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頑張っていたのは俺じゃない -楽をしたい領主代行の異世界領地経営-  作者: oldenhaldt
昨日までの俺

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5/22

発覚

 労働は嫌いだ。


 朝から晩まで働かされるブラック労働はもっと嫌いだ。


 そして社畜生活を脱し、男爵家の嫡男へと華麗に異世界転生したはずの俺は、なぜか相も変わらずブラック労働に勤しんでいた。


 うう、漫画が読みたい、ゲームもしたい、美味しいご飯を食べに行きたい。


 しかし現実は非情だった。


 朝起きれば鍛錬、午前は持ち込まれる裁判などの重要案件を捌き、午後になれば用水路の工事現場に赴いて現場監督見習い補助業務。合間には勉強まで待っている。


 転生してからというもの、俺は毎日のように思っていた。


 休みたい。


 切実に。


 そしてその日、ついに休日が訪れた。


「ようやく休みだ……」


 朝、俺が万感の思いを込めて呟くと、ハンスが妙な顔をした。


「若がそこまで休日を喜ばれるとは珍しいですね」


「そうなのか?」


「はい」


 嫌な予感がした。


「ちなみに、工事に出ている者たちはどれくらい休んでいる?」


「六日に一度で、休みが重ならないよう分けて休んでおります」


「俺は?」


「若が丸一日政務をお休みになるのは、ひと月に一度ほどです」


「……月一?」


「はい」


 俺は天を仰いだ。


 元のヨアヒム。


 そうか……。お前が諸悪の根源だったのか……。


 限度を知らない仕事中毒者め!



 あーあ、こんな話、聞かなきゃ良かった。


 聞く前より、疲れた気がする。


 ◇◇◇


 休日とはいえ、丸一日寝て過ごせるわけではなかった。


 俺はゼバスティアン、ハンス、コンラートと共に馬を走らせ、用水路工事の仮住まいからシュヴァルツ家の屋敷へ向かっていた。


 病床の父、フリードリヒ男爵を見舞うためだ。


 道中、気になることがあった。


 三人とも、やけに口数が少ない。


 普段ならハンスは何かと話しかけてくるし、ゼバスティアンも必要なことがあれば遠慮なく言う。コンラートはもともと無駄口の多い男ではないが、それにしても今日は三人揃って様子がおかしい。


