかった。
「では、まずは旦那様へのお見舞いといたしましょう」
ゼバスティアンが言った。
「今日屋敷へ戻ったのに、お顔を見せなければ不審に思われます」
こうして俺は、「自分の父親との初対面」というなかなか経験しがたい出来事へと向かうことになった。
◇◇◇
父――フリードリヒ・フォン・シュヴァルツは、寝台に横たわっていた。
父については、これまでに何度か話を聞いていた。
だが、実際に顔を見るのは初めてだ。
以前は体格のいい男だったのだろう。
今は頬がこけ、声にも力がない。
「ヨアヒム……戻ったか」
父は震える手を俺の頬へ伸ばし、撫でた。
「はい、父上」
父と呼んでいるのに、俺にはこの人との思い出が一つもない。
「工事はどうだ」
俺は答えに詰まりそうになりながら、ここ数日の進み具合を話した。
「そうか……」
話し終えると、父は目を閉じた。
「お前には、心配と苦労ばかり掛けるな」
「そのようなことは」
「私が、このような身体でなければ……」
言葉の途中で咳き込む。
俺は何も言えなかった。
元のヨアヒムなら、何と答えただろう。
わからない。
「領を、シュヴァルツ家を……頼む」
「はい」
答えるしかなかった。
「……ご安心ください、父上」
少し近況を話しただけで、父は目に見えて疲れてしまった。
俺は長居せず、部屋を出た。
◇◇◇
先ほどの部屋へ戻ると、一人増えていた。
裁判の情報を届けてくれた官僚のミヒャエルだ。
ミヒャエルも先日の俺の様子に疑問を抱いていたらしい。
相談の末、政務を取り次ぐ役目上、彼にだけは事情を明かすことにしたのだ。
今後、官僚からの報告も、できるだけミヒャエルを通して受け、他の官僚と直接顔を合わせる機会は、しばらく減らす。
それから、俺が忘れていてはまずい事柄を、五人から叩き込まれることになった。
ヨハンナとの間に、まだ子どもはいないこと。
その話になったとき、ヨハンナは俯いた。
俺は何を言えばいいのかわからず、視線を逸らす。
そして領地にも、厄介な問題が残っていた。
改めて借金の返済について説明を受ける。
さらにミヒャエルが続ける。
「それから、ムル川から用水路へ取水する条件として、エンゲル男爵領との間に橋を架け、その建設費もすべてこちらで負担する約束があります」
「橋」
「こちらも先日の裁判の資料をご説明した際に、お伝えいたしました」
そうだった。用水路の工事にあたって、隣領とは色々あったのだ。
その後も必要な話はいくつか続いたが、途中から俺は理解するのを諦め、ひたすら頭に詰め込むことにした。
休日とは何だったのか。
◇◇◇
夕刻になる前に、俺たちは屋敷を発つことになった。
休日は今日一日しかない。
明日の朝からいつもの務めに戻るには、今日のうちに仮住まいへ戻る必要がある。
馬に跨がる前、俺は屋敷を振り返った。
ヨハンナが見送りに出ている。
銀色の髪が目に入る。
俺の妻。
記憶がないと伝えた時の、ヨハンナの顔が頭から離れない。
何を話せばいいのかまったくわからないが、それでも、次に屋敷へ戻った時には、ヨハンナと話をしなければならない。
……いや。
待てよ。
俺たちには、まだ子どもがいない。
跡継ぎづくりは、男爵家にとって重大事項ではないのか?
だったら俺は今夜、屋敷に残るべきでは?
これは私欲ではない。
義務だ。
領主一族として果たすべき重大な責務だ。
「若、参りましょう」
ハンスが呼んだ。
「……もう少し屋敷に残るという選択肢は?」
「明日も工事現場へ出ると、若ご自身が皆へ伝えております」
「そうか」
駄目だった。
俺は馬に乗った。
ヨハンナと、もっと話したかった。
できればいちゃいちゃしたかった。
繰り返すが断じて私欲ではない。
男爵家のために。
四千の領民のために。
それなのに……。
俺は何度も後ろを振り返りながら、用水路工事の仮住まいへ戻っていった。
休日が終わった。
漫画も読めず。
ゲームもできず。
妻ともいちゃいちゃできず。
しかも借金と橋の約束まで再確認させられた。
異世界の休日、全然休めない。
お読みいただきありがとうございます。
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