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「ねぇ、瞬」


雨音はソファへ腰を下ろし、興味深そうに俺を見つめた。


「恋人はいる?」


その質問に、俺は少しだけ視線を落とす。


「……一応、いるよ」


雨音は驚いた様子もなく、小さく頷いた。


「どんな人?」


「……小柄で、いつも元気がいい」


南の笑顔が頭に浮かぶ。


「周りを明るくするのが上手で……ムードメーカーみたいな人だ」


「へぇ~、そうなんだ」


雨音は楽しそうに身を乗り出す。


「どこで出会ったの?」


「大学のサークル」


「どんなサークル?」


俺は少し照れくさくなりながら答えた。


「オカルト研究会みたいなサークル」


一瞬の沈黙。


それから雨音は吹き出した。


「ふふっ、変なの!」


声を上げて笑う。

その無邪気な笑顔につられて、俺まで口元が緩んでしまった。

こんな状況なのに。

目の前にいるのは、警察が追っている女のはずなのに。

笑っている自分がいる。


雨音は笑い終えると、少しだけ真剣な表情になった。


「ねぇ、瞬…。その人と一緒にいて……ドキドキ、する?」


その一言で、俺の笑みは消えた。

答えられない。

南と過ごした日々は穏やかだった。


一緒にいて安心できる。

自然体でいられる。

そんな関係だった。


だけど――。


胸が高鳴るような感覚を、南に対して抱いたことがあっただろうか。

思い返しても、そんな記憶は出てこない。

俺は黙ったまま俯く。

その沈黙だけで、雨音は何かを悟ったようだった。


「……しないんだね」


静かな声だった。

俺は返す言葉を見つけられず、ただ自分の胸に手を当てる。

激しく脈打つ鼓動。

それは今、この部屋にいるときだけ、何度も俺に存在を主張していた。


そのときだった。


静かな部屋に、突然スマートフォンの着信音が鳴り響く。

俺は肩を震わせ、ポケットからスマートフォンを取り出した。

画面には――


<南>


恋人の名前が表示されていた。


「……」


俺は通話ボタンへ指を伸ばす。

その瞬間だった。


「瞬」


雨音が静かに俺の名を呼ぶ。

そして彼女の両腕がそっと俺の腰へ回された。


「え……」


驚いて息をのんだ、その一瞬。


雨音は背伸びをし、そっと唇を重ねた。


頭の中が真っ白になる。


手から力が抜け、スマートフォンが床へ落ちた。

乾いた音を立てて滑り、着信音だけが部屋中に鳴り続ける。


やがて着信音は途切れ、部屋は再び静寂に包まれる。


雨音は少しだけ距離を取り、上目遣いで俺の顔を見た。


「……ドキドキした?」


悪戯をした子どものような笑みだった。

俺は答えられない。

鼓動は耳が痛くなるほど速く、呼吸もうまく整えられなかった。


刑事としても、一人の人間としても、越えてはならない一線を越えてしまった。

床に落ちたスマートフォンの画面は消えている。

さっきまで表示されていた南の名前も、もう見えなかった。


「俺は……」


かすれた声だけが漏れる。

これ以上この部屋にいたら、自分が自分でなくなる。

そう直感した。

俺はスマートフォンを拾い上げると、雨音から目を逸らしたまま玄関へ向かう。


「瞬……?」


雨音の呼びかけにも振り返らず、俺は玄関の扉を開けた。

勢いよく外へ飛び出し、静まり返った廊下へ出る。

冷たい空気を吸い込んでも、高鳴る鼓動は少しも収まらなかった。




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