運び屋
2028年6月10日
新村から指定された場所は、瀬川の最寄り駅から数駅先で降り、駅裏を10分ほど歩いたところにあった。住宅の間に小さな自動車修理工場や資材置き場が点在する一画だった。この近さも、新村が彼に仕事を紹介した理由の一つだろう。
倉庫と聞いて、瀬川は大型のシャッターやトラックの搬入口を備えた、工場に併設されているような建物を想像していた。しかし、目の前にあるのは低い屋根の下にシャッターがいくつか並ぶ平屋で、どちらかといえば個人が借りる物置に近かった。建物の前には車を横付けできる程度の舗装された空地があり、その端に新村が立っていた。
朝の8時。6月初旬にしては蒸し暑い日で、セミがどこかで鳴いていた。
「よお、懐かしいな」
1年ぶりの再会だというのに、新村は随分と淡泊な反応だった。もっとも、瀬川とて熱い抱擁を期待していたわけではない。それでも、挨拶もそこそこにスマホを取り出した見慣れた顔を見ていると、今日は思い出話に花を咲かせるために呼ばれたのではないのだと、少し寂しい気持ちになった。
「それで、俺は何をすればいいんだ?」
刺すような日差しに目を細めながら、新村の顔を見る。
「この倉庫の荷物を、ここまで運んでほしい」
差し出されたスマホには地図が表示されていた。目的地は県境を越えた先の、幹線道路沿いだった。新村が画面を切り替えると、看板を外した二階建ての店舗が写った。店の前には数台分の駐車場がある。
「ここだ。向こうには人がいるから、細かいことはそいつに聞いてくれ」
「こんなところまで持っていくのか。何で宅配便とか使わないんだ」
「できるならおまえを呼んでないよ」
「なんだそれ。何を運ぶんだよ?そろそろ教えてくれたっていいだろ」
「ああ、昨日も言ったが物は合法だ。マスクとか消毒液とか、医療用の手袋とか。あとは薬とか」
「なんだよ。俺が売ってるのと同じじゃねえか」
瀬川はシャッターを見た。この中いっぱいに積んであるのだろうか。だとしたら、自分の部屋にある在庫など大した量ではない。こいつまで同じ商売をしているのか?
「それなら、何で昨日あんなにもったいぶったんだよ」
「俺の引っ越し荷物じゃないからな。やるかどうかも分からない相手に、べらべら勝手に話せないだろ」
「へぇ。で、医薬品を何で発送してもらえないわけ?」
新村はスマホをしまい、シャッターの前へ歩き、こぶしでシャッターを叩く。ガシャンと音が鳴る。
「うちの客が、ある業者から医薬品をまとめて買ったんだよ。今みたいに品薄になる前にな。この倉庫の中にその商品がある。ところが、今になってその業者が引き渡せないって言い出してんだ」
「金払ったのにか?」
「一部だけな。残りは金払ってない。買掛金とかあるだろ」
よくわからないという顔をしている瀬川の顔を見て新村はため息をつく。
「まぁいい、要するに俺らの客はその品物の受け取りを希望している。だから俺らがここにいるわけ」
新村はポケットから鍵を出した。
「それで、そこに持っていくわけ?この倉庫の持ち主に無断で?」
「売る約束をしたのはその業者だ。こっちの客も、もう次の売り先を押さえてる。現物が入らないと、余計に揉めるからな。なんであれ悪いのはその業者だ。」
「その業者にそう言えばいいのになんで俺たちがこんな泥棒みたいなマネをするんだ」
「知るか。それは当事者同士で話せばいい。金は受け取ったから依頼通り俺らはこいつを運び出すだけだ」
「その鍵、どうしたんだ?」
「俺も知らない。とにかくこいつでここを開ける」
おいおい、本当に大丈夫なのかそれは。新村に聞きたかったが、さも当たり前かのような表情をしてスマホに何かを打ち込んでいる新村にそれを聞くことはできなかった。とにかく、8万で交渉が成立したんだ。いろ
いろ詮索して臨時収入を失うことほど愚かしいことはない。
「お前の仕事は、」
新村がスマホから顔を上げずに言う。
