第5話「麻酔なしの開腹手術と、気絶する荒くれ者たち」
「腹を、開く……? お前、狂っているのか!」
静まり返ったギルド内に、治癒士の男のヒステリックな絶叫が響いた。
それに呼応するように、周囲の冒険者たちも一斉に殺気立つ。
「ふざけるなクソガキ! 人の腹を切り裂いて生きられるわけがねえ!」
「オスウェルにとどめを刺す気か!」
次々と上がる罵声。武器に手をかける者までいる。
だが、私は全く動じなかった。前世で、手術室のドアの前で泣き叫び、すがりついてくる患者の家族を何千回と見てきた。それに比べれば、外野の怒声など耳鳴りにも等しい。
「やかましいっ!!」
私はギルドの空気を震わせるほどの怒声を上げた。
10歳の幼女から発せられたとは思えない、地を這うような覇気に、冒険者たちがビクッと肩を揺らして黙り込む。
「死ぬ死ぬと騒ぐが、お前らの崇める『治癒魔法』とやらで、こやつは今まさに死にかけておるんじゃろうが! このままではあと一時間で心臓が止まる。儂の言う通りにするか、このまま見殺しにするか、今すぐ選べ!」
私が言い放つと、冒険者たちは顔を見合わせた。
誰も、有効な解決策など持っていないのだ。
「……やれ」
かすれた、血を吐くような声が響いた。
床に転がるオスウェルだった。彼は脂汗まみれの顔を上げ、焦点の合わない目で私を真っ直ぐに見つめていた。
「どうせ、このままじゃ……死ぬ。お前のその目……とてもガキの目じゃねえ……。俺の命、お前に……賭ける」
「オスウェル!」
「馬鹿なことを言うな! 悪魔の呪いに魂まで食われたか!」
治癒士が騒ぎ立てるが、オスウェルの覚悟を見た冒険者たちの態度は変わった。
「……おい、ガキ。どうすりゃいい」
「話が早くて助かるわい」
私は袖を捲り上げ、テキパキと指示を飛ばし始めた。
「ザッシュ! 厨房を借りて一番デカい鍋で湯を沸かせ! 煮沸した布も大量にじゃ!」
「はい、先生!」
「お前ら! この店で一番度数の高い酒と、一番切れ味のいい短剣を持て! 針と絹糸もだ! それと、力自慢の男を四人貸せ。暴れないようにこやつの手足を床に押さえつけるんじゃ」
麻酔がない以上、患者を物理的に拘束するしかない。
前近代的な野戦病院の手法だが、今はこれしかない。
数分後。
ギルドの巨大なテーブルの上にオスウェルが寝かされ、四人の屈強な冒険者がその四肢をガッチリと押さえ込んでいた。オスウェルの口には、舌を噛み切らないように分厚い革ベルトが噛まされている。
「いいか、何があっても絶対に手を離すなよ」
私は炎で真っ赤に炙った短剣に、ドワーフの火酒と呼ばれる強烈な酒をぶっかけた。ジュワッ! とアルコールが蒸発し、刃が消毒される。
オスウェルの腹部にも酒をぶちまけ、布でゴシゴシと拭き上げた。
「さあ、オペの始まりじゃ」
ためらいは、一秒たりともなかった。
私は短剣の切っ先をオスウェルの腹部、へその下あたりに突き立て、縦に一気に引き裂いた。
ブチブチッ! と皮膚と脂肪が裂ける生々しい音が響き、真っ赤な血が噴き出す。
「んんんんんんんんんんんんッッッ!!!」
オスウェルが革ベルトを噛みちぎらんばかりの絶叫を上げ、テーブルの上で跳ねた。四人の大男が全体重をかけて押さえ込んでも、弾き飛ばされそうになるほどの凄まじい筋力だ。
「ヒッ……!」
「あ、あああ……っ!」
その光景を囲んで見ていた冒険者たちから、悲鳴ともつかない呻き声が漏れる。
