責任の在り処
転生して二日後。
昨日の裁判は、前夜に散々予習したおかげで、どうにか無事に終わった。
少なくとも、ゼバスティアンとミヒャエルを見る限り、とんでもない裁定を下したわけではないらしい。
午後は用水路の工事現場へ顔を出し、ペーター少年と測量をし、訝しげなハンスから色々聞き出しているうちに、一日が終わった。
そして今日の昼下がり、俺は用水路の工事現場で、作業の主だった者たちを集めていた。
土を掘る者をまとめる男。水路の壁を固める者。道具や資材を管理する者。そしてペーター。
十人ほどが俺を囲んでいる。
全員、どう反応していいのかわからない様子だった。
「では、昨日の作業から確認する」
俺は手元の板に目をやった。
「予定していた場所まで掘れたか。遅れたところはあるか」
「……あの部分が、少し」
「理由は?」
「土の中から大きな石が出まして」
「今日の作業に影響は?」
「二人ほど、そっちへ回せば何とか」
「わかった。次。今日、問題になりそうなことは?」
誰も答えない。
俺は項目を一つずつ確認していく。
「石材と粘土は?」
「どちらも足りております」
石材はカーブが急な箇所を補強するため、粘土は漏水を抑えるために使う……らしい。
「壊れた道具は?」
「鍬が一本」
「修理には?」
「もう柄から替えねえと駄目です」
後で替えの柄をどうするか聞いておかなければ。
「今日来ていない者は?」
「三人です」
「理由は?」
「一人は熱を出して、二人は昨日の作業で腰を痛めました」
「明日戻れそうか?」
「熱の奴はわかりません。腰をやった二人は数日は無理でしょう」
「そうか」
質問を続けながら、俺は猛烈に居心地が悪くなっていた。
なぜなら、このやり取りには覚えがあったからだ。
前世で朝や夕方などにやっていた定例ミーティングそのものだった。
昨日はどうだった。
今日は何をする。
問題はないか。
足りないものはないか。
さらに腹立たしいことに、進め方まで、前世で散々馬鹿にしていたチェックリスト方式である。
――毎日同じこと聞いて、意味あるのかよ。
かつての俺は、本気でそう思っていた。
上司が一覧を見ながら質問するたびに、馬鹿の一つ覚え、と内心で悪態をついていた。
だが、今ならわかる。
毎日の進捗を確認するために、毎日確認するのである。
細かい作業まで把握していないから、一つずつ聞いていくのである。
これが、土を掘る速さも、鍬一本を直すのに必要な時間も、粘土を踏み固める人数も知らない俺にできる精一杯な気がしてきた。
前世の課長。
心の中で馬鹿にしていて、申し訳ありませんでした。
あなたも案外、何もわからないなりに必死だったんですね。
許してはいないが、共感はする。
「ヨアヒム様?」
「ああ、すまない。続けよう」
我に返ると、男たちはますます妙な顔をしていた。
やがて、聞いておきたいことは一通り聞けた。
このチェックリストも改良していかないとな。
「では今日はここまでだ」
何人かがほっとした顔をした。
「明日も同じ時間に集まってくれ」
「……明日も、ですか?」
「毎日だ」
今度こそ、全員が俺を見た。
前世の俺と同じことを考えたのだろう。
今までそんなことをしなくても、ちゃんと工事は回っていただろう、と。
ごめん、もう俺はそういうの無理になっちゃったんだ。
それでも誰も文句を言わず、付き合ってくれている。
俺の人徳ではない。
元のヨアヒムが積み上げた実績と、男爵家嫡男という身分のおかげである。
うーん、強すぎる。
◇◇◇
打ち合わせを終えた後、俺たちは掘削を終えたばかりの水路へ向かった。
今日は水路の出来を確かめる作業がある。
数人の男が、水を入れた樽を荷車から下ろした。
まだ川から水を引き込む段階ではない。今回は、掘削と底固めを終えた短い区間に樽の水を流し、きちんと下流へ抜けるかを確かめるのだ。
「流します」
声がかかる。
次々に樽が傾けられ、水が土の水路へ流れ込んだ。
俺たちは、その後を追って歩いた。
水は細い流れとなって、掘られた水路を進んでいく。
「……おお」
思わず声が出た。
流れている。
当たり前なのだが、自分が関わった工事で実際に水が進んでいるのを見ると、妙な達成感がある。
これならいけるんじゃないか。
そんな期待が浮かんだ、その直後だった。
「止まってねえか?」
誰かが言った。
水の勢いが目に見えて弱くなっていた。
先へ進むはずの水が広がり、同じ場所に溜まり始めている。
男たちが水路を覗き込んだ。
