第9話「粗末な刃物の限界と、光を失いかけた頑固職人」
「テティア、麻酔ペーストの効き目はどうじゃ?」
「は、はいっ! 患部周辺の感覚は完全に遮断されているはずです!」
数日後。ギルドの客室を改装した『仮設診療所』にて。
私は、魔獣に腕を深く抉られ、肉の中に折れた牙が残ってしまった冒険者の処置にあたっていた。
テティアが調合した局所麻酔薬を患部に塗り込んで数分。男は目隠しをされているものの、自分の腕をザクザクと切開されていることに全く気づいていなかった。
「ほ、本当に痛くねえ……。すげえ、教団の治癒魔法でも傷を塞ぐ時は熱くて痛いのに……」
患者自身が一番驚いている。
テティアは部屋の隅で、「わ、私のお薬が役に立ってる……っ!」と嬉し泣きしながら震えていた。
「ふむ。麻酔は完璧じゃ。しかし――」
私は、手の中にある狩猟用の短剣を見つめ、舌打ちをした。
「チッ……やはり、このなまくら刀では限界があるな」
麻酔のおかげで患者が暴れないため、狙った箇所を正確に切開できるようになった。しかし、肝心の『刃物』が太く、分厚すぎるのだ。
細胞を押しつぶすように肉を裂くため、出血量が多くなり、傷口の治りも遅くなる。血管や神経を避けるような繊細な手術など、夢のまた夢だ。
「よし、終わったぞ。後はザッシュ、傷口の洗浄と包帯を頼む」
「はい、先生!」
処置を終え、血まみれの短剣を机に放り投げた私は、大きなため息をついた。
「オスウェル。この街で一番腕の立つ鍛冶師はどこにおる?」
「鍛冶師、ですか?」
壁際で腕を組んで護衛をしていたオスウェルが、怪訝な顔をした。
「メスじゃ。それと鉗子に、開創器。……まあ名前は良い。とにかく、儂の描く図面の通りに、寸分の狂いもなく特殊な刃物や器具を作れる『職人』が要るんじゃ。今の道具のままでは、いずれ救えない命が出てくる」
「なるほど。ただ剣や鎧を打つだけの鍛冶師じゃダメだということですね」
オスウェルは顎を撫で、少し考え込んだ。
「腕だけなら、職人街の奥にいるドワーフの『グズガル』が一番でしょう。かつては王族の宝剣を打ったこともある伝説的な職人で、図面さえあればどんな複雑なからくりでも作ってみせると言われていました。……ですが」
「ですが?」
「数年前から、一切の仕事を受けていません。何でも、目を悪くしたらしく……今はただ酒に溺れるだけの、偏屈な爺さんになっていると噂です」
「ほう。目を悪く、な」
私は口角をニヤリと上げた。
「案内しろ。その伝説のドワーフとやらの面を拝みに行くぞ」
ルンデルの街の北側、カンカンと鉄を打つ音が響き渡る職人街。
その一番奥まった薄暗い路地に、グズガルの工房はあった。かつては立派だったであろう石造りの炉は火が落ちて久しく、周囲には空になった酒瓶が山のように転がっている。
「たのもーっ! 凄腕の職人はおるかー!」
私が大声で呼びかけると、工房の奥からドサドサと物が崩れる音がして、不機嫌極まりない怒声が飛んできた。
「うるせぇっ! 儂ぁもう鉄は打たねえって言ってんだろ! 帰れ帰れ!」
よろけながら出てきたのは、背丈は私と大して変わらないが、横幅が倍ほどもある筋骨隆々のドワーフだった。
立派な顎髭は酒と手入れ不足で汚れ、強いアルコールの匂いを撒き散らしている。
「……ひどい有様じゃな」
私は酒瓶を蹴りのけながら、グズガルに近づいた。
「ああん? なんだ、ただのガキじゃねえか。迷子なら他所へ行け、ここは遊び場じゃねえ!」
「遊びに来たのではない。仕事の依頼じゃ。儂のために、見たこともないような医療器具を作れ」
「あ? 医療器具ぅ? バカ言ってんじゃねえ、だから儂はもう……」
鬱陶しそうに私を追い払おうとしたグズガルの顔を、私は真正面からジッと見つめた。
特に、その『両目』を。
「……なるほどな。鉄の色も、炎の温度も、もう見えんわけじゃ」
「なっ……!?」
グズガルがビクッと肩を震わせた。
彼の瞳孔の中心――本来なら黒く澄んでいるはずの水晶体が、すりガラスのように白く濁っていたのだ。
「し、知ったような口を利くな! 儂の目は……ただ少し、かすんでいるだけで……っ」
「強がるな。立派な『白内障』じゃよ」
私は彼に向かって、残酷な事実を突きつけた。
「加齢と、長年炉の強い光(紫外線)を見続けたことによる水晶体のタンパク質変性じゃな。視界全体に白い霧がかかったようになり、光が異常に眩しく感じる。今のお主の目には、儂の顔すらまともに見えておらんじゃろ」
「…………ッ」
図星を突かれたグズガルは、ギリッと奥歯を噛み締め、その場に崩れ落ちるようにへたり込んだ。
「……そうだ。あんたの言う通りだ、得体の知れねえ嬢ちゃん。儂はもう、終わりなんだ」
自嘲気味に笑うグズガル。
その顔は、ただの酔っ払いではなく、生きがいを奪われた職人の絶望に満ちていた。
「炎の色が見えねえ。鋼の叩き時がわからねえ。指先の感覚だけじゃ、最高のモンは作れねえんだよ。妥協したガラクタを世に出すくらいなら、死んだ方がマシだ。……だから、もう帰ってくれ」
「ふはははっ!」
絶望するドワーフに対し、私は底意地悪く、高らかに笑い声を上げた。
「お主、職人としての誇りは腐っておらんようじゃな! 気に入ったぞ!」
「……あ?」
「治してやる」
私が言い放つと、グズガルだけでなく、後ろに控えていたオスウェルとザッシュまでが目を丸くした。
「な、治す? この白く濁った目をか? 教団の司祭どもですら、老化の呪いだから治せねえって匙を投げたんだぞ!?」
「あんな三流どもと一緒にされては不愉快じゃ。濁ったレンズ(水晶体)なら、取り除いてしまえばいい。ただそれだけの手術じゃ」
私はグズガルの胸ぐらを、小さな手でグイッと掴んだ。
「一週間後、この工房に炉の火を入れろ。儂がお主の目から『白い霧』を切り裂いて、再び光を取り戻してやる。……その代わり!」
私は自信に満ちた笑みを浮かべ、ドワーフの目を覗き込んだ。
「治った暁には、お主の残りの生涯、その腕の全てを儂の『医療器具』のために捧げてもらうぞ。契約成立じゃな?」
光を失いかけた伝説の職人と、道具を求める異端の幼女医。
ルンデルの街を揺るがす『眼科手術』の準備が、今、始まろうとしていた。




