4話
翌朝、翔太郎は重い体を引きずるように大学へ向かった。夜の間に眠ったはずなのに、取調室の蛍光灯の光が残像のように焼き付いていた。目を閉じても、あの白い光と机の木目、捜査員の視線が脳裏に浮かび上がる。夢の中でも同じ場面が繰り返され、目覚めても疲労は抜けていなかった。玄関を出ると、街の音はいつも通りだったが、自分だけが別の世界に取り残されているような感覚が続いていた。靴音がアスファルトに響くたびに、胸の奥で昨日の言葉が反響する――「偶然では説明できない一致が四つある」。その言葉は呪いのように繰り返され、歩みを鈍らせた。
通学路の風景はいつもと変わらない。コンビニの前で立ち話をする学生、バス停に並ぶ人々、信号待ちの車列。だが翔太郎には、それらがすべて自分を監視しているように見えた。誰も彼を知らないはずなのに、視線が背中にまとわりつく。心臓の鼓動が速くなり、呼吸が浅くなる。大学の門が近づくにつれ、足取りは重く、まるで地面に吸い込まれるようだった。
大学の門をくぐると、視線が集まるのを感じた。誰も直接は声をかけない。だが、歩くたびに背後で小さな囁きが生まれ、途切れ途切れに耳に届く。
「昨日、警察に連れて行かれたらしい」
「原稿が事件と同じだったって……」
「まさか、あいつが?」
その囁きは言葉以上に重く、翔太郎の背中に突き刺さった。講義室に入ると、いつも隣に座っていた学生が席を移していた。机の上にノートを広げる音が、やけに冷たく響いた。翔太郎は視線を落とし、ノートを開いたが、文字は頭に入らない。ペン先が震え、紙の上に意味を持たない線が走る。周囲の笑い声が遠くで響き、まるで自分だけが透明な壁に囲まれているようだった。
講義が始まると、教授の声が教室に広がった。だが翔太郎には、その声が遠くの雑音のようにしか聞こえなかった。黒板に書かれる文字も、ノートに走るペンの音も、すべてが自分を排除するための合図に思えた。隣の学生が咳払いをするだけで、心臓が跳ねる。小さな仕草がすべて「お前はここにいるべきではない」と告げているようだった。
昼休み、廊下で顔を合わせた仲間が小声で近づいてきた。
「……今は来ない方がいい。みんな気にしてる。騒ぎになる前に、しばらく距離を置いた方がいい」
その言葉は助言の形を取っていたが、実質的には拒絶だった。翔太郎は頷くだけで、足を止めた。仲間の背中が遠ざかる。ほんの数日前まで一緒に笑っていたはずなのに、今はその輪の中に自分の居場所はもうなかった。胸の奥に冷たい空洞が広がり、孤立の感覚が現実の形を持ち始めた。
午後のゼミでは、教授がいつも通りのテーマを話していた。だが、教室の空気は一斉に翔太郎へと向かった。誰も口には出さない。だが、視線が背中に突き刺さる。ノートを取る手が震え、文字が歪んでいく。心臓の鼓動が速くなり、耳の奥で血の音が響いた。自分だけが透明な壁に囲まれ、孤立しているようだった。
帰り道、夕暮れの街は人で賑わっていた。だが、翔太郎にはその喧騒が遠い世界の音にしか聞こえなかった。アルバイト先からは「来るな」と言われ、仲間からも距離を置かれ、大学でも噂にさらされる。居場所はどこにもない。人々の笑い声や会話が、すべて自分を排除するための合図に聞こえた。足取りは重く、街灯の下で影が揺れるたびに、自分の存在が薄れていくように感じられた。
部屋に戻ると、机の上に原稿が置かれていた。だが、もうそれを手に取る気力はなかった。椅子に腰を下ろし、頭を抱える。取調室での言葉が繰り返し蘇る。
「原稿、死因、座席、そしてあなたの行動。偶然では説明できない一致が四つある」
その言葉は呪いのように胸に絡みつき、呼吸を浅くした。翔太郎は深く息を吐いた。証拠不十分で保釈されたとはいえ、疑いは晴れていない。周囲の視線は冷たく、孤立は深まるばかりだ。
「このままじゃ、俺は犯人にされる……」
その瞬間、胸の奥に別の感情が芽生えた。恐怖と絶望の底から、かすかな決意が立ち上がる。怒りにも似た熱が、冷え切った心臓の奥でじわりと広がった。自分を守るためには、ただ耐えるだけでは足りない。
「自分で探すしかない。犯人を見つけて、俺じゃないって証明するんだ」
翔太郎は机に置かれた原稿を見つめた。そこに書かれた手口が、事件の真実に繋がっているのなら――その糸を辿るしかない。孤立の果てに、彼は自ら犯人を探す決意を固めた。




