第19話「商業ギルドの屈服と、異世界初の『サプライチェーン』」
ルンデルの街の中心部にある、重厚な石造りの建物。
商業ギルド本部の応接室で、私はふかふかのソファに深々と腰を下ろしていた。背後には、大剣を背負ったオスウェルが威圧感たっぷりに立っている。
「いやはや、これは驚きました。スラムを病から救い、今や領主様から絶大な信頼を得ている『小さな大先生』が、わざわざこんなむさ苦しいギルドに足を運んでくださるとは」
私の向かいに座り、揉み手をして愛想笑いを浮かべているのは、商業ギルドのマスター、バルドという初老の男だ。
身につけている宝石や仕立ての良い服から、彼がどれだけ金を溜め込んでいるかがよくわかる。そしてその細い目には、明らかに『私を値踏みする』狡猾な光が宿っていた。
「して、本日はどのようなご用件で? 聞くところによれば、診療所の物資が不足して、お弟子さんたちが毎日市場を走り回っているとか。……私どもギルドを通していただければ、最高級の布や薬草を『特別価格』でご用意いたしますぞ?」
バルドはニィッと口角を上げた。
なるほど、足元を見る気満々というわけだ。今、私の病院が物資不足で首が回らないことを知っていて、通常の数倍の値段を吹っ掛けるつもりだろう。
「ふん。勘違いするな、タヌキ親父」
私は鼻で笑い、持参した分厚い羊皮紙の束を机の上にバサッと投げ出した。
「儂は、お前たちから『物』を買うために来たのではない。お前たちの『組織力』を丸ごと雇いに来たんじゃ」
「……は? 組織力、とは?」
バルドが怪訝な顔で羊皮紙を手に取る。
そこには、私が徹夜で書き上げた狂気的なまでの『物流契約書』が記されていた。
「これより、我がミルゼ総合病院は、個別の商人から一切の買い付けを行わん。お主ら商業ギルドに『物流管理』の全権を委託する」
「ぶ、ぶつりゅうかんり……?」
「そうじゃ。毎日、布を何ロール、塩を何キロ、肉を何グラム……というように、病院全体で消費する物資の『平均データ』がそこに書かれている。お前たちは、そのデータをもとに複数の業者を束ね、ギルドの専用倉庫で一括して在庫を管理しろ。そして毎日決まった時間に、決まった量の物資を、病院の指定した部署に直接納品しに来い」
私が一気にまくし立てると、バルドは目を白黒させた。
「な、なんという無茶苦茶な……! 我々商人は、安く買って高く売るのが仕事です。そんな、在庫管理から運搬までを一手に引き受けるような面倒な真似……」
「面倒? 馬鹿を言え。お主ら商人が一番喉から手が出るほど欲しい『利益』が、そこには確約されておるんじゃぞ?」
私はソファから身を乗り出し、バルドの顔を真っ直ぐに指差した。
「考えてもみろ。病院という場所は、毎日確実に大量の物資を消費する。つまり、お前たちからすれば『絶対に注文が途切れない、超優良な巨大顧客』を独占できるということじゃ。他所の街に売りに行く手間も、在庫を余らせて腐らせるリスクも完全にゼロになる。しかも、支払いは領主様から下りた莫大な予算から、滞りなく月払いで支払ってやる」
「ッ……!」
バルドの目の色が変わった。
商人としての計算が追いついたのだろう。「需要の保証」と「在庫リスクの消滅」。この二つが揃った商売がどれほどの莫大な富を生むか、タヌキ親父が気づかないはずがない。
「じゃが、条件がある。品切れは一切許さん。品質の低下もだ。もし必要な時に必要なものが届かなければ、契約は即刻破棄。別の街の商業ギルドに同じ話を持ちかけるまでじゃ。……どうする? やるか、やらんか、今ここで決めろ」
圧倒的な好条件と、背筋が凍るような重圧。
バルドは額から滝のような汗を流し、羊皮紙を持つ手をブルブルと震わせていた。
「や、やります……! いや、やらせてください、大先生! この商業ギルドの威信にかけて、先生の病院から『品切れ』の三文字を完全に消し去ってみせましょう!」
「よし、交渉成立じゃ」
私は満足げに立ち上がり、オスウェルと共にギルドを後にした。
こうして、異世界に初めて『病院専用のサプライチェーン(ジャスト・イン・タイム方式の物流)』が誕生した。
数日後から、ザッシュやテティアが買い出しに出る姿は消え去った。代わりに、毎日決まった時間にギルドの荷馬車が到着し、必要な物資が必要な場所に自動的に補充されていくようになったのだ。
「すごい……! 先生、私、調合室から一歩も出てないのに、塩も薬草も勝手に棚に並んでいきます!」
「俺も、もう市場を往復しなくていいんですね……っ!」
テティアとザッシュが感動の涙を流して抱き合っている。
彼らは買い出しという重労働から解放され、本来の仕事である「患者の命を救うこと」に全力を注げるようになった。
ミルゼ総合病院は、単なる名医の個人診療所から、組織として機能する『真の病院』へと大きな一歩を踏み出した。
――しかし、医療インフラが整ったことで、皮肉にも私たちは『現代医療でなければ絶対に治せない難病』に挑むための準備が整ってしまったのである。




