第21話「ドワーフの挫折と、極小レンズの壁」
カン、カン、カンッ!
中庭に増設された工房では、凄まじい熱気の中でグズガルが鉄を打っていた。私の白内障手術によって光を取り戻して以来、このドワーフの職人魂は留まるところを知らず、昼夜を問わず医療器具の改良に没頭している。
「グズガル! 手を止めい! 緊急事態じゃ!」
私が血まみれの白衣のまま工房に飛び込むと、グズガルはピタリと金槌を止め、振り向いた。
「どうした先生。そんな血相を変えて……また厄介な急患か?」
「ああ。命の砂時計の、最後の一粒が落ちようとしておる。お前の腕だけが頼りじゃ!」
私は近くにあった木炭をひったくり、作業台の上に広げられた羊皮紙の裏に、猛烈な勢いで図面を描き殴った。
「筒の両端に、特殊な形に削り出した『硝子』をはめ込む。重要なのはこの硝子の曲面じゃ。光を一点に集め、物の姿を何百倍にも拡大して映し出す。名付けて『顕微鏡』……ミクロの瞳じゃ!」
「光を、集める……?」
グズガルは分厚い遠視用の眼鏡を押し上げ、私の描いた図面を睨みつけた。
「この硝子の玉……『レンズ』というのか。これを筒の両端に配置して、光の屈折を利用して底にあるものを巨大に見せるって寸法だな? ……理屈はわかる。だが先生、この硝子の大きさはなんだ。爪の先より小せえぞ?」
「その小ささが必須なんじゃ! 少しでも表面に歪みがあれば、見たい細胞(血の粒)の形がぼやけて使い物にならん。ミリ単位、いや、ミクロン単位の精度で、寸分の狂いもなく美しい曲面を磨き上げてくれ!」
私の必死の剣幕に、グズガルはゴクリと唾を飲み込んだ。
彼は無言で頷くと、すぐに炉の奥から最も透明度の高い『純度の高い水晶』の塊を取り出し、作業台の万力に固定した。
「やってみるさ。儂の目を、職人としての命を救ってくれた先生の頼みだ。出来ねえとは言わねえ」
グズガルは極小のヤスリと研磨剤を手に取り、水晶の削り出しに取り掛かった。
ギギギ、キュルルル、という甲高い音が工房に響く。
ドワーフの強靭な筋力と、長年培われた職人の勘。それらが一点に集中し、水晶が徐々に極小のレンズの形へと削られていく。
「(頼む……! 間に合ってくれ……!)」
私は両手を握りしめ、祈るような気持ちでその背中を見つめていた。
処置室で眠る若い冒険者の土気色の顔が脳裏をよぎる。今この瞬間も、彼の脳の細胞は酸素不足で次々と死滅しようとしているのだ。
数十分が経過した。
通常なら数日はかかる緻密な作業を、グズガルは驚異的な集中力で短縮していく。
「……よし。大まかな削り出しは終わった。あとは表面を磨き上げて、完全な球面に……」
グズガルが、最後の仕上げのために研磨布を手に取り、極小のレンズを太い指先で摘み上げた――その瞬間だった。
ピキッ。
嫌な音が、工房に響いた。
「あっ……」
グズガルの太く無骨な指の間から、ポロリと、二つに割れた水晶の欠片がこぼれ落ちた。
限界まで薄く、そして小さく削り出されたレンズが、鋼を打つために発達したドワーフの強靭すぎる指の圧力に耐えきれず、砕け散ってしまったのだ。
「クソッ!!」
グズガルは激しく舌打ちをし、すぐさま別の水晶を取り出して削り始めた。
しかし。
二つ目は、力を抜きすぎたせいで研磨の途中で歪みが生じ、光を通すと視界がぐにゃりと曲がってしまった。
三つ目は、曲面の角度がわずかにズレており、どうしても一点に焦点を結ぶことができなかった。
「クソッ! クソッ! クソォォォッ!!」
ガシャンッ!