一人が先へ歩き、地面を確かめる。
「ここ、心なしか盛り上がっているぞ」
嫌な予感がした。
「この辺りを掘ったのは、いつだ?」
「昨日です」
昨日。
つまり俺が転生した後である。
「ペーター。途中の杭は使わず、上流の基準杭からもう一度測ってくれ」
「はい」
ペーターが道具を持って、上流へ走った。
昨日は、水路脇に立てた杭へ順に高さを移しながら測っていた。どこかで狂ったのなら、上流の基準杭まで戻って確かめるしかない。
掘削する深さを示す杭は、水路脇へ順に打ち込んでいく。大半は工事の確認が済めば抜いてしまうが、後から測り直せるよう、一部を一定間隔で基準杭として残している。
男たちが見守る中、ペーターが上流の基準杭から高さを測り直していく。
やがて、その手が止まった。
「……合いません」
「どれくらいだ」
「……昨日の印が高すぎます」
作業をまとめていた男が、水路脇の杭を指した。
「俺たちは昨日、そこにつけられた印どおりに掘りました」
別の男も頷く。
「深さは途中で何度も確かめています」
なら、掘った者たちの間違いではない。
掘る前につけた印の方が狂っていたことになる。
「昨日、ここを測ったのは?」
何人かの視線が、一斉にペーターへ向いた。
少年が、顔を強張らせる。
「……俺です」
誰かが舌打ちをした。
「おい、ペーター」
「ちゃんと測ったのか?」
「踏み固めた土をまた掘らなきゃなんねぇ」
「何のための測量だ!」
責める声が次々に飛んだ。
ペーターが俯く。
「測りました。昨日も、何度も……」
「だったら何でこうなってる!」
その声を聞きながら、俺は胃の辺りが痛くなってきた。
知っている。
俺は知っているのだ。
昨日、ペーターが測量した後、その結果を俺自身も確認した。
確認したつもりになっていた、と言う方が正確かもしれない。
そして工事を進めていいと決めたのは俺だ。
つまり、俺の責任である。
ところが。
恐ろしいことに、ほんの一瞬だけ思ってしまった。
――このまま黙ってたら、ペーターの失敗で終わるんじゃないか?
最低である。
だが同時に、俺の脳裏に前世の記憶が蘇った。
上司の指示通りに進めた仕事が失敗し、なぜか俺の確認不足ということになった日。
あの時、ふざけるなと思った。
責任者なら、潔く責任取れよ、と。
今なら少しだけ、あの課長の気持ちがわかってしまう。
責任を下へ押しつければ、自分は助かる。
なるほど。
これは魅力的だ。
ものすごく魅力的だ……。
「待て」
気づけば、俺は口を開いていた。
「ヨアヒム様、ですが――」
「測量をしたのはペーターだ」
誰も口を挟まない。
「だが、その結果を俺も確認した。そして、ここを掘ってよいと命じたのも俺だ」
ペーターが俺を見た。
「間違いに気づかなかった責任は、俺にある」
「しかし、若様――」
「最後に責任を負うのは俺だ」
言ってしまった。
これで逃げ道はなくなった。
だが、もう仕方がない。
「掘り直しになる。余計な仕事を増やした」
俺は男たちに向かって頭を下げた。
「すまなかった」
誰も何も言わなかった。
しばらくして、どこからか小さな咳払いが聞こえた。
非常に気まずい。
ものすごく顔を上げづらい。
◇◇◇
その日の帰り道。
俺はハンスと仮の住まいへ向かっていた。
「若」
「何だ」
「先ほどのことですが」
次に何と言われるか予想はあった。
「領民に頭を下げる必要はなかったと思います」
「そうか?」
「若は領主代行です。工事の責任を負われるのは当然としても、作業をする者にまで頭を下げていては、示しがつきません」
たぶんハンスは俺の立場を心配して言っている。
領主が簡単に謝るなという考え方には、この世界、この時代なりの理由があるのだろう。
だが――。
「覚えておく」
それだけを答えた。
頭を下げたことを、間違いだったとは思わない。
俺が確認し、俺が許可した。
それなのに失敗した途端、一人の少年に責任を負わせて、自分は知らん顔をする。
それでは、前世で俺が悪態をついていた上司と同じだ。
いや、もっと悪い。
元のヨアヒムが積み上げてきたものまで借りて、それをやるのだから。
そんなのまったく笑えない。
転生して二日。
俺はまだ、この世界でどう生きれば正解なのか、さっぱりわからない。
それでも。
頭を下げてでも、顔を上げて生きていきたい。
……生きていけるといいなあ。
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