第17話「医食同源! 異世界版・究極の病院食」
カン、カン、カンッ!
診療所の裏手にある広い厨房で、私は踏み台に乗って巨大なまな板の前に立ち、見事な包丁さばきで野菜を細かく刻んでいた。
「先生、包丁の扱いもプロ級なんですね……」
背後で鍋をかき混ぜていたザッシュが、目を丸くして感心している。
前世で外科医をやっていたのだ。メスでミリ単位の神経を避ける指先からすれば、野菜の千切りなど目を瞑っていてもできる。
「ザッシュ、そっちの鍋の火加減はどうじゃ。絶対に沸騰させるなよ。とろ火でじっくりじゃ」
「はい! アクもこまめに取ってます!」
ザッシュが付きっきりで見張っている巨大な寸胴鍋。
その中では、オスウェルが市場から大量に買い付けてきた牛や豚、鶏の『骨』が、大量の香草や香味野菜とともに何時間も煮込まれていた。
「……すっげえ良い匂いがする」
厨房の入り口から顔を出したオスウェルが、ゴクリと喉を鳴らす。
鍋から立ち上る湯気は、深い琥珀色に輝く極上のスープ――『ボーンブロス(骨出し汁)』のものだ。
「骨の髄には、傷ついた細胞を修復するためのアミノ酸やコラーゲン、ミネラルがたっぷりと詰まっておるんじゃ。それを長時間とろ火で煮出すことで、胃腸に全く負担をかけずに体内に吸収できる『最強の薬効スープ』になる」
私は野菜を刻み終え、別の鍋でこの世界特有の柔らかい穀物(米に近いもの)を、水からじっくりと炊き上げていた。
米粒の形が崩れるほどトロトロになったところへ、先ほどのボーンブロスをたっぷりとお玉で注ぎ込む。最後に、かき混ぜた新鮮な卵を細い糸のように流し入れ、ふわりと花を咲かせた。
「よし、完成じゃ! 名付けて『ミルゼ特製・鶏卵ブロス粥』! それと、付け合わせは果実をすりおろしただけのビタミンペーストじゃ!」
私はお玉を掲げ、ドヤ顔で宣言した。
まかないの女性たちは、「お肉が一切入ってないのに、こんなに美味しそうな匂いが……」と信じられないものを見るような目をしている。
「さあ、冷めないうちに患者どもに食わせてこい! 今日からこれが、この病院の『病院食』じゃ!」
数分後。
病棟には、静かな、しかし確かな衝撃が走っていた。
「……な、なんだこれ……っ」
魔獣に腕を抉られた若い冒険者が、スプーンですくった卵粥を一口食べた瞬間、目を見開いて硬直した。
「噛まなくても……胃の中に、すうっと溶けていく。なのに、体の芯から熱くなるような、すげえ旨味が……っ」
「こっちのスープもだ。肉なんて入ってないのに、今まで食ったどの肉料理よりも味が濃い……。内臓が、ポカポカと温まっていくのがわかる……」
隣のベッドの木こりも、震える手でスープの器を両手で包み込み、泣きそうな顔で飲み干している。
硬い黒パンと塩辛い干し肉で胃を痛めつけていた彼らにとって、栄養の全てを優しく液状化した病院食は、まさに砂漠に降る甘露だった。
「美味しい……っ、大先生、これ、すっげえ美味しいです……っ」
冒険者の青年は、ポロポロと涙をこぼしながら、あっという間に器を空にしてしまった。昨日までは、パンを一口かじるだけで疲労困憊していたというのに。
「……ふん。泣きながら食うな、消化に悪いぞ」
私は腕を組み、満足げに鼻を鳴らした。
「医食同源という言葉がある。口から入る食べ物こそが、お前たちの体を作る一番の『薬』なんじゃ。魔法で無理やり細胞をくっつけるのではなく、お前たち自身の生きようとする力を、食で支える。それが儂の医療じゃ」
その日から、ミルゼ総合診療所の患者たちの回復速度は劇的に跳ね上がった。
栄養状態が改善したことで肉芽の形成が一気に進み、免疫力が底上げされたことで、術後の微熱すら出す者がいなくなったのだ。
「先生! 3番ベッドの患者さん、もう自力で歩行訓練を始めました!」
「おお、こっちの患者さんも、今日で抜糸できそうです!」
ザッシュとテティアから、次々と嬉しい報告が舞い込んでくる。
そして、この『究極の病院食』の噂は、思わぬ副産物を生み出した。
「たのもーっ! 小さな大先生、ちょっと腰を痛めちまってよ! 診察のついでに、あの『伝説のスープ』を飲ませてくれねえか!」
「俺も俺も! 指を擦りむいたんだ、だから一泊入院させてくれ!」
怪我や病気だけでなく、「ミルゼの病院に行けば、王侯貴族も腰を抜かすほど美味い飯が食える」という噂が街中に広まり、仮病を使ってまで入院しようとする馬鹿な冒険者たちが後を絶たなくなってしまったのだ。
「ええい、やかましい! 仮病の奴には一番太い注射針を尻にぶち込んでやる!! 帰れ帰れ!!」
私は箒を振り回し、診療所の玄関で暴れ回った。
「オスウェル! 仮病の馬鹿どもをつまみ出せ! ザッシュは在庫の確認じゃ! テティア、抗生物質の調合を急げ!」
「「「はいっ!!」」」
病院食という新たな武器を手に入れたことで、病院の回転率は上がり、さらに多くの患者を救えるようになった。
しかし、それが同時に『物資の異常な消費』という新たな問題を引き起こすことになるとは、この時の私はまだ気づいていなかったのである。