グズガルはヤスリを床に叩きつけ、巨大な両手で自分の頭を抱え込んだ。
その巨体が、ワナワナと悔しさに震えている。
「……すまねえ、先生」
振り絞るような、血を吐くような声だった。
「理屈はわかるんだ。どう削れば光が真っ直ぐ集まるか、頭の中では完璧な図面が引けてる。……だが、儂の指じゃダメなんだ」
グズガルは、マメとタコだらけの自らの太い指を憎々しげに見つめた。
剣を打ち、鎧を叩き、金属を曲げるための、強靭な職人の手。だが、それはあまりにも無骨すぎた。
「こんなミリ単位の繊細な硝子を、一切の歪みなく指先の感覚だけで磨き上げるなんて……ドワーフの筋力と指の太さじゃ、どうしてもミクロの力加減が狂っちまう。妖精の指先でもなけりゃ、不可能だ……!」
光を取り戻し、自信に満ち溢れていた伝説の職人の、完全な『敗北宣言』。
それは同時に、処置室で眠る若き命のタイムリミットが尽きたことを意味していた。
「そんな……グズガルの腕でも、無理じゃというのか……」
私は膝から崩れ落ちそうになるのを、作業台に手をついて必死に堪えた。
理屈はわかっているのに。助ける手段は目の前にあるのに。
それを具現化するための『道具』を作る技術がないだけで、また命が手の中から滑り落ちていくのか。前世で何度も味わったあの無力感が、再び私を黒く塗りつぶそうとする。
「(ここまでか……。異世界の限界じゃというのか……ッ)」
私が唇を噛み切りそうになった、まさにその時だった。
「……あの」
工房の隅。
金属のスクラップが山積みにされた木箱の影から、ひどく掠れた、消え入りそうな声が聞こえた。
「……図面通りに硝子を磨くだけなら……俺に、やらせてもらえませんか」
ゴホッ、ゴホッ、と弱々しい咳き込みと共に現れたのは、一人の人間の少年だった。
年齢はザッシュと同じか、少し上くらいだろうか。しかし、その体は異常なほど細く、肌は病的に青白い。着ている服はボロボロで、まるで今にも倒れそうな幽霊のようだった。
「お前は……」
「馬鹿野郎! お前みたいな『呪い』でフラフラの体が、こんな細かい作業に耐えられるわけねえだろうが! 引っ込んでろ、ガルネット!」
グズガルが怒鳴りつけるが、ガルネットと呼ばれた少年は怯むことなく、ふらつく足取りで作業台に近づいてきた。
「……俺は、ハンマーも持てない。火の熱にも耐えられない。……ドワーフの親方から見れば、ただのゴミ同然です」
ガルネットは、自分の薄い胸をギュッと掴んだ。
「でも……親方が拾ってくれたこの命、ただ飯を食って死ぬのを待つだけなんて、嫌なんだ……! 指先を動かすだけなら……俺にも、まだできる……ッ!」
少年は、グズガルが失敗して捨てた水晶の欠片と、極小のヤスリを拾い上げた。
「おい、やめろ! お前の体じゃ……!」
制止しようとしたグズガルを、私は無言で手で遮った。
私の目は、ガルネットの『指先』に釘付けになっていた。
少年の手は、病的で骨張っている。だが――その指がヤスリを握った瞬間、病的な震えがピタリと止まり、まるで彫像のように微動だにしなくなったのだ。
それは、前世で私が出会ってきたどんな天才外科医たちにも勝るとも劣らない、恐るべき『精密さ』を孕んだ指先だった。
「……やらせてみろ、グズガル」
私は真っ直ぐに少年を見据えた。
「お主、名前はなんという」
「……ガルネット、です」
「ガルネット。お主のその指に、処置室で眠る男の命を預ける。……できるか?」
ガルネットは、虚ろだった瞳に強烈な光を宿し、深く頷いた。
「やってみせます。……俺の、全てを懸けて」




