第10話「白濁を切り裂く針と、最強の医療チーム結成」
約束の一週間後。
再びグズガルの工房を訪れた私は、彼が差し出した一本の「針」を見て息を呑んだ。
「……見事じゃ」
それは、私の指示通りに作られた、先端が極小の刃のようになっている特殊な針だった。
炎の光もまともに見えないはずのグズガルが、手の感覚と、金槌が鉄を叩く『音』だけを頼りに、何日も徹夜して打ち上げた執念の結晶。
「光が見えねえ分、指先の感覚だけは研ぎ澄まされてるんでな……。嬢ちゃんの望む鋭さになってるかはわからねえが」
「いや、完璧じゃ。これなら角膜を綺麗に切開できる」
私は針を丁寧に布で包み、テティアを振り返った。
「テティア、点眼麻酔の調合はどうじゃ?」
「は、はいっ! シビレダケの毒素を薄めて、目に垂らしても失明しない濃度に調整しました。ウサギの目で三日テストしましたが、問題ありません!」
テティアが自信満々(とはいえ声は震えているが)に小瓶を掲げる。
本当にこの気弱な薬師は、ひとたび研究となると恐ろしいほどの執念を見せる。これで、準備は完全に整った。
「よし。グズガル、作業台の上に仰向けになれ。オスウェルはグズガルの頭を絶対に動かないように固定。ザッシュは儂の汗拭きと、指示した器具を渡す役じゃ」
チーム全員が、それぞれの持ち場につく。
グズガルが緊張でゴクリと喉を鳴らして作業台に横たわる。テティアが彼の右目に数滴の麻酔薬を垂らすと、すぐに「……目の感覚が、無くなってきた」とグズガルが呟いた。
「よし、オペを始めるぞ」
私は極小の針を右手に持ち、グズガルの顔を覗き込んだ。
現代医療における白内障手術は、超音波で濁った水晶体を砕いて吸い出し、人工レンズを入れる。だが、この世界にそんな機械はない。
私が行うのは、近代以前に行われていた『水晶体摘出術』の応用だ。角膜の縁をわずかに切開し、白く濁った水晶体を丸ごと取り出すという、極めて難易度の高い手技である。
「……ふぅっ」
呼吸を整え、10歳の体のブレを完全に制御する。
針の先が、グズガルの角膜の縁に触れる。
「(……切開幅は最小限。眼圧を下げないように……!)」
ズッ、と。
麻酔のおかげで痛みはないが、グズガルがかすかに身を固くした。
私は針の先端を器用に操り、水晶体を包む嚢を破り、白く濁ったレンズそのものを眼球の外へと滑り出させる。
手元が1ミリでも狂えば、網膜を傷つけて永遠に視力を奪ってしまう。前世の全盛期ですら顕微鏡を使って行っていた手術を、肉眼で、しかも子供の手で行っているのだ。額から滝のように汗が吹き出す。
「ザッシュ、汗じゃ」
「はいっ」
ザッシュが素早く清潔な布で私の額を拭う。
数分後。コロン、と。
グズガルの目から、すりガラスのように白く濁った丸い塊(水晶体)が取り出された。
「よし、摘出完了じゃ。すぐに角膜を縫合する。テティア、一番細い絹糸を!」
流れるような連携で処置を終え、グズガルの両目に分厚い眼帯(包帯)を巻きつける。
「……終わったぞ。今日は絶対に頭を動かすな。三日後に包帯を外す」
私が宣告すると、張り詰めていた工房の空気が一気に緩み、全員が深く息を吐き出した。
――そして、運命の三日後。
工房には、私のチーム四人と、緊張でカチコチに固まったグズガルが集まっていた。
「いいか、光が眩しく感じるはずじゃから、ゆっくり目を開けるんじゃぞ」
私はそう言いながら、グズガルの目に巻かれた包帯をスルスルと解いていった。
最後の布が落ちる。
グズガルは、シワだらけの瞼をピクピクと震わせながら、ゆっくりと目を開いた。
「……あ……」
彼が最初に見たのは、工房の天井から差し込む、真っ直ぐな太陽の光だった。
視界を覆っていたあの鬱陶しい『白い霧』は、完全に消え去っていた。
「見える……見えるぞ……! 白くねえ! 光の輪郭が、色が、はっきりとわかる!」
グズガルは震える太い両手で自分の顔を覆い、ポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。
「水晶体を抜いた分、極端な『遠視』になっておるはずじゃ。手元を見る時は、虫眼鏡のような分厚いレンズの眼鏡が必要になるが……」
「そんなもん、自分でいくらでも削り出してやるさ……っ! 嬢ちゃん……いや、先生! あんた、本当に儂の目を……職人の命を、救ってくれたんだな!」
グズガルは作業台から転がり落ちるようにして、私の前に土下座した。
誇り高きドワーフの、心の底からの感謝と服従の姿勢。
「約束通り、儂の残りの人生は、先生の腕となる! 鉄でも、ガラスでも、なんだって打ってやる! どんな道具が欲しいか言ってみな!」
「ふふん。ならば、さっそくこれを作ってもらおうか」
私は懐から、夜な夜な羊皮紙に描き溜めていた束を取り出し、作業台の上にバサッと広げた。
「これは『メス』じゃ。刃先の角度は図面の通りにしろ。こっちは『止血鉗子』。血管を挟んで留めるためのクリップのようなものじゃな。そしてこれが……『注射器』。中を空洞にした極細の針と、押し出し式のガラス筒じゃ」
見たこともない奇妙な、しかし徹底的に機能美を追求された道具の図面。
それを見た瞬間、グズガルの目に、失われていた『職人の炎』がボウッと灯った。
「……すげえ。魔法の杖なんかより、よっぽど美しい形をしてやがる。任せな先生、儂の腕の全てを懸けて、この世で最高の道具を打ってやる!」
涙を拭い、グズガルはニカッと豪快に笑った。
その顔を見て、私はふうっと肩の荷を下ろした。
魔法の治癒が届かない患者を救うための『最強の助手』。
迫り来る危険から身を守るための『最強の盾』。
痛みを消し去り、感染を防ぐ『最強の麻酔科医』。
そして、私の思い描く医療を具現化する『最強の職人』。
「(……まったく。隠居するはずが、とんでもない大所帯になってしまったわい)」
心の中でそうぼやきながらも、私の口元は隠しきれない笑みで歪んでいた。
これで、真の医療が始められる。
異世界に転生した元・天才女医と、彼女を慕うはぐれ者たちの医療チーム。
彼らの名前がルンデルの街を超え、世界中に轟くことになるまで、もう間もなくだった。
(第1章・中盤完結。次回、街を襲う未知のパンデミック編へ)




