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第9章 魔物の道徳心と先駆者の閃き

ナヴィンが自身の部屋へと戻ると、重厚で不気味な鉄の扉が、背後で重く響く音を立てて閉まった。広大な第4階層の玉座の間は相変わらず静まり返っており、永遠の青い炎が篝火かがりびの中で揺らめいては、黒曜石の床に長い影を落としている。

彼は鉄と骨で鍛造された巨大な玉座へと上り、そこに腰を下ろした。そして、滑らかなガンメタルグレーのあごを小さな骨の手の平に乗せ、さっき起きたことについて深く考え込んでいた。

彼は「死」という概念について考えていた。

アンデッドの魔物がそんなことを思い悩むのは奇妙な話だが、ナヴィンは普通のアンデッドではなかった。【魂の女神】は彼の空っぽの頭蓋骨の中に、極めて精巧で純粋な「魂」を吹き込んだのだ。魂があるからこそ、彼はあらゆる感情を抱く。喜びや誇り、怒り、そして――厄介なことに「同情あわれみ」すらも。

これまでの二日間、彼はダンジョンメニューの青い画面を通じて、84人もの人間がルクや骸骨たちによってほふられていくのを見てきた。レベルアップの歓喜や、富豪のようにダンジョンポイント(DP)を浪費する快感の裏で、彼の新しく生まれた魂の片隅には、かすかな罪悪感が芽生えかけていたのだ。

(僕、もしかして屠殺場とさつじょうを経営してるのかな……?)

人間たちにも家族があり、生活があり、夢があるはずだ。ナヴィン自身、初めてこの世界で目を覚ました時、巨大なルクに食べられるのではないかと、身体がすくむほどの恐怖を感じた。恐怖がどんなものかを知っているからこそ、自分が人間側の言う「残虐な怪物」になっているのではないかと、心が重くなっていた。

「もし本当に、僕の縄張りに足を踏み入れただけで永久に死んじゃうんだとしたら……」

ナヴィンは新しく買った二本の短剣――『毒牙の短剣』と『ダメージ噴出の短剣』の柄をいじりながら、ぽつりと呟いた。

「僕って悪いスケルトンなのかな? なんだか、ちょっと心が重いよ」

彼は殺人鬼になりたいわけではなかった。未開の大陸で、最弱の種族として生き残りたいだけなのだ。だからこそ、ルクの言っていた「死んだはずの人間が蘇って何度も戻ってくる」という情報は、彼の倫理的危機を解決する最大の鍵だった。彼は真実を必要としていた。

そして、その時は来た。

それから2時間後、玉座の間の巨大な鉄の扉が地響きを立てて開き、ルクが第4階層へと姿を現した。体長20メートルの骨の鎧を纏った巨鳥は、相変わらず圧倒的な威容を誇っている。

「ハンターは連れてきてくれた?」

ナヴィンが玉座から念話で問いかけると、ルクは巨大な頭を縦に振り、その大きなくちばしで2人のハンターを無造作に前へと押し出した。

連れてこられたのは、あの赤髪の男と、二挺の短剣を持つ女だった。2人とも満身創痍で、かろうじて息がある状態だ。ルクによって徹底的に叩きのめされ、ナヴィンの命令通りに生かされたまま連行されてきたのだ。

赤髪の男と女の2人は、恐るべき巨鳥の背後にある、そびえ立つ玉座を見上げた。リッチやデスナイトのような恐ろしい魔王が座っているものと身構えていた彼らは――そこにいた存在を見て完全に言葉を失った。

第3階層のあの理不尽なボスのさらに上に君臨する存在が、まさか、たった2フィート(約60センチ)ほどの、ちっぽけなガンメタルグレーの骸骨だとは夢にも思わなかったのだ。おまけに、夜の闇のようなファントム・シルクのマントを羽織り、自分のサイズより何十倍も大きな椅子にちょこんと座っている。

「な、何だって……!? お前、ただのスケルトンじゃないか……!」

赤髪の男は、困惑と侮られた怒りで声を震わせた。

「どうして、お前がボスなんだ! お前のランク、あの第3階層のボスのやつより下じゃないか! 一体お前は何なんだ――」

突如として、部屋の気温が20度ほど急降下した。

ナヴィンの苛立ちに呼応するように、周囲のマナ密度が激しく膨れ上がり、青い炎が凍てつくような純白へと変色する。

「僕にお前たちの質問に答えるよう命じられた覚えはないぞ?」

ナヴィンの念話は、声ではなく「精神的な衝撃波」として人間の脳蓋に直接響き渡った。それは普段の子供っぽい口調ではなく、古代の墓石をすり潰すような、絶対的な服従を強いる王の威厳に満ちていた。

