11
廊下へ飛び出した俺は、壁にもたれかかりながら乱れた呼吸を整えた。
「……落ち着け」
何度も自分に言い聞かせる。
冷静になれ。
俺は刑事だ。
目の前にいた女は、身元不明の連続殺人事件の重要参考人であり、容疑者でもある。
そう繰り返しても、高鳴る鼓動はなかなか収まらなかった。
しばらくして、ようやく呼吸が落ち着く。
俺は静かに玄関の扉を開けた。
「落ち着いた?」
玄関の前で待っていた雨音が小さく微笑む。
「……行っていいよ?」
「え?」
「彼女が待ってるんでしょ」
その言葉に、俺は何も返せなかった。
雨音が俺の胸にそっと手を添える。
「早く帰ってあげて」
そのまま、ゆっくりと玄関の外へ押し出される。
「雨音……」
名前を呼んだ瞬間、一度だけ彼女を抱きしめたいという衝動が胸を駆け抜けた。
だが、その衝動を必死に押し殺す。
俺は何も言わず部屋を出た。
背後で静かに扉が閉まる音が響く。
その音が、妙に寂しく聞こえた。
マンションを後にした俺は、そのまま自宅へ向かった。
夜風を浴びながら歩いても、頭の中から雨音の姿は消えない。
自宅の前に立ち、しばらく玄関の扉を見つめる。
深呼吸を一つしてから鍵を開けた。
扉を開けると、そこにはバスローブ姿の南が立っていた。
「おかえり」
そう言って柔らかな笑顔を浮かべる。
「さっき、電話で先に寝てるねって言おうと思ってたのに…。
飲み会、早く終わったんだね」
「ああ」
俺は短く答え、静かに玄関の扉を閉めた。
南は俺の顔を覗き込む。
「なんか疲れてる?」
「……いや、大丈夫」
そう答えながら、俺は洗面所へ向かった。
蛇口をひねり、冷たい水で手を洗う。
鏡に映る自分の顔は、ひどく疲れ切っていた。
俺は洗面台に手をつき、口元を押さえながら俯く。
南がすぐ近くにいる。
それなのに、頭の中を埋め尽くしているのは、あのマンションに残してきた雨音のことだった。
窓辺で見せた笑顔。
「おかえりなさい」と迎えてくれた声。
そして、唇が触れた一瞬の感触。
「駄目だ……」
小さく呟く。
「あの女は連続殺人犯だ」
まだ何もわかっていない。
記憶喪失が本当なのかも、事件との関係も。
だから情に流されるわけにはいかない。
俺は鏡の中の自分を見つめながら、何度もそう言い聞かせた。