「何かあるのか?」


「いえ」


 ハンスが答えた。


「特にはありませんな」


 コンラートが続いた。


「屋敷へ着いてから、お話ししたいことがございます」


 最後にゼバスティアン。


 絶対に何かある。


 しかし、今は誰も俺に説明する気がないらしい。


 釈然としないまま馬を進め、昼前には屋敷へ到着した。


 馬を預け、俺は玄関へ向かう。


「まず父上を見舞いたい」


 そう言いながら屋敷に入ったところで、一人の女性がこちらへ歩いてきた。


 俺は足を止めた。


 長い銀髪。


 すらりとした姿に、整った顔立ち。


 美人だった。


 ものすごく美人だった。


 誰、この美人。


「ヨアヒム様」


 しかも俺の名前を知っている。


 女性は俺の前まで来ると、少し戸惑ったような表情を見せた。


 俺がぽかんと見つめているせいだろう。


 背後で人の動く気配がした。


 振り返る。


 三人とも、俺と女性を見比べていた。


 ハンスの表情が奇妙に歪んでいた。


「若」


「なんだ」


「こちらの女性がどなたか、ご存じですか?」


「…………」


 俺は女性を見る。


 銀髪の女性も俺を見返している。


 再びハンスを見る。


「…………」


「……ヨアヒム様?」


 わからない。


 まったくわからない。


 でも、ここでそれを言ったら何か大変なことになる気がする。


「……場所を変えようか」


 俺は逃げた。


 ◇◇◇


 俺たち五人は別室へ移動した。


 扉が閉まる。


 そして、ハンスが告げた。


「こちらはヨハンナ・フォン・シュヴァルツ様。若の奥方です」


「…………妻?」


「はい」


 ヨハンナへ視線を戻す。


 向こうも戸惑いを隠せない様子で、俺を見返していた。


「こんな美人が、俺の妻……?」


 思わず口から出た。


 心の中では両拳を握っていた。


 やったぞ。


 誰だ。


 この婚姻の手筈を整えた奴は誰だ。


 今すぐ名乗り出ろ。


 シュヴァルツ大勲章を与えたい。


 ところが、ヨハンナは目を見開いた。


 それから、俺ではなくゼバスティアンたちを見た。


「……本当に、ヨアヒム様なのですか?」



「え?」


「ヨアヒム様は、私をそのように褒める方ではありませんでした」


 ゼバスティアン。


 ハンス。


 コンラート。


 彼らの視線が、一斉に俺へ向く。


 まずい。


 ものすごくまずい。


 思い返せば、兆候はいくらでもあった。


 工事のやり方を知らなかった。


 測量器具の扱いもわからなかった。


 自分が決めたはずのことを、何度も他人に訊ねた。


 それでも三人は、疲れているのだろう、体調を崩した影響だろうと考えてくれていたのかもしれない。


 だが。


 妻の顔すら知らない。


 これはさすがに誤魔化せない。


「……話しておくことがある」


 俺は腹を括った。


 もちろん、転生したとは言わない。


 そんなことを言ったところで、信じてもらえるとは思えない。


「俺は……以前のことを、ほとんど覚えていない」


 四人の顔から表情が消えた。



「記憶を失っている」


 最初に口を開いたのはハンスだった。


「やっぱりですか」


「やっぱり?」


「おかしいとは思っていたんです。最初は疲れていると考えていましたが、若がご自分で決めた工事の段取りを俺に訊ねたあたりから、さすがにそれだけではないんじゃないかと」


 ゼバスティアンが続ける。


「私どもも、何かが起きているのではないかと心配しておりました。先ほど、屋敷へ着いてからお話ししたいと申し上げたのも、そのことです。ただ、まさか奥方様のお顔までおわかりにならないとは……」


「私は剣の稽古で気づきましたな」


 コンラートが腕を組んだ。


「近頃は、剣筋に迷いがありましたな」


 三人とも気づいていたらしい。


 俺の必死の演技は何だったんだ。


 ……いや、そりゃバレるよな。


「いつからなのです?」


 ヨハンナが訊ねた。


 責める口調ではなかった。


「何があったのですか?落馬をされたとか、頭を打たれたとか……」


「いや、それが俺にもわからない。ある朝、目が覚めたら……こうなっていた」


 ここは正直に話した。


 ヨハンナは何も言わなかった。


 俺を見つめたまま、指先だけが衣服をつまんでいる。


「……私のことも、ですか」


「ああ。すまない」


「初めてお会いした日のことも?婚礼の式のことも?」


「……何も」


 首を振り答えると、ヨハンナは目を伏せた。


 何も知らないままこの世界に放り出されて、辛いと思っていた。


 だが、何も覚えていない俺より、忘れられた側の方がよほど堪えるのかもしれない。



 衣服を強く握りしめたヨハンナが顔を上げた。


「……今は、何をすればよいのでしょう」


 その問いに、しばらく誰も答えなかった。



 やがてゼバスティアンが言う。


「ヨアヒム様がヨアヒム様であることに変わりはありません」


 心臓が跳ねた。


 それは俺にとって、非常に反応に困る言葉だった。


「そして、シュヴァルツ家を継ぐ男子はヨアヒム様しかおられません。旦那様は病床にあり、領地の政務を担える状態ではない」


 ハンスとコンラートが頷く。


「だったら、俺たちで若を支えるしかないでしょう」


「そうなるな」


 ヨハンナも俺を見て、小さく頷いた。


「私も……お手伝いいたします」


 ありがたい。


 今まで一人で誤魔化してきた俺の胸の内に、皆の言葉が染み入った。


「ただし」


 ゼバスティアンが全員を見回した。


「この件は、当面この場にいる者と、特に信用できる者だけの話といたしましょう。領主代行が記憶を失ったと知られて、喜ぶ者がいないとは限りません」


 俺は思わず背筋を伸ばした。


「また、これまで通りお一人で政務を執られるわけには参りません」


 どういうことだ?


