6話
翔太郎は、改めて誓った決意を胸に、大学の仲間たちに接触を試みた。文芸サークルのメンバーの中には、彼の原稿を読んだ可能性がある。もし誰かが内容を知り、模倣したのだとすれば、その痕跡が残っているはずだ。だが、大学の廊下で声を掛けても、返ってくるのは曖昧な言葉ばかりだった。
「……翔太郎、今はちょっと」
「ごめん、急いでるんだ」
誰も立ち止まらない。数日前まで合評会で笑い合っていたはずなのに、今は視線を逸らし、足早に去っていく。噂は既に広がっていた。事件と原稿の一致、警察の疑い。仲間たちは恐怖と不安から距離を置いていた。
翔太郎は無理に笑みを作り、廊下の片隅に立ち尽くした。だが、会話は続かない。誰も彼に原稿のことを尋ねないし、事件についても触れない。沈黙が重くのしかかり、彼は居たたまれなくなって大学を後にした。
その足で彼は八雲パーシモンホールの図書館へ向かった。事件が発覚した場所を再び訪れることで、何か見落としがないか確認したかった。自習コーナーには学生や社会人が散らばり、静かな時間が流れていた。翔太郎は事件当日の座席を探し、そこに腰を下ろした。机の木目、椅子の硬さ、周囲の視線。すべてが記憶を呼び起こす。
彼女が「眠っている」と思われていた時間、翔太郎は隣で原稿を書いていた。防犯カメラにも映っている。だが、彼はその時、彼女に声を掛けなかった。人見知りの性格が、憧れの存在に近づくことを妨げていた。今となっては、その沈黙が「犯人である証拠」として重くのしかかっていた。
翔太郎は机に手を置き、周囲を観察した。誰が彼女に近づけたのか。職員の動き、学生の出入り。だが、事件から数日が経ち、現場は既に日常に戻っていた。痕跡は消え、ただ静けさだけが残っていた。
図書館の外に出ると、建物の脇にある喫煙所が目に入った。事件当日、彼はここで紙タバコを吸っていた。その姿が防犯カメラに映っている。警察はそれを「犯人像と一致する」と断定していた。翔太郎は灰皿の前に立ち、煙の匂いを嗅いだ。電子タバコが主流になった今、紙タバコの煙は珍しい。
「やっぱり俺だけなんだ……」
その事実は、彼をさらに追い詰めた。
数日間、翔太郎は大学と図書館を往復し続けた。だが、成果は何も得られない。むしろ「事件現場をうろつく不審者」として周囲の視線は冷たくなり、孤立は深まるばかりだった。教授からは「今は研究に集中しろ」と遠回しに距離を置かれ、アルバイト先からも「しばらく来ないでほしい」と告げられた。居場所はどこにもなくなっていった。
そんなある日、尾行していた刑事の一人が声を掛けてきた。
「君、ずっと調べているんだな。だが――本当に無実なら、どうして原稿に“毒針”なんて細工を書けた?」
その問いに、翔太郎は言葉を失った。原稿に描いた手口は、ただの想像の産物だったはずだ。だが刑事は続ける。
「君は普段から葉を刻んで自分で巻いていると言ったな。つまり、濃度の違うニコチンを扱う感覚を知っている。原稿に書かれた“針に染み込ませる”という描写は、素人には出てこない。君の生活習慣と原稿の細部が、現実の犯行と重なっているんだ」
翔太郎の胸に冷たいものが広がった。正直に答えたはずの習慣が、原稿の描写と結びつけられ、犯人像として固められていく。
「俺は……ただ書いただけなのに……」
刑事は肩をすくめた。
「書いただけで済むなら、こんな一致は起きないさ」
その言葉は、翔太郎の心に深く突き刺さった。自分は犯人ではない――そう信じていたはずなのに、原稿と生活の断片が重なり合うことで、まるで自分自身が犯人を演じているように思えてきた。
その夜、翔太郎はマンションに戻り、原稿を開いた。文字を追うたびに、書いたはずの物語が自分の行動をなぞっているように見える。新聞記事と原稿を交互に読み返すうちに、境界はさらに曖昧になり、頭は混乱した。
「俺が……書いたから……俺がやったのか?」
夢の中で、原稿の主人公が自分の姿をして笑う。だがその笑みは、前章のような単なる嘲笑ではなく、「お前はもう俺と同じだ」と告げるものだった。




