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黒いバン

2028年6月10日


しばらく車内には沈黙が流れていた。

人のよさそうな印象を受けた斎藤とはいえ、何を話せばいいのか瀬川にはよく分からなかった。ついさっき、持ち主に無断で倉庫から荷物を運び出してきたところだ。普段どんな仕事をしているのか、どこで新村と知り合ったのか。気にはなったが、知り合って1時間も経っていない相手にどこまで聞いていいものか、判断がつかない。

かといって、隣でいきなりスマホをいじり始めるのも図々しいようで気が引けた。結局、瀬川は窓の外を見ることにした。


軽トラが駅前通りへ出ると、駅へ向かうらしいサラリーマンや、買い物袋を提げた女、通学中の小学生の集団が見えた。ニュースの向こうでは死んだ人間が動き出しただの、人を襲っただのという話が流れているのに、目の前だけを見ていると、とても同じ世界で起きていることとは思えない。

ただ、以前と比べれば、この時間、この場所にしてはやはり人が少ないような気がした。


目につく人間の大半がマスクをしている。瀬川の部屋に積んであるのと同じ箱から出したものも、どこかにはあるのだろう。今朝も駅へ来る途中、まだ開いていないドラッグストアの前に短い列ができ、閉まった扉のガラス越しに店内を覗き込んでいる人がいたことを思い出した。


信号が青になった。斎藤が車を動かしかけたところで、後ろから短くクラクションを鳴らされた。


「今変わったばっかだろうが」


斎藤はミラーへ一度目をやっただけで、そのまま車を出した。


少し先の信号で再び止まると、今度は斎藤の方から口を開いた。


「瀬川って、普段は何してんの?」


「ああ、その、色々ですよ。物を仕入れて、ネットで売ったりとか」


「自分の店じゃなくて?」


「ネットだけです」


「ああ、転売?」


あまりにあっさり言われ、瀬川は少し言葉に詰まった。間違いではないが、自分から名乗りたい職業でもない。


「まあ、そう言えばそうですけど。今はマスクとか消毒液とかですね。後ろに積んでるのと同じようなやつ」


信号が変わり、軽トラが発進した。斎藤は前を見ながら「売れる?」と聞いた。


「かなり。最近は景気いいですよ。何かニュースが出るたびに注文増えますから」


「じゃあ今日、こっち来てて大丈夫だったのか?」


「物運ぶだけで8万ですからね。それに、売るだけなら家にいなくてもできますし」


斎藤はそれ以上、商売のやり方に口を出すつもりもなさそうだった。そのことが分か

ると、瀬川は背もたれに少し深く身体を預けた。


「転売も楽じゃないですよ。買う前は早く送れだの何だの言うくせに、買ってから高かったって文句言ってくる人もいるし。値段なんて買う前から分かってるだろって思うんですけど」


「払ったあとで惜しくなるんだろ。店にも全然置いてないし、買う方も必死なんじゃないの」


「こっちは値下げ交渉まで付き合ってるんですけどね。そもそも日本じゃまだ確認されてないのに、みんな大げさなんですよ。海外のニュースも、別に毎回そんな酷い話じゃないのに」


「ネットにはいろんな映像が転がってるからな。怖いのだけ見てりゃ、そりゃそうなるだろ」


斎藤がそう答えたところで、後ろからサイレンが近づいてきた。


ミラーを確認した斎藤が車を左へ寄せ、前を走っていた乗用車も速度を落とす。救急車が中央寄りを抜け、そのまま交差点へ入っていった。拡声器から流れる声は、閉じた窓越しにも聞こえた。


荷台の後ろでハチが顔を上げた。遠ざかる音を追うように耳を何度か動かし、それからまた毛布へ顎を乗せる。


救急車が通り過ぎると、後ろにいた乗用車がその後ろへつくように前へ出てきた。斎藤は車線へ戻りかけて、もう一度ブレーキを踏んだ。


「何なんだよ、こいつ。あぶねえな」


乗用車はそのまま救急車の後ろを追い、前方の車列へ紛れていった。斎藤は小さく息を吐いてから軽トラを元の位置へ戻した。


「最近、多いよな。救急車もパトカーも。昨日も夜中に何台か走ってたよ」


「もしかしてアレですかね。PMRS」


「なわけ。だったらとっくに発表されてらぁ。さしずめ、世界滅亡を信じたバカが自

殺したとか暴れたとか、そんなもんだろうよ」


瀬川は前方へ消えていった救急車の方を見た。サイレンだけはしばらく聞こえていた。


「まあ、そうですよね」


「そういやさ。都市伝説とか興味ある?」


突拍子もない話に思わず瀬川は斎藤へ顔を向けた。


「え、まあ、嫌いじゃないですけど」


「じゃあ、人をさらう黒いバンの話は知ってるか?」


その話には覚えがあった。


いや、覚えがあるどころではない。数日前、自分のアカウントで流した投稿の1つだった。ネット掲示板にあった匿名の書き込みをいくつか拾い、各地で似たような目撃談が出ているという形にまとめた。書き込んだ人間が本当に別人なのか、誰かが同じ話を何度も貼っているのかまでは確かめていない。