「当面、重要な決裁については事前に私どもへご相談いただくか、私どもの誰かが同席することにいたしましょう。それと、信頼の置ける医師にも一度診ていただくべきかと存じます」


 たしかに。これは単に俺が困るだけの話ではない。


 俺は男爵家の跡取りで、今は父に代わって領地を預かる立場にいる。


「父上には?」


「今はお伝えしない方がよろしいでしょう。余計な心労をお掛けします」


 反対する者はいなかった。


「では、まずは旦那様へのお見舞いといたしましょう」


 ゼバスティアンが言った。


「今日屋敷へ戻ったのに、お顔を見せなければ不審に思われます」


 こうして俺は、「自分の父親との初対面」というなかなか経験しがたい出来事へと向かうことになった。


 ◇◇◇


 父――フリードリヒ・フォン・シュヴァルツは、寝台に横たわっていた。


 父については、これまでに何度か話を聞いていた。


 だが、実際に顔を見るのは初めてだ。


 以前は体格のいい男だったのだろう。


 今は頬がこけ、声にも力がない。


「ヨアヒム……戻ったか」


 父は震える手を俺の頬へ伸ばし、撫でた。


「はい、父上」


 父と呼んでいるのに、俺にはこの人との思い出が一つもない。


「工事はどうだ」


 俺は答えに詰まりそうになりながら、ここ数日の進み具合を話した。


「そうか……」


 話し終えると、父は目を閉じた。


「お前には、心配と苦労ばかり掛けるな」


「そのようなことは」


「私が、このような身体でなければ……」


 言葉の途中で咳き込む。


 俺は何も言えなかった。


 元のヨアヒムなら、何と答えただろう。


 わからない。


「領を、シュヴァルツ家を……頼む」



「はい」


 答えるしかなかった。


「……ご安心ください、父上」


 少し近況を話しただけで、父は目に見えて疲れてしまった。


 俺は長居せず、部屋を出た。


 ◇◇◇


 先ほどの部屋へ戻ると、一人増えていた。


 裁判の情報を届けてくれた官僚のミヒャエルだ。


 ミヒャエルも先日の俺の様子に疑問を抱いていたらしい。


 相談の末、政務を取り次ぐ役目上、彼にだけは事情を明かすことにしたのだ。


 今後、官僚からの報告も、できるだけミヒャエルを通して受け、他の官僚と直接顔を合わせる機会は、しばらく減らす。


 それから、俺が忘れていてはまずい事柄を、五人から叩き込まれることになった。


 ヨハンナとの間に、まだ子どもはいないこと。


 その話になったとき、ヨハンナは俯いた。


 俺は何を言えばいいのかわからず、視線を逸らす。


 そして領地にも、厄介な問題が残っていた。


 改めて借金の返済について説明を受ける。


 さらにミヒャエルが続ける。


「それから、ムル川から用水路へ取水する条件として、エンゲル男爵領との間に橋を架け、その建設費もすべてこちらで負担する約束があります」


「橋」


「こちらも先日の裁判の資料をご説明した際に、お伝えいたしました」


 そうだった。用水路の工事にあたって、隣領とは色々あったのだ。


 その後も必要な話はいくつか続いたが、途中から俺は理解するのを諦め、ひたすら頭に詰め込むことにした。


 休日とは何だったのか。


 ◇◇◇


 夕刻になる前に、俺たちは屋敷を発つことになった。


 休日は今日一日しかない。


 明日の朝からいつもの務めに戻るには、今日のうちに仮住まいへ戻る必要がある。


 馬に跨がる前、俺は屋敷を振り返った。


 ヨハンナが見送りに出ている。


 銀色の髪が目に入る。


 俺の妻。


 記憶がないと伝えた時の、ヨハンナの顔が頭から離れない。


 何を話せばいいのかまったくわからないが、それでも、次に屋敷へ戻った時には、ヨハンナと話をしなければならない。



 ……いや。


 待てよ。


 俺たちには、まだ子どもがいない。


 跡継ぎづくりは、男爵家にとって重大事項ではないのか?


 だったら俺は今夜、屋敷に残るべきでは?


 これは私欲ではない。


 義務だ。


 領主一族として果たすべき重大な責務だ。


「若、参りましょう」


 ハンスが呼んだ。


「……もう少し屋敷に残るという選択肢は?」


「明日も工事現場へ出ると、若ご自身が皆へ伝えております」


「そうか」


 駄目だった。


 俺は馬に乗った。


 ヨハンナと、もっと話したかった。


 できればいちゃいちゃしたかった。


 繰り返すが断じて私欲ではない。


 男爵家のために。


 四千の領民のために。


 それなのに……。


 俺は何度も後ろを振り返りながら、用水路工事の仮住まいへ戻っていった。


 休日が終わった。


 漫画も読めず。


 ゲームもできず。


 妻ともいちゃいちゃできず。


 しかも借金と橋の約束まで再確認させられた。


 異世界の休日、全然休めない。


お読みいただきありがとうございます。

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