第32話「呪いを克服した細工師と、ミクロの裁縫」
「ガルネット! 体の具合はどうじゃ!?」
「大先生! ご覧の通り、絶好調です!」
中庭の工房に駆け込んだ私を、細工師の少年ガルネットが満面の笑みで出迎えた。
数日前の彼とは、まるで別人のような顔色だった。
テティアの解毒スープと、徹底した換気による労働環境の改善。
それらによって体内から重金属の毒(水銀・鉛)が抜け落ちたガルネットは、青白かった頬に赤みを取り戻し、細かった腕にも確かな筋肉が戻りつつあった。
「頼みがある。この純白の扉(生体弁)を、人間の心臓にカチリとはまるように、ミリ単位でトリミング(切り出し)してほしい」
私がガラスのシャーレを差し出すと、ガルネットは真剣な職人の目つきに変わり、それを顕微鏡のステージに乗せた。
「……なるほど。これ、元は大きな獣の臓器ですね。大先生が付けたい場所の直径は?」
「二十二ミリじゃ。グズガルに作らせた、このチタン合金の細い枠の内側に、極細の絹糸で綺麗に縫い付けてほしい」
それは、気が遠くなるような精密作業だった。
生体弁を、金属の枠に縫い合わせる。
もし縫い目が一ミリでもズレれば、そこから血液が漏れ出し、領主は死ぬ。
もし糸を強く引きすぎれば、弁が破れて領主は死ぬ。
「……任せてください。俺の指はもう、絶対にブレませんから」
ガルネットは、自分が作った顕微鏡を覗き込み、極細のピンセットと縫合針を両手に持った。
かつて彼を苦しめていた、指の激しい震え(振戦)。
悪魔の呪いだと恐れられていたあの症状は、今や微塵も存在しなかった。
スッ……、スッ……。
顕微鏡の下で、神がかった精度を持つ指先が踊る。
ガルネットは、極薄の豚の弁を寸分の狂いもなく円形に切り出し、それをチタンの枠に合わせて、等間隔で絹糸を通して結び目を作っていく。
「(……美しい)」
私は息を呑んだ。
機械が作った人工弁にも引けを取らない、完璧な手作業。
いや、人間の温もりが宿っている分、これは機械以上の『芸術品』だ。
この異世界で彼を見つけ出し、その才能を救い出した自分の目に狂いはなかったと、私は震えるほどの歓喜を覚えた。
「終わりました、大先生」
数十分後。
ガルネットが額の汗を拭いながら、ピンセットで一つの小さな部品をつまみ上げた。
直径二十二ミリ。
チタンの枠の中で、純白の薄い膜が、まるで花びらのようにしなやかに三つ又に合わさっている。
異世界初の手作り人工弁(ステント付き生体弁)。
その完璧な仕上がりに、私は思わずガルネットの頭を乱暴に撫で回した。
「よくやった! 完璧じゃ! お前のその指先は、間違いなく国宝級だぞ!」
「えへへ……。大先生が俺の『呪い』を治してくれたおかげです。俺の腕は、大先生が命を救うためにあるんですから」
はにかむガルネット。
しかし、彼がどれほどのプレッシャーの中でこの作業を完遂したのか、私には痛いほど分かっていた。
「よし! これで手術に必要な『弾』は全て揃った!」
抗凝固剤。
人工弁(生体弁)。
そして、ヒナの定温魔法による冷却システム。
私は完成した生体弁を大事に滅菌容器にしまい、真っ白な手術着をバサリと羽織った。
「グズガル! 開胸器の準備はできているな!」
「おうさ! ドワーフ特製の『肋骨押し広げ機』、とくと味わいな!」
「ヒナ! 領主の体温を下げる準備じゃ!」
「は、はいっ! いつでもいけます!」
私は手術室(第一処置室)の扉の前に立ち、深呼吸をした。
扉の向こうでは、領主が麻酔で眠らされ、胸を大きくはだけた状態で手術台に乗っている。
「これより、人工心肺なき時代の奇跡……『全身低体温法』による、大動脈弁置換術を開始する!」
私は両手に滅菌手袋をはめ、仲間たちを振り返った。
「目標タイムは十分! 一秒たりとも無駄にするな! 行くぞ!」
私が手術室の扉を勢いよく開け放つと共に。
医学と魔法が交差する、異世界で最も過酷な『十分間の死闘』の幕が切って落とされた。