それが思いがけずバズった。数字が増えていくのが面白くて、何度も画面を更新した記憶がある。


「ネットにも出てたけど。見てない?」


「いや、知らないですね」


反射的に答えていた。投稿したのは俺です、とは言えなかった。


「へえ。結構回ってきたんだけどな。夜中に黒いバンが家とか病院に来て、人を乗せてどっかに消えちまうって話。連れていかれるのがPMRSの患者、もしくはゾンビって噂。国がどこかに集めてるんじゃないかって」


最近では、再活動した死体をスラング的に「ゾンビ」と呼ぶ。


確か海外のネット掲示板で使われだした言葉だったはずだが、いつの間にか日本にも輸入されたのか、日常生活でもその言葉を耳にする機会は増えていた。斎藤も当たり前かのようにゾンビと言った。


「俺、あれは案外本当なんじゃないかと思ってんだよ。後輩に、夜の店で女の子の送迎やってるやつがいるんだけど、そいつが何週間か前に変な車を見てる」


瀬川は、口元に浮かびかけた笑いを抑えた。


「どんな?」


「夜中の2時か3時くらいだったかな。迎えに行って近くで待ってたら、ヘッドライトを消した黒いバンが道の向こうに止まったんだと。中から3人か4人が降りて、近くの建物に入っていった。しばらくしたら、今度は誰かを連れて出てきて、バンに押し込むみたいに乗せたらしい」


「それ、どこです?」


「神奈川の南のほう。この前そいつと飲んだ時に聞いた」


瀬川は膝の上で手を組み直した。


自分が拾った書き込みに、神奈川で店の送迎をしている人間が見たという話はなかったはずだ。


「動画とか、ドラレコは残ってないんですか?」


「そこまでは聞いてないな。俺も最初は警察か何かじゃねえのって言ったんだよ。あるいはそいつと同じような誰かの送迎とか。ただ、そいつは例のバンだって言い張っててさ。暗くて良く見えなかったんだろ聞いたら、あいつ渋い顔してたな」


斎藤は思い出したように笑った。


「まあ、酒飲みながら聞いた話だからな。俺だって本気で信じてるわけじゃない。面白けりゃそれでいいんだよ、ああいう話は」


「でも、本当に誰かを連れてったなら、その人どうなったんです?」


「知らんよ。そもそも誰だったのかも分からないんだから、帰ってきたかどうかだって分からん。知り合いが見たってのも、その程度の話」


結局、やはりその程度だった。


黒い車が止まり、何人かが建物へ入り、誰かを連れて出てきた。見たという人間がどこまで本当のことを話しているのかも分からないし、仮に全部事実だったとしても、それがPMRSと関係している証拠は何もない。斎藤の後輩が都市伝説を知った上で、ただの送迎車をそれらしく見てしまった可能性だってある。


それでも、自分が適当に拾い集めて拡散した話の外側で、似たような出来事を見たという人間が実際にいるらしいことは、瀬川には少し気味が悪かった。


「そいつ、わざわざ嘘つくようなやつじゃないからさ。少なくとも、何か変なのを見たのは本当だと思うよ」


「でも、仮にあれが本当にPMRSの患者だったら、国内にもいるってことになりますよね」


「だから俺だって、そこまでマジで信じちゃいねーって。酒の席での話なんか、面白ければ何だっていいじゃねえか」


少し語気が強くなったので、瀬川はそこで話を切った。


政府は、国内での感染を確認していないと言っている。窓の外を眺めながら、瀬川は暗い道に停まった黒い車へ誰かが押し込まれていく場面を想像した。自分があの投稿を作った時には、そんな光景を具体的に思い浮かべたことはなかった。どんな見出しなら読まれるか、何を入れれば数字が伸びるか。そればかり考えていた。

もし、その送迎をしている男から直接話を聞けたら、匿名掲示板の書き込みを拾ってくるよりはよほど読まれそうだった。


そこまで考えてから、瀬川は自分でもバカバカしくなって頭を振った。もう賞味期限の切れたネタだ。


「……あれ、ここ駄目か?」


斎藤の声に顔を上げた。


交差点の手前に赤いコーンが並び、左折する車だけが流されていた。直進しようとした車は警察官に止められ、順番に左へ曲がるよう指示されている。交差点の向こう側には、パトカーが1台、車線を塞ぐように斜めに止まっていた。

