第7話「断りきれない町医者稼業と、圧倒的な『くすり』不足」
「……まだおるか?」
「はい、先生。むしろさっきより増えてます」
シーツの隙間から恐る恐る尋ねると、窓の外を覗き込んでいたザッシュが苦笑いしながら答えた。
ギルドの前の広場には、私の『腹裂きの奇跡』を聞きつけた下層民や駆け出しの冒険者たちが、藁にもすがる思いで集まっていた。
「くそっ、教団の治癒士どもは何をしておるんじゃ! 自分の街の民じゃろうが!」
「教団は『金のない者に神の恩恵は与えられない』というスタンスですから……」
申し訳なさそうにするザッシュ。彼に非はないと分かっているが、私は頭を抱えた。
このまま無視を決め込んで夜逃げすることもできる。オスウェルに頼めば、群衆を蹴散らして安全な村まで護衛してくれるだろう。
だが。
窓の隙間から見えた光景が、私の足を床に縫い付けていた。
群衆の端で、薄汚れた服を着た母親が、泣き叫ぶ小さな子供を抱きしめている。子供の腕は赤黒く腫れ上がり、明らかに重度の化膿を起こしていた。
あのまま放っておけば、数日以内に菌が全身に回り、間違いなく命を落とす。
「……あーっ! もうっ! わかった! わかったわい!」
私はシーツを勢いよく跳ね除け、ベッドから飛び降りた。
「オスウェル! ギルドの裏庭を借りるぞ! 患者を重症度順に並ばせろ! 軽傷の奴は後回しじゃ!」
「御意。暴れる馬鹿がいれば、俺が峰打ちで黙らせよう」
「ザッシュ! 厨房の湯を全部沸かせ! 清潔な布と、酒と、刃物を用意じゃ!」
「はいっ、先生!」
私の号令で、二人が弾かれたように動き出す。
かくして、ギルドの裏庭にゴザを敷いただけの『青空診療所』が、急遽開設されることとなった。
「次! 腕を化膿させた子供じゃな。……ふむ、これはひどい。棘か何かが刺さったまま放置したな?」
「は、はい……。治癒院に行けなくて、泥を塗って治そうと……」
母親が涙声で答える。
「馬鹿者、傷に泥など塗ったら菌が繁殖するに決まっておるじゃろ! ザッシュ、湯を持て!」
私は酒で消毒した小刀で、子供の腕の膿盆(膿が溜まった部分)を一気に切開した。
ドロリと黄色い膿が溢れ出す。子供が悲鳴を上げるが、オスウェルが巨大な手でガッチリと固定してくれているため、処置にブレは生じない。
傷口を大量の湯で洗い流し、中に残っていた木片を取り除く。
「よし、これで熱は下がるはずじゃ。傷口は絶対に泥で塞ぐな。毎日綺麗な水で洗い流して、清潔な布を当てるんじゃぞ」
「あ、ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます……!」
「礼はいい。次!」
そこからは、まさに野戦病院さながらの忙しさだった。
脱臼の整復、化膿した傷の切開と洗浄、折れた骨の固定。
魔法に頼りきりだったこの世界の人々は、基本的な衛生観念すら持っていなかった。「傷は綺麗な水で洗う」「患部を不潔な手で触らない」という当たり前の指導をするだけで、大半の軽傷は劇的に改善していく。
しかし、処置を進めるうちに、私は一つの大きな『壁』にぶち当たっていた。
「ぎゃあああああああッ!!」
太ももを魔獣にえぐられた若い冒険者が、傷口を洗浄され、針で縫合される激痛に絶叫を上げる。
オスウェルを含めた大の大人三人で押さえつけても、痛みのあまり体が跳ねてしまうのだ。
「動くな! 針がズレるじゃろうが!」
私は怒鳴りながらも、奥歯を噛み締めていた。
……野蛮すぎる。
患者を物理的に押さえつけ、生きたまま肉を切り、縫う。これは医療ではない。ただの拷問だ。
何より、今はまだ表面的な処置で済んでいるが、もしオスウェルの時のように『腹を開く』ような大手術が必要な患者が来たらどうする?
痛みのショックで心停止を起こす可能性だってある。
さらに、術後の感染症を防ぐための『抗生物質』もない。私の現代知識を以てしても、道具と薬がなければ救える命に限界が来るのは明白だった。
「……本日の診療はここまでじゃ! 帰れ帰れ! 儂の体力が持たんわい!」
日が傾きかけた頃、私は大声を上げて裏庭の扉を閉めさせた。
まだ数人の患者が残っていたが、暴動になる前にオスウェルが睨みを利かせて解散させてくれた。
「ふぅ……」
私は手を洗い、ギルドの裏階段にドカッと腰を下ろした。
全身の骨が軋むように痛い。10歳の体での重労働は、文字通り寿命を削る作業だ。
「お疲れ様です、先生。……すごいですね。あの人たち、みんな先生の手だけで痛みが引いて帰っていきました」
「……ザッシュ。水をもらえるか」
「はい!」
ザッシュから水筒を受け取り、一気に喉に流し込む。
傍らでは、オスウェルが剣の手入れをしながら私を見下ろしていた。
「どうした、小さな大先生。ずいぶんと険しい顔をしているな。治癒院の連中から文句を言われるのが怖いか?」
「馬鹿を言え。あんなヤブ医者どもの嫉妬など知ったことか」
私は空になった水筒を置き、重い口を開いた。
「……薬じゃ。薬が足りん」
「薬? 魔力回復のポーションとかですか?」
「違う。人間の感覚を麻痺させ、痛みを消し去る『麻酔薬』。そして、体の中の細菌を殺すための『抗生物質』……いや、最低限、化膿止めの薬草でもいい」
私は自分の小さな手を見つめた。
「どんなに儂の手が速く正確でも、患者が痛みに耐えきれなければ、高度な手術はできん。お主ら、この街でまともな薬を調合できる『薬師』を知らんか?」
私の問いに、ザッシュとオスウェルは顔を見合わせた。
「薬なら教団の治癒院で高値で売っていますが……」
「だから、あそこのはただの魔力水じゃろうが。もっとこう、植物の成分とかを抽出できるような、専門知識を持った変態はおらんのか?」
すると、オスウェルが顎を撫でながら口を開いた。
「……そういえば、スラムの端にあるボロ小屋に、一人で薬草を煮込んでいる変わり者がいると聞いたことがある」
「ほう?」
「もともとは教団の治癒院で働いていたらしいが、『治癒魔法の才能が全くない』という理由で、数ヶ月前に蹴り出されたそうだ。金がない下層民向けに、怪しげな草をすり潰して軟膏を作っているとか」
「魔法が使えない、元・治癒院勤務の薬師……」
私の脳内に、一筋の光明が差し込んだ。
魔法というチートに頼れないからこそ、薬草の成分や効能に必死に向き合っている者がいるかもしれない。
「それじゃ! そいつのところに案内しろ、オスウェル!」
私は疲れも忘れて立ち上がった。
「全身麻酔……とまではいかんでも、痛みを散らす局所麻酔と、強い殺菌作用のある薬草があれば、儂の医療は劇的に進化する。明日、一番でそのボロ小屋に乗り込むぞ!」
治癒魔法からこぼれ落ちた、名もなき薬師。
私の『チーム』に必要な三番目のピースが、すぐそこまで迫っていた。




