第26話「呪いの正体と、天才細工師の帰還」
中庭の工房。
ガルネットは作業台に突っ伏したまま、ピクリとも動かずに荒い息を吐いていた。
極小レンズの研磨という極限の集中が、彼の弱り切った体に止めを刺しかけていたのだ。
「……おい、生きておるか」
私が工房に入ると、ガルネットは虚ろな目で私を見上げた。
「大先生……。急患は、助かりました、か……?」
「ああ。お前が削り出した硝子のおかげでな。……だが、今度はお前の番じゃ」
私はガルネットの細い腕を引き寄せ、彼の口を無理やり開かせた。
そして、先ほど彼自身が作ったばかりの『顕微鏡の光源用に使った小さな鏡』を口の中に差し込み、歯茎の裏側を覗き込んだ。
「やはりな。見事なまでの『バートン線(青黒い色素沈着)』じゃ」
「バートン、線……?」
ガルネットが力なく首を傾げる。
私は彼の前に立ち、はっきりと告げた。
「ガルネット。お主の体を蝕んでいるのは、悪魔の呪いでも、魔道具の祟りでもない。れっきとした『病気』じゃ」
「……病気?」
「お主、細かい彫金や装飾をするとき、金を溶かすための『水銀』や、柔らかい『鉛』をよく使っておったじゃろう?」
私の言葉に、ガルネットは驚いたように目を丸くした。
「ど、どうしてそれを……。はい、使ってました。親方に隠れて、換気の悪い地下室で、何日も徹夜で金属を熱して……」
「それが原因じゃ。水銀や鉛が熱されて出る『見えない毒の蒸気』。それを長期間吸い込み続けたことで、金属の毒が体内に蓄積し、神経を破壊していたんじゃよ。これを『重金属中毒(鉛毒・水銀毒)』という」
前世の歴史でも、多くの職人や芸術家たちを狂わせ、死に追いやった恐ろしい職業病。
魔法や呪いなどではない。ただの、劣悪な労働環境が生み出した化学的な毒だ。
「ど、毒……? じゃあ、俺は呪われてたんじゃなくて……」
「うむ。だから、毒さえ体から追い出せば、お主の体は元に戻る」
私が断言した瞬間、テティアが調合したばかりの薬湯と、厨房から運ばせた熱々の『特製ボーンブロススープ』を持って工房に駆け込んできた。
「テティアの作った薬草で、体の中の毒を尿や汗と一緒に体の外へ排出する。そして、この栄養満点のスープで壊れた細胞を修復するんじゃ。……もちろん、今日から地下室での作業は禁止じゃぞ。風通しの良いこの中庭で、しっかりと深呼吸をしろ」
私はガルネットの手に、温かいスープの入った木の器を持たせた。
ガルネットは、震える両手で器を包み込み、スープを一口飲んだ。
「あ……」
その瞬間、彼の目から堰を切ったように涙が溢れ出した。
「治る……。俺、また、力一杯ハンマーを振れるように、なるんですね……っ」
「当たり前じゃ。お前のその神がかった指先、こんなところで腐らせてたまるか。体力が戻ったら、メスでも注射器でも、なんでも作らせてこき使ってやるから覚悟しておけ」
私がニヤリと笑うと、ガルネットは子供のように声を上げて号泣しながら、スープを飲み干した。
見守っていたグズガルも、「バカ野郎、心配かけさせやがって……!」と鼻をすすりながら、弟子の頭をガシガシと乱暴に撫で回している。
こうして、二つの命が救われた。
一人は、異世界初の『輸血』によって。
一人は、呪いの正体を暴く『医学の知識』によって。
顕微鏡というミクロの瞳。
ヒナの魔法による血液保管庫。
そして、神の指先を持つ専属の精密医療器具職人。
強力なインフラと新たな仲間を手に入れた『ミルゼ総合病院』は、これよりさらなる飛躍を遂げ、いよいよ「現代医療でなければ絶対に治せない難病中の難病」へと立ち向かっていくことになる。




