第36話「神のメスと神の指先、究極のシンクロ」
「(残り三分……!)」
手術室は、息をする音すら憚られるほどの極限の緊張感に包まれていた。
ガルネットは手術台の横に置かれた滅菌トレイの上で、極小のヤスリと縫合針を凄まじい速度で動かしていた。
チタンの枠をミクロン単位で削り出し、固定していた極細の絹糸を一度解いて、歪んだ形に合わせて豚の弁を再度縫い合わせていく。
スッ、スッ、キュッ……。
それは、もはや人間の目では追えない速度の裁縫だった。
しかも、ここは彼がいつも作業している静かで明るい中庭の工房ではない。血の匂いが充満し、人の命が数分後に尽きようとしている戦場だ。
それでも、ガルネットの病的なまでに細い指先は、一ミリの震えすら起こさず、冷徹なまでに正確な作業を続けている。
「……できました。大先生!」
「よし、よこせ!!」
残り時間、二分。
私はガルネットから再調整された生体弁を受け取り、領主の心臓の穴(土台)にスッとはめ込んだ。
「(……完璧じゃ!)」
先ほどまでの隙間が嘘のように、まるでパズルの最後のピースのように、歪な心臓の形にピッタリと密着している。
「縫合に入る! テティア、持針器と糸!」
「はいっ!」
ここからは、私の『神の手』の独壇場だ。
私は『パラシュート縫合』という前世の特殊な技術を用いた。
弁を心臓の奥に落とし込む前に、十数本の糸をあらかじめ土台と弁の両方にすべて通しておき、後から一気に弁を滑り降ろして結び目を作るという、超高度かつ最速の縫合技術だ。
シュッ、シュッ、シュッ!
銀色の針が、心臓の肉と生体弁の膜を、流星のような速度で縫い合わせていく。
「残り、一分です!」
「ヒナ、温度は!」
「二十八度、一ミリも狂ってませんっ!」
「よし!」
糸がすべて通った。
私は十数本の糸の束を掴み、生体弁を心臓の奥底へと一気に滑り降ろした。
スコンッ、と。
新しい純白の扉が、領主の心臓の所定の位置に完璧に収まった。
「残り、三十秒っ……!」
ザッシュが悲鳴のように叫ぶ。
私は両手の指を凄まじい速度で交差させ、十数ヶ所の糸を次々と結んで(ノットを作って)いく。
血の圧力で絶対に解けないよう、一つにつき七回の結び目を作る。
キュッ、キュッ、キュッ!
静かな手術室に、絹糸が引き絞られる微かな音だけが響く。
「残り、十秒……! 九、八、七……!」
「切開した大動脈を閉じる! 連続縫合!」
私は新しい扉を縫い終えると同時に、心臓を開くために切った大動脈の壁を、一本の糸で一気に縫い合わせて閉じていく。
「三、二、一……!」
「終わったぞ!!」
バツンッ!
最後の糸をハサミで切り飛ばした瞬間。
私は両手を上げ、グズガルの砂時計を見た。
最後の砂の一粒が、パラリと下へ落ちたところだった。
タイムは九分五十秒。
「ふぅぅぅーっ……」
私は深く、深く息を吐き出し、汗だくの額を腕で拭った。
人工心肺のない世界での、タイムリミット十分の心臓内部手術。
私とガルネット、二人の『神の手』のシンクロが、不可能とされた開胸手術の縫合を、時間内に完全に終わらせたのだ。
「縫合完了……! 大先生、やりましたね!」
「す、すごいです……一滴も血が漏れていません!」
歓喜に湧くテティアとザッシュ。
だが、私は厳しい顔を崩さず、心臓の根元を止めている巨大な金属クリップ(遮断鉗子)を睨みつけた。
「喜ぶのはまだ早い。本番はここからじゃ」
私はクリップに手をかけた。
「血流を再開させる。果たして、冬眠から目覚めたこの心臓が、新しい豚の扉を受け入れて、再び自力で鼓動を打ってくれるかどうか……」
クリップを外した瞬間、止まっていた血が滝のように心臓へと流れ込む。
しかし――最悪の事態は、まだ終わっていなかった。