「車にこの倉庫の中身をすべて積み込んで、そのまま向こうへ運ぶ。それだけだ。簡単だろ?」
瀬川はもう一度、建物を眺めた。隣の区画のシャッターも閉まっている。近くの通りを走る車の音と、セミの声が聞こえていた。
「俺の8万は、いつ振り込まれんの?」
「向こうについたことが確認できれば俺から払うさ。文句ないだろ?」
瀬川はうなずいた。腕時計で時刻を確認した新村が言う。
「もう一人も、そろそろ来る。そいつと二人でやってくれ」
軽トラが倉庫の駐車場に止まったのはそれから3分かそこら後のことだった。
俺は要するに今から運び屋の手伝いをすることになるのか。瀬川は今日一緒に仕事をすることになる相方を、大柄でいかつい、いかにも反社といった男を想像していた。彼のイメージでは運び屋とはそういう男がやるものだった。しかし、運転席から降りてきたのは、洗い込んだ灰色のTシャツに紺の作業ズボンを穿いた、痩せた背の高い男だった。三十代後半くらいだろうか。短く刈った髪に寝癖が残り、首から下げたタオルで額を拭いていた。
男は瀬川に気づくと、首のタオルで顎を拭きながら近づいてきた。
「どうも。君はえーと、新村が言ってた人?」
「あ、はい!瀬川です。今日はよろしくお願いします!」
「そんなかしこまんなくていいよ。俺は斎藤。今日はよろしく」
斎藤は笑いながら、軽トラを振り返った。運転席の窓から犬が顔を出し、こちらを見ていた。長い耳が窓の縁に垂れている。
「ちょっと待ってな。ハチを降ろすから」
運転席のドアを開けてやるとハチと呼ばれた犬が駆け下りて瀬川のところに向かってきた。白と茶と黒の毛をしたビーグルだった。
「こら、ハチ。行儀が悪いぞ」
斎藤の静止も効いていないようで、ハチは前両足を瀬川の膝上あたりに寄りかからせ、熱心に匂いを嗅いだ。
「こら!ハチやめろ。ごめんな、犬、大丈夫か?」
「まあ、大丈夫です」
「よかった。こいつも乗るから」
斎藤は車から持ってきたリードをハチの首につけると、短く持ち直しハチを抱きかかえる。
「で、新村。荷物どれくらいあるんだ?」
「段ボール20個とかそこらだな」
「おいおいそんな量のせらんねぇよ。軽トラ一台でいいって言ったのお前じゃねえか」
「とりま見てから言ってくれ」
「見たとて軽トラはいきなりでかくなんねぇよ」
2人がやり取りしているのを横目に瀬川は斎藤が抱きかかえているベーグル犬を見ていた。先ほどまで一心不乱に斎藤の顎をなめていたせいで、斎藤の顎が唾液でてらっているが気にしてはいないようだ。
新村が鍵を回し、シャッターを持ち上げた。金属の擦れる音とともに、倉庫の中へ朝の光が差し込む。こもっていた生暖かい空気が流れ出し、瀬川は思わず顔をしかめた。乾いた段ボールの匂いに、埃っぽい匂いが混じっていた。
中は奥行きがあり、壁に沿ってスチール製の棚が並んでいた。棚には半端に口の開いた箱や梱包用の資材が置かれ、床の中央には大小の段ボールが固めて積まれている。天井の蛍光灯は消えたままで、奥のほうは薄暗い。裸のコンクリートには黒い擦れ跡が何本も走り、隅にはキャスターのついた台車が立てかけられていた。
斎藤はハチを抱いたまま、入口から中を覗いた。
「積んであるやつだけか?」
「ああ。棚の物は置いといていい」
新村が床の段ボールを指した。斎藤は荷物の周囲を一回りし、箱の側面を見てから軽トラを振り返った。
「まあ、これくらいならいけるか。瀬川、悪いけど軽いやつから車のとこまで出しといて。積むのは俺がやるから」
「分かりました」
瀬川は手前の段ボールに手を掛けた。両側を抱え込んで持ち上げると、拍子抜けするほど軽かった。
側面には青い文字で『不織布三層マスク』とあり、その下に箱ごとの枚数と入数が印刷されていた。品番の横にはバーコードのシールが貼られ、角には古い配送伝票の一部が残っている。自分の部屋にもある商品だった。ただし、こちらは一箱ずつ仕入れたものではなく、メーカーの箱にまとめて入っている。