斎藤が窓を下げると、外の熱気とエンジン音が一気に入り込んできた。


「すみません、真っすぐ行けないんですか?」


「この先、通行止めです。左へお願いします。誘導に従って進んでください」


後ろにも車が詰まっている。斎藤はそれ以上聞かず、片手を上げて左へ曲がった。

瀬川は交差点の先へ目を向けた。規制の向こう側を何人か歩いているのは見えたが、何をしているのか分かる前に建物の陰へ隠れてしまった。


「事故ですかね」


「分かんねえ。ちょっとナビ見てくれる? もう少し先で戻れそうか」


瀬川はスマホを取り出して地図を開き、現在地から先を指で辿った。


「1本先から戻れそうです。たぶん」


ところが、実際に曲がってみるとそこにも規制があった。前の車が交差点で止まり、運転手が警察官と何か話している。


「こっちもかよ」


斎藤はハンドルを指で叩いた。


結局、さらに大きく回り込むことになった。細い道へ入り、対向車を待ちながら何度か脇道を抜け、ようやく幹線道路へ戻る。10分かそこらで抜けるつもりだった区間に、倍以上の時間がかかった。


途中で斎藤がラジオをつけると、軽快な音楽のあとに、瀬川の知らない男2人が昨日食べた料理の話で笑っていた。しばらくして交通情報へ切り替わったが、今引っかかった規制の理由ははっきりしない。近隣では交通事故による一部道路の通行止めがあるらしく、その後は別の場所の事故渋滞と落下物の情報が続いた。


「今の、俺らがいたとこですかね」


「近くだとは思うけどな」


斎藤はそれだけ言って、合流しようとしている車へ道を譲った。

瀬川はもう一度地図を見る。さっき通れなかった道には、まだ通行止めの表示が出ていなかった。


やがて高速道路へ入った。料金所を抜けると、さっきまでの迂回が何だったのかと思うほど車は普通に流れていた。配送トラックや営業車に混じり、後部座席に子供を乗せた乗用車が走っている。

瀬川がナビの到着予定時刻を伝えると、斎藤は「これ以上引っかからなきゃ大丈夫だな」と言って冷房の風量を1つ下げた。

ラジオでは、もう別の曲がかかっていた。

*

指定された場所へ着いたのは、予定より30分ほど遅れてからだった。

スマホで見せられたとおり、幹線道路沿いに建つ2階建ての店舗だった。看板を外した跡が壁に残り、ガラス戸の内側には目隠しの紙が貼られている。駐車場には白いワンボックスが止まっていた。

斎藤が電話をかけると、ほどなく建物の横から黒いポロシャツを着た、腹の出た中年の男が出てきた。


「遅かったね」


「道が混んでてな。どこにつける?」


「横でいいよ。奥の扉開けるから」


男は斎藤には気安く話しかけたが、瀬川へは軽く目を向けただけだった。

軽トラを建物の横へ回し、荷台のシートを外す。中からはもう1人若い男が出てきて、搬入口を開けた。がらんとした室内の壁際にはすでに段ボールが何列も積まれ、床には小さな台車が2台置かれている。


瀬川も車から降り、荷台から箱を下ろして若い男の指す場所へ運んだ。朝と違い、今度は最初から全員が動いたので、作業は早かった。


マスクの箱が次々と壁際へ積まれていく。その中には、瀬川の部屋に置いてあるものと同じ品番もいくつかあった。自分が数セットずつ売っている間に、こういう場所では同じ商品が箱単位で動いているらしい。


最後の荷物を下ろすと、ポロシャツの男が紙と箱を見比べながら確認を始めた。斎藤は車の横にしゃがみ、ハチへ水を飲ませている。


瀬川は日陰へ入り、スマホを確認した。商品の問い合わせが2件届いていて、1件は発送予定、もう1件は値下げについてだった。

定型文で返していると、斎藤に呼ばれた。


「瀬川、終わり。新村に連絡しといたから、向こうの確認が済むまでちょっと待ってな」


「ああ、はい」


斎藤はポロシャツの男と少し話してから軽トラへ戻った。


行きの車内では、隣でスマホを見ることにさえ妙な遠慮があったのを、瀬川はもう気にしていなかった。画面を閉じると、そのまま新村とのメッセージを開く。


『終わった。振込よろしく』


斎藤が運転席へ乗り込み、エンジンをかけた。


「帰り、駅でおろしていい? その前に飯食ってっていいかな。腹減っちゃって」


「いいですよ。あと俺も腹減りました」


答えたところで、新村から通知が来た。


『入れた。確認して』


銀行アプリを開くと、残高が8万円増えていた。

時刻はまだ昼前だった。朝の荷運びはきつかったし、途中の道も面倒だったが、体を動かして金を稼ぐ喜びというものを少し感じた気がした。もっとも、だからといって真っ当に働く気はさらさらない。


「給料は振り込まれたか?」


「はい。ちゃんと8万」


「よかったな」


瀬川は残高をもう一度見てから銀行アプリを閉じた。


「斎藤さん、飯、奢らせてください。運転もしてもらいましたし」


「いいの? じゃあ遠慮なく。何食いたい?」


「冷たいのがいいですね。もう汗だくなんで」


瀬川はスマホをポケットへしまった。

斎藤はうなずき、駐車場の出口へ軽トラを向けた。冷房から流れてくる風へ手をかざしながら、瀬川は道沿いに何か良さそうな店がないか探し始めた。

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