腹を縦に割かれ、真っ赤な内部が露出する様は、彼らにとってはただの『解体ショー』にしか見えないだろう。治癒士の男などは泡を吹いて気絶寸前だ。
「たじろぐな! お主の治癒魔法とやらで出血だけは止めんか! 役立たず!」
私は腰を抜かしている治癒士を蹴り飛ばし、無理やり患部に手をかざさせた。
彼が泣きながら淡い光を放つと、毛細血管からの出血がピタリと止まる。
なるほど、止血鉗子や電気メスの代わりとしては、治癒魔法も最高に便利じゃないか。
「よし、腹膜を開くぞ」
私は自分の小さな両手を、ズブッとオスウェルの腹の中に突っ込んだ。
「う、おおおおおおエェェェッ……!」
周りで見学していた冒険者の何人かが、たまらず壁際で胃液をぶち撒け始めた。無理もない。
だが、私にとってはここからが本番だ。
腹腔内を開けた瞬間、強烈な腐敗臭――便と膿が混ざったような悪臭がギルド内に充満した。
「ほれ見ろ、ヤブ医者ども。これが『呪い』の正体じゃ」
破裂した盲腸(虫垂)から漏れ出した便と大量の膿が、腸の隙間にこびりついている。
私は指先の感覚だけを頼りに患部を探り当て、壊死して黒ずんだ虫垂を糸で縛り上げ、手早く切り離した。
「ザッシュ! 湯を持て! 人肌に冷ましてから腹の中にぶち込め!」
「は、はいっ!」
ザッシュが震える手で、鍋から温かいお湯をオスウェルの腹の中に注ぎ込む。
私は布で膿と汚れを拭き取り、汚れた湯を外へ掻き出す。何度も何度も、内臓の隙間まで徹底的に洗い流す。腹腔内洗浄だ。これを怠れば、残った細菌が再び腹膜炎を引き起こす。
「ふぅ……はぁっ……くそっ……腕が……っ」
10歳の細い腕は、すでに限界を超えていた。
短剣を握る手は痙攣し、全身は汗でびしょ濡れだ。視界が白く明滅し、酸欠で倒れそうになる。
――負けるな。ここで倒れれば、この男は死ぬ。
前世の誇りが、限界を迎えた肉体を無理やり動かす。
「よし、洗浄終わりじゃ。閉じるぞ」
絹糸を通した太い針で、腹膜、筋膜、皮膚と、層ごとに縫い合わせていく。
ザッシュの時と同じように、内部に溜まった膿を外に逃がすための管(煮沸した布の切れ端)を傷口の端に挟み込み、分厚い布で腹全体をきつく縛り上げた。
「……オペ、終了じゃ」
私が血まみれの手を離した瞬間。
オスウェルの口から、革ベルトがポロリとこぼれ落ちた。
彼は完全に気絶していたが、その顔からは先ほどの死相と脂汗が消え、規則正しい寝息を立て始めていた。腹を開かれる前よりも、明らかに顔色が良くなっている。
「嘘……だろ……」
「腹を、切り裂いて……中を洗って……治った、のか……?」
冒険者たちが、信じられないものを見るような目で私を取り囲んだ。
治癒士の男は、へたり込んだままガタガタと震えている。
圧倒的な、現代医療の勝利だった。
魔法というぬるま湯に浸かり切ったこの世界の常識を、私の両手が見事に粉砕したのだ。
「……ふん。ざっとこんなもんじゃわい」
私は得意げに鼻を鳴らし、ドヤ顔で振り返ろうとして――。
「あっ」
プツン、と。
残っていたなけなしの体力が完全にゼロになり、私はそのまま糸の切れた操り人形のように、パタリと床に倒れ込んだ。
「せ、先生ェーーーッ!?」
駆け寄ってくるザッシュの悲鳴を遠くに聞きながら、私は急速に暗転する意識の中で思った。
――くそっ、やっぱりこのポンコツボディ、全然体力が足りんわい。
こうして、ルンデルの街に『腹裂きの奇跡』の噂が広まることとなる。
静かな隠居生活が、音を立てて崩れ去っていくのを、私はまだ知る由もなかった。




