12
翌朝、警察署へ出勤すると、一課の部屋はいつも以上に騒がしかった。
「でもさ、連続殺人犯のあの女、すげぇ美人だよな」
若い刑事の一人が資料を見ながら言う。
「そうそう。若手女優って感じだよな。可愛らしさもあって」
「会ったら俺、一目惚れするかも」
「ばか、お前殺されるぞ!」
部屋中に笑い声が広がる。
俺は何も言わず、その横を通り過ぎた。
笑えなかった。
あいつらは資料の中の女しか知らない。
俺は、雨音の震える手も、不安そうな瞳も知っている。
「よう!」
背後から肩を叩かれる。
振り返ると田中だった。
「昨日はどうだった?」
一瞬だけ心臓が跳ねる。
「……どうって?」
「決まってるだろ。有力な情報だよ。聞き込み続けるって言ってたじゃねぇか」
俺は視線を逸らし、できるだけ平静を装った。
「なにもなかった」
ぶっきらぼうに答え、自分のデスクへ向かう。
机の上には今日の捜査資料が積まれていた。
何気なく一番上のファイルを開く。
そこには、防犯カメラで撮られたとされる雨音の写真が大きく貼られていた。
紫色のワンピース姿。
その横顔は、昨日まで一緒にいた彼女とはまるで別人のように冷たく見える。
「(……会いたい)」
その思いが頭をよぎった瞬間、俺は思わず資料を閉じる。
「(何考えてるんだ、俺は……)」
自分でも信じられなかった。
刑事である俺が、追うべき容疑者に会って抱きしめたいと思っている。
そんなこと、あっていいはずがない。
それでも時計を見るたび、頭の中には雨音の姿が浮かぶ。
早く仕事を終わらせたい。
早く、あの部屋へ戻りたい。
その衝動を必死に押し殺しながら、俺は震える手で次の事件資料を開いた。
その日の午後、俺は雨音と出会った場所とは別のエリアを捜索していた。
商店街の裏路地、公園、住宅街。
昨日までの捜査範囲を外し、一つひとつ可能性を潰していく。
近隣住民への聞き取りも続けた。
「こんな女の人、見ませんでしたか?」
写真を見せるたび、返ってくる答えは同じだった。
「見てないねぇ」
「知らないわ」
「記憶にないな」
有力な情報は、一つも出てこない。
俺は表情を変えないよう努めながら、胸の奥では安堵していた。
捜査を終え、田中が大きく伸びをする。
「ここまで見つからないんじゃあ、次の被害者が現れるまで捜査は中断、あるいはそのまま打ち切りかもな…」
その一言に、俺の足が止まった。
――次の被害者。
その言葉が胸に引っ掛かる。
もし本当に雨音が連続殺人犯なら。
記憶を失っているのが嘘で、また事件が起きたら。
嫌な予感が背筋を駆け上がった。
俺は慌ててスマートフォンを取り出し、南へ電話をかける。
数回の呼び出し音のあと、明るい声が聞こえた。
「もしもし? どうしたの?」
少し周囲が騒がしい。
「あたし仕事中なんだけど……急用?」
俺は胸を撫で下ろした。
南は無事だ。
「……いや、ごめん」
「え??」
「間違えて押しただけ」
「なにそれ」
南は呆れたように笑う。
「もう切るよー」
「ああ」
通話が切れる。
画面を見つめたまま、俺は小さく息を吐いた。
「どうした?」
田中が不思議そうに覗き込む。
「いや、何でもない」
俺はスマートフォンをしまい、田中から少し距離を取った。
田中はそんな俺を見て苦笑する。
「お前さ、ちょっと休んだほうがいいんじゃね?
有休、まだ残ってるだろ」
俺は首を横に振る。
「俺は仕事が好きなんだ。休んでると、余計に疲れる」
田中は肩をすくめた。
「そうかよ。この仕事一筋野郎が」
そう言って笑う田中につられ、俺も少しだけ口元を緩めた。
だが、その笑顔は長く続かなかった。
俺の頭の中では、今も雨音が一人、あのマンションで俺の帰りを待っている姿が浮かび続けていた。




