終わった仕事、残った問い
十一月。
本格的な冬が来る前に、ムル川の橋が完成した。
長かった。
半年近く橋づくりに関わって、俺が橋そのものについて何かできたかと訊かれると困る。
そこはアンドレアスたちの仕事だった。
俺がやっていたのは、木材をどこへ置くだの、運ぶのは誰だの、こっちを先にして欲しいだの。
だいたい人と人との間に入って話をすることだった。
俺、必要だったかな。
……必要だったと思いたいけど。
少なくとも、何をするにも俺の判断待ちで工事が止まっていた頃よりは、みんなが「こうしたい」って言ってきてくれる方が良いよね。
◇◇◇
竣工の日には、両領から多くの人が集まった。
俺はシュヴァルツ領側から。
エンゲル男爵は反対側から。
新しい床板を踏んで進み、橋の中央で向かい合う。
「ようやくだな!」
「ええ。なんとかできました」
差し出された手を握った。
痛い。
エンゲル男爵にとって、握手とは相手の手を握り潰す競技らしい。
俺たちは橋の中央で、この橋がシュヴァルツ家とエンゲル家、両家のものであることを宣言した。
互いの領都から橋までの道では通行税を取らない。
それも改めて両領の者たちへ伝える。
歓声が上がった。
やがて、葡萄酒の樽を積んだ馬車が橋へ進み出た。
ゆっくりと中央を越え、シュヴァルツ領側へ渡ってくる。
橋は落ちない。
当たり前だ。
当たり前なのだが、ちょっと感動した。
川を見れば、商人たちが用意した大きな船も、橋脚の間を抜けていく。
当初の想定よりもずいぶん立派な橋になった。
しかも大きくした分の費用は、商人やエンゲル領に負担してもらっている。
文句なし。
橋にシュヴァルツ大勲章を授与しておこう。
無機物として初の受章です。
父は竣工式には来られなかった。
夏頃から体調はさらに悪くなり、最近では起きていられる時間も短くなっている。
完成した橋を見せられなかったのは、残念だった。
◇◇◇
式のあと、アンドレアスとマルティンを呼び止めた。
「二人とも、このままうちに残らないか?」
橋を造れる人間が領内にいてくれるなら心強い。
アンドレアスは、ほとんど考えもしなかった。
「柄じゃないです」
「即答か」
「同じところにずっといるのは向いてません。ただ、何かあったら呼んでください」
「呼んだら来てくれるのか?」
「仕事なら」
仕事なら、か。寂しさを覚えていると、マルティンが補足してくれた。
「親方は気に入らない雇い主とは二度と仕事しませんからね」
マルティンも師匠についていくらしい。
仕方がない。
一方で、ペーターは残ってくれた。
春に話をしてから随分悩んだようだが、最後は自分でシュヴァルツ家に仕えると決めてくれた。
これからは正式に、領内の測量を任せられる。
本人が決めてくれたことが、何より嬉しかった。
俺が橋にかかりきりだった間にも、他の仕事は進んでいた。
エンゲル領から羊毛を仕入れる話がまとまり、いくつかの村では冬から紡績を試す。
フェルン村ではエーファから技術を教わった者が増え、今年は去年より多く木工品を作れそうだという。
去年のように、エーファ一人へ仕事が集中しないための準備だ。
産婆と外科医に始めてもらった手洗いや煮沸も、続けることになった。
赤子の死亡数が劇的に減ったとまでは言えない。
それでも、出産後に熱を出す母親や傷が膿む患者は以前より少ないという。
なら、今度は他の村でも試してみる。
気づけば、俺が全部見ていなくても物事が進むようになっていた。
これこそ、俺が求めていたものでは?
なのに新しい仕事も増えている。
解せぬ。
◇◇◇
その夜、ヨハンナと俺の寝室で話をしていた。
こうして二人で話すことも、今では珍しくなくなった。
今日の話題は、日本の学校だった。
「何度聞いてもすべての子どもが通うというのが信じられません」
「基本的にはな」
「身分の違いがないということも、不思議です」
「ああ。日本じゃ、生まれで身分が決まるわけじゃないからな。農家の子どもも、商売をしている家の子どももみんな学校へ行く」
「同じ場所で学ぶのですね」
「そう」
ヨハンナは俺のいた世界の話なら何でも興味深そうに聞く。
その中でも、学校の話には特に食いつきがいい。
話しているうちに、日本から今の領地へ話題が移った。
「橋の建造、お疲れ様でした」
「ありがとう」
「ヨアヒム様がこちらへ来られて、もう一年ほどになるのかしら」
「そうだな」
知らない部屋で目を覚ましてから、もう一年。
「最初は、元のヨアヒム様とあまりにも違っていて、どうなることかと思いました」
ヨハンナが笑った。
「用水路も、橋も。元のヨアヒム様が始められた大きな仕事は、これでひと区切りですね」
「ああ」
「二人のヨアヒム様は、まるで違います」
ん?
「元のヨアヒム様は、何でもご自分で決めて、ご自分でなさろうとする方でした」
知っている。そしてそれができる男だった。
「でも、今のヨアヒム様は違いますね」
「俺は人に頼ってばかりだからな」
「はい」
「そこは少しくらい否定してくれないのか」
「ですが、用水路は完成しました。橋も架かりました」
俺は少し考えた。
元のヨアヒムとは、やり方はまるで違った。
それでも、あいつが始めた仕事を途中で投げ出さずには済んだ。
ヨハンナはそんな俺を見てから、訊ねた。
「これから、ヨアヒム様は何をしたいですか?」
何をしたい。
答えが出てこなかった。
偉くなりたいわけじゃない。
褒め称えられたいわけでもない。
権力を振るいたいわけでもない。
元の世界でも、大きな夢なんて持っていなかった。
この世界に来てからだって、目の前に置かれた仕事を何とかこなしてきただけだ。
「できるだけ楽をしたいんだ」
「いつもそう仰りますね」
ヨハンナが笑った。
うん。
あと、君といちゃいちゃしたい。
初めて会った時から好きだった。
……いや、俺の中身は三十過ぎなんだよな。
それに、夫だからといって何も無理強いしないと約束したんだ。
結局その夜、俺はそれ以上の答えを出せなかった。
◇◇◇
翌日。
父の部屋へ向かった。
寝台の上の父は、以前よりずっと小さく見えた。
俺がそばへ行くと、ゆっくりと目を開いた。
寝台の脇に腰を下ろし、その手を取る。
「橋は……できたのか」
「はい」
「そうか」
それが、父と最後に交わした言葉になった。
この人は最後まで、俺を自分の息子だと思っていた。
でも、俺はその息子じゃない。
それなのに、この人の息子と偽って一年も生きてきた。
俺は父の手を握ったまま、しばらく動けなかった。
◇◇◇
父の葬儀が終わった。
俺は正式に、ヨアヒム・フォン・シュヴァルツ男爵となった。
もう父の代理ではない。
俺が引き継いだ大仕事も、すべて片づいた。
数日前のヨハンナの言葉が蘇った。
『これから、ヨアヒム様は何をしたいですか?』
答えは、まだなかった。
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