軽トラの後ろまで運び、地面に置いた。倉庫へ戻る途中、斎藤が入口脇の日陰にハチを座らせていた。リードを重そうな工具箱の取っ手に結び、足元へ折り畳み式の器を置く。ペットボトルから水を注ぐと、ハチはすぐに顔を突っ込んだ。
次の箱も同じような大きさだった。瀬川は深く考えずに持ち上げようとして、途中で手を止めた。
「おっも……」
印刷されているのは消毒液の商品名だった。箱の下へ指を差し込み、膝を曲げて抱え直す。中でボトルが触れ合う鈍い音がした。
これもよく売れるやつだ。自分なら一本いくらで出すかを考えながら運んだが、軽トラに着く頃にはそんな余裕もなくなった。先ほどの箱の隣へ下ろし、腰を伸ばす。すでに背中に汗をかいていた。
倉庫の入口では、新村と斎藤がスマホを覗き込み何かを話し込んでいた。
瀬川は二人の脇を通り、今度は側面の表示を確かめてから箱を持った。使い捨て手袋だった。軽くはないが、消毒液よりはましだった。
さらに二箱運んでも、二人はまだ話していた。新村が何かを説明し、斎藤がスマホの画面を指で広げている。
「すんません」
二人が顔を上げた。
「この床に置いてある段ボール俺が全部運ぶんですか?」
「ああ、悪い悪い。今行く」
斎藤はスマホから離れ、地殻の段ボールを持ち上げる。
「新村、おまえもそっち持って」
「俺もやんの?」
斎藤は新村の顔を見てから、倉庫の床にある箱を指した。
「文句言わずにやれよ。3人でやったらすぐ終わるぞ」
新村は露骨に面倒そうな顔をしたが、スマホをポケットへしまい、箱に手を掛けた。
斎藤は軽トラの荷台を開き、瀬川が出した箱を積み始めた。先ほどまで新村とだらだら話していたのに、手を動かし始めると早い。箱を置く向きを確かめ、隣との隙間を詰めていく。
倉庫の入口でハチが立ち上がり、新村の足元へ鼻を伸ばした。新村が半歩避けると、さらにその足を追いかける。
「斎藤、こいつどうにかしてくれ」
「お前がくせぇのが悪い」
「黙れ。どうにかしてくれよ、下手したら蹴とばしちまうぞ」
「放っておけ、すぐ飽きる」
新村は納得のいかない顔をしていたが、ハチはしばらく靴の匂いを嗅ぐと、また日陰に腹をつけた。
積み込みが終わる頃には、瀬川のTシャツは背中に張りついていた。倉庫の中央はすっかり空き、箱が置かれていた部分だけ、床の色が少し違って見えた。
斎藤が荷台にシートを掛けている間に、瀬川は使った台車を元の場所へ戻した。新村は入口から中を確かめ、二人が出るのを待ってシャッターを下ろした。
鍵を掛ける音を聞きながら、瀬川は軽トラの荷台を見た。自分一人なら、売り切るまでにどのくらいかかるだろう。仕入れ値はいくらだったのか。新村に聞いても、まともに答えはしない気がした。
「ほら、乗って。冷房つけたから」
斎藤に呼ばれ、助手席へ回る。ハチは先に車へ戻され、座席の間に敷かれた毛布の上で丸くなっていた。瀬川が乗り込むと顔を上げたが、靴の匂いにはもう興味がないらしく、すぐに顎を伏せた。
新村が開いた窓へ近づいてきた。
「着いたら連絡くれ。向こうにも言っとく」
「8万、忘れんなよ」
「分かってるよ」
軽トラが動き出すと、新村は片手を上げた。瀬川も手を上げ返したが、新村はすでにスマホへ目を落としていた。
倉庫の敷地から道路へ出たところで、斎藤が口を開いた。
「瀬川、新村とは長いの?」
「高校からですね。今日会ったのは一年ぶりくらいですけど」
「へえ。同級生か」
「斎藤さんは?」
「俺は仕事だけ。何回か一緒にやってる」
瀬川は送風口を自分へ向けた。汗をかいた胸元へ冷たい風が当たり、ようやく息がつけた。
隣ではハチが鼻先を毛布に押し込み、目を閉じようとしていた。
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