第31話「臓器の洗浄(脱細胞化)と薬師の意地」
「大先生! 心臓と肝臓、無傷で持ち帰りました!」
数時間後。
血まみれの袋を抱えたオスウェルとザッシュが、全速力で病院へと帰還した。
袋の中には、まだドクドクと脈打つようなアイアンボアの巨大な心臓と、赤黒く艶やかな肝臓が入っている。
「でかした! これ以上ない最高の鮮度じゃ!」
私は袋を受け取ると、すぐさま処置室の隣に設けた『無菌調合室』へと飛び込んだ。
「テティア! 薬草の準備はできているな!?」
「はいっ! 抗凝固剤の抽出は、肝臓をすり潰して煮沸すればすぐに終わります! 問題は……」
テティアは、バット(金属の皿)の上に乗せられた巨大な豚の心臓を見て、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「……この心臓の中にある扉(弁)を、領主様に移植するんですよね? でも、魔獣の肉をそのまま人間の体に入れたら……」
「ああ、猛烈な免疫の『拒絶反応』が起きて、領主の体は一日で腐り落ちるじゃろうな」
人間の体は、自分以外の異物が入り込むと、白血球などの免疫細胞がそれを『敵』とみなして総攻撃を仕掛ける。
他人の血(血液型違い)ですら即死するのだ。豚の臓器をそのまま入れればどうなるかなど、火を見るより明らかだった。
「だからこそ、お主の『薬師』としての腕が必要なんじゃよ、テティア」
私はメスを手に取り、巨大な豚の心臓を素早く解体していく。
そして、心臓の奥深くにある、白く薄いヒラヒラとした膜――『大動脈弁』だけを綺麗に切り出し、ガラスのシャーレに乗せた。
「この弁から、魔獣の『細胞(毒)』だけを完全に殺し、綺麗に洗い流すんじゃ。しかし、扉としての『骨組み(コラーゲン繊維)』は絶対に壊してはならん。少しでも破れたり縮んだりすれば、使い物にならなくなる」
「細胞だけを殺して、形は残す……そんなこと、どうやって……っ」
「前世の知識は私の頭の中にある。劇薬を使うぞ。私が指示する分量通りに、一滴の狂いもなく調合しろ!」
ここから、テティアの薬師としての意地を懸けた死闘が始まった。
私が指定した成分は『グルタルアルデヒド』に相当する、強力なタンパク質架橋剤(固定液)だ。
テティアは数種類の毒草と鉱物をすり鉢で砕き、絶妙な温度で煮詰めながら、酸とアルカリの数値を微調整していく。
「(……すごい集中力じゃ)」
私は、汗だくになりながらフラスコを振るテティアの横顔を見て、内心で舌を巻いた。
彼女には、現代の電子計量器も、リトマス試験紙もない。
あるのは、長年いじめられながらもひたむきに培ってきた、薬草の色、匂い、そして液体が沸騰する『音』を聞き分ける、薬師としての絶対的な『勘』だけだ。
「……できました! 大先生の言った通りの、無色透明な薬液です!」
「よし、弁を浸け込め!」
シャーレの中の豚の弁が、テティアの作った薬液に浸される。
シュワシュワと微かな泡が立ち、弁にへばりついていた魔獣の赤黒い細胞組織が、みるみるうちに溶けて無色に分解されていく。
そして後に残ったのは――純白で、しなやかな強度を持つ、完璧な『生体弁』のベースだった。
「成功じゃ! 見事な脱細胞化(無毒化)だぞ、テティア!」
「や、やりましたぁ……っ」
テティアは安堵のあまり、その場にへたり込んだ。
これで、拒絶反応の問題はクリアした。
だが、この純白の扉を領主の心臓に縫い付けるためには、まだ『最後の加工』が必要だった。
「よし、休む暇はないぞ! ガルネットを呼べ!」




