彼女が現れる話
今日はバイトの日だ。
速やかに下校を済ませると即座にそこへ向かう。
中華料理店、『享楽楼』。
元々、父さんがここの常連で俺もよく母さんに内緒で連れていってもらったのだ。
「お、来たね」
「毎度どうもです、店長」
「堅くならなくとも昔みたいに李さんで良いじゃないか」
「いえいえ、前はそうでも今は只のバイトですから」
「君は本当に君の父さんに似てるなぁ。義理堅くて頑固者だ」
李店長は人好きのする笑顔と快活な性格をした五十代前半のおっさんだ。
物覚えが良く、顔と名前が合致しないことがないのだとか。
料理の腕も確かなもので常連は少なからず存在している。
しかし、天が一物もニ物も与えたかと言えば決してそうではない。
「それじゃ、制服に着替えて」
『享楽楼』の制服が李店長のデザインなのだが…異様にダサいのだ。
黒いTシャツ、これは良い。
中華料理店なのに日の丸と『cool japan』のプリントが入った背面…これも百歩譲って良いとしよう。
『享楽楼』の文字とデカデカと前面に出された李店長の顔のプリント。
ちょっと理解出来ない。
店長は美的感覚が欠損しているのだ。
厨房に回ればジュウジュウと油が爆ぜる音とタイマーの音が慌ただしく鳴り響いていた。
「で、何でここにいるのやら…」
「あら、私が居るのは不満かしら?」
可愛らしく首を傾げたのは渦中の霧島さんだった。
「何でここにいるんだ?」
「私実はここの豚骨ラーメンが好きなの」
「案外良い趣味してるな。でも察するにニンニク少なめ野菜増し増しのオプションじゃない?」
ここ、享楽楼の根強い人気を集める豚骨ラーメンだが、その真価はー、
「何を言ってるのかしら。ニンニク多め野菜増し増しカラメがデフォルトよ」
「霧島さんが案外ガチで驚いてるよ…。にしても何でそのチョイス?今までバイトの時に霧島さんは居なかったし、不思議だと思ってね」
「あなたのストーキングを長いことやってればその程度なら朝飯前で分かるわ」
うわぁ…ストーキングされていたとは…?
ん?
これは少々不味い事になるかも知れない。
顔の筋肉が自然と引き攣るのが分かった。
「あー、それであんな事を…」
「あんな事って何かしら?」
「それは…」
「おーい懐君。またプラナリアチャレンジの時間じゃないかい?」
「あ、はーい!ちょっと待って下さーい!」
俺はバイトを早めに切り上げると先週から予約していたプラナリアチャレンジをする為にカウンター席に着く。
プラナリアチャレンジとは、享楽楼に於いて常連のみが知る所謂大食いチャレンジだ。
さて、プラナリアのプラナリアたる所以だがーワカメにある。
あるバイトがワカメラーメンを客に出す際に乾燥ワカメと生ワカメの分量を間違えた事でスープを吸収し、無限再生するプラナリアの様な極悪ラーメンが誕生したのだ。
以来、李店長の悪ノリにより正式にプラナリアチャレンジとして常連専用裏メニューに追加されたのだ。
因みに、李店長の悪ノリは案外苛烈で元祖のプラナリアラーメンにステーキ並の大きさの焼豚をなんと三枚も載せ、スープをギトギトな焦がしラードベースの黒い熱々スープに変更した事で焼豚で物理的なインパクトを、そしてスープでワカメと麺の凶悪さを底上げしたのだ。時間が経てば経つ程麺とワカメがスープを吸い込みカサを増していく上に熱々のギトギトが絡みつく、と言えば理解し易いだろうか。
完食でプラナリアチャレンジ自体無料の上、デザート無料。
更にソフトドリンクの無料チケット五枚が付く。
失敗したら二千五百円の手痛い出費となる。
「ほい、プラナリアチャレンジ一丁」
出されたのは零れ落ちそうな程のワカメの山。
俺は手を合わせると嫌な事は食って忘れろとばかりに猛烈な勢いでワカメに手を伸ばす。
熱い。
幾層にも折り重なったワカメは熱を籠らせ熱いものを熱いままにしていた。
はふ、はふ。
ズゾゾッと勢い良く麺をワカメごと啜り上げる。
程よく縮れた麺がギトギトのスープをドレスの様に纏う。
熱い。
この麺がストレートではないのは勿論、スープの油で胃をもたれさせる為だ。
マトモに相手をしようとするものなら胃が油の拒絶反応を起こしかねない。
しかしー旨い。
ここは中華料理屋なのだ。
これがどうして不味かろうか?
熱いスープだが…冷めたスープと比べれば輪郭がボヤけずに鮮烈な衝撃を舌にダイレクトに伝えていく点が評価出来る。
手が止まらないー。
次第にカサを増すワカメープラナリアが始まったか。
だが、これを攻略した人はこう言っていた。
『ワカメって…噛まなくて良くね?』
つまり、ワカメは飲み物。
敢えて噛まずに上顎と舌で押し潰す事により満腹中枢を極力刺激しない様に注意しながら更に加速していく。
「…大食いなのね。意外だわ」
「貧乏人はみんなこんな感じだと…思うよ」
ステーキの様な焼豚に齧り付く。
口内に秘伝のタレと肉汁の洪水が発生し直ちにこれを嚥下する。
一度水を口に含み今度はワカメー。
それを何度も繰り返した。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした。いやぁ懐君今日も良い食べっぷりで惚れ惚れするよ。料理人冥利に尽きるね。デザートは食べるかな?」
「ええ、勿論」
デザートはプラナリアチャレンジで熱くなった舌を冷ますアイスクリームだった。
「甘い…!」
「じゃあ、私はそろそろ行くわね。新しい話のネタも思い付いたし、結果は上々ね」
去って行く霧島さんを横目に俺はー甘味の至福に包まれていた。