ナヴィンは玉座から立ち上がり、強化された速度ステータスを駆使して、滑るように階段を降りた。

カチ、コチ。カチ、コチ。

そして、床にへたり込む2人の戦士の目の前で足を止めた。

その光景は客観的に見れば非常にシュールだった。ナヴィンがあまりにも短身であるため、人間たちは床に膝をついている状態であるにもかかわらず、ナヴィンを【見下ろす】形になったのだ。逆にナヴィンは、彼らと目を合わせるために、頭蓋骨を思い切り後ろに反らさなければならなかった。

しかし、そのコミカルな構図とは裏腹に、ナヴィンから放たれるオーラは冷徹そのものだった。彼は腕を組み、底知れぬ好奇心を孕んだ真面目なトーンで問いかけた。

「教えて。どうしてハンターの君たちは生き返るの? 君たちは全員、不死身なのかい?」

女ハンターが血の混じった唾を床に吐き捨て、冷笑した。「誰が、お前みたいな薄汚いダンジョンの化け物に――」

その瞬間、ナヴィンの背後から巨大な影が迫った。ルクが地響きを立てて一歩前へ出ると、そのカミソリのように鋭い嘴を女の鼻先に突きつけ、低く地を走るような唸り声を上げた。

赤髪の男は恐怖に顔を青ざめ、慌てて両手を挙げた。

「わ、分かった! 言う、言うから助けてくれ!」男は悲鳴のように叫んだ。「村に……いや、人類の主たる王国、その名も『クラウンヘルム』王国の中心には、巨大な宝石があるんだ! その宝石に登録しておけば、ダンジョンの中で死んでも基本的には不死身になれる! でも、ダンジョンの外で死んだら本当に死ぬ! 宝石が俺たちの魂を繋ぎ止めてるんだ。ここで死んでも、装備を全部失うだけで、村の宝石のところで目が覚める仕組みになってるんだよ!」

暗い玉座の間に、ハンターたちの荒い呼吸音だけが響く。

ナヴィンは静かにそれを咀嚼そしゃくした。彼の知識ライブラリが「魂を繋ぐアーティファクト」と「蘇生ポイント」の概念を肯定する。

その瞬間、彼の心の中にあったモヤモヤとした霧が、完全に晴れ渡った。

(なんだ……! 僕、誰も殺してなかったんだ!)

彼らは本当に死んでいるわけではなかった。命の危険など一切ない安全圏から、ナヴィンたちの家へ強盗に押し入り、彼らを殺して金を稼ごうとしているだけ。ただのゲーム感覚、あるいはテーマパークのアトラクション感覚で、彼らの命を脅かしにきていたのだ。

ナヴィンには魂があり、あらゆる感情、そして同情さえも感じてしまう。だからこそ苦悩していたが、この「宝石」の存在を知ったことで、彼はもう罪悪感を抱く必要がなくなった。

ナヴィンの青い眼窩の奥の炎が、鋭く冷酷なスリット状に細められた。

「分かった」

ナヴィンがそう言った刹那、彼の姿がその場から完全に消え失せた。ベースの速度ステータスに加え、マントとアンクレットによる補正を得た彼の移動速度は、閉鎖空間の中で音速の壁を突破していた。

次の瞬間、彼は2人の背後に音もなく出現していた。

背を向けたまま、両腕を突き出すナヴィン。その右手の『毒牙の短剣』からは禍々しい緑の毒液が滴り、左手の『ダメージ噴出の短剣』は不気味な赤色のエネルギーを帯びている。

そして、その両刃には、すでに鮮血がべっとりと付着していた。

「なら、人間を殺ことに何のためらいもないね」

ナヴィンは骨の指先で器用に短剣を回転させ、腰のベルトへと収めた。

一瞬の静寂の後、2人のハンターの首が、体から滑り落ちるようにして床へ転がった。首を失った肉体がゆっくりと崩れ落ちる。

しかし、そこに血の海ができることはなかった。クラウンヘルム王国の復活の宝石の法則が発動し、首と胴体はまばゆい黄金の光へと包まれると、そのまま光の粒子となって天井を突き抜け、ダンジョンの外へと飛び去っていった。

床に残されたのは、彼らが落とした傷だらけの鎧や武器、そしていくつかのポーションだけだった。

ナヴィンは満足そうに息を吐き、マントを整えた。

「ふう、これで肩の荷が下りたよ。これからは安心してレベリング(狩り)ができるね」

【殺戮の数学】

その直後、ナヴィンの目の前に青いシステム画面が爆発的な勢いで出現した。カジノのジャックポットを引き当てたかのような、激しいアラート音が鳴り響く。

Dランクのハンター2人を倒して得られるベースの経験値は、合計で【8,540 EXP】だった。

しかし、システムはまだ計算を終えていない。ステータス画面の最上部にある、ひとつのアイコンが黄金の輝きを放ち始めた。

【称号発動:最弱のボス】

(効果:システムホストが直接獲得するすべての経験値に400%の倍率を適用する)

システムが再計算を行う。400%のバフ、つまり「4倍」だ。

8,540 EXP × 4 = 【34,160 EXP】。

凄まじい黄金のエネルギーの奔流がナヴィンの胸に飛び込み、彼の小さな体は一瞬宙に浮き上がった。その濃密なマナは、彼の骨の構造をさらに強固にし、 obsidian(黒曜石)のような深い輝きを纏わせる。

脳内に、小気味よい電子音が連続で鳴り響いた。

――ピピーン!

【レベルが5上昇しました!】

【レベル28に到達しました】

【進化の閾値を突破。Cマイナスをスキップします……】

【ランクCに到達しました!】

床に着地したナヴィンは、自分の身体に満ち溢れるCランクの圧倒的なパワーに酔いしれた。もはや彼はただの「硬いだけの置物」ではない。公式に中堅の脅威へと上り詰めたのだ。

しかし、興奮が冷めるにつれ、彼の優秀な論理回路がひとつの矛盾を弾き出した。彼はシステム画面の数値を二度見して、首を傾げた。

「えっ? なにこれ、こんなに大量の経験値が入るの!? どうして!? いつもはルクが倒しても、1キルにつき3,200 EXPくらいしか貰えなかったのに――」

ナヴィンが困惑の声を上げると、ダンジョンメニューがまるで彼を諭すように、新たなテキストボックスを表示した。

【システム通知:おやおや、お気づきになりませんでしたか? 配下の代理によってパッシブ(間接的)に経験値を得る場合、あなたの称号バフは適用されません。称号の効果が発動するのは、ホストであるあなた自身が【直接殺害】した場合のみです】

ナヴィンは文字通り硬直した。

彼は画面の文字を何度も読み返した。

つまり、彼はこの二日間、玉座の上で高みの見物を決め込んで天才の気分を味わっていたせいで、本来もらえるはずだった膨大な経験値をすべてドブに捨てていたのだ。

ナヴィンは両手で顔を覆い、金属質の指を頭蓋骨に這わせながら、深い後悔に身を震わせた。

「僕……ものすごい損失を出してた。ものすごい機会損失だよ……」

しかし、悔しさは一瞬で消え去り、彼の脳内に天才的なレベリング(効率的育成)のアイデアが閃いた。

「ということは……」

ナヴィンは悪魔的な笑みを浮かべ、青い目を爛々と輝かせた。

「これから時々、僕も第1階層(最初のフロア)に行くべきだね!」

彼は一瞬にして、超高速でレベルを上げるための新しいメソッドを思いついたのだ。わざわざ最上階のボス部屋で、お行儀よくハンターを待つ必要なんてどこにある? 自分には圧倒的な速度と凶悪な短剣があり、何より相手は死んでも生き返る都合のいい獲物なのだ。第1階層の墓場の霧に隠れて、入ってきたばかりのハンターを出待ち(スポーンキャンプ)し、片っ端から暗殺して回れば、4倍のバフで無限にレベルを上げられるではないか!

彼はファントム・シルクのマントをバサリとドラマチックに翻した。

「おやおや、見なよ、新しい攻略法の発見だ!」

彼は心からの喜びに声を弾ませ、いかにも自分が頭が良いかのような得意げな声を上げた。

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