第16話「立派な病棟と、治りの遅い患者たち」
領主から与えられた大豪邸を改装した『ミルゼ総合診療所』が開院してから、数週間が経過した。
「……ふむ。3番ベッドの男、傷口の化膿は完全に防げておるな。テティアの作った抗生物質(青カビから抽出したペニシリンもどき)がよく効いておるわい」
「はい、先生! 今朝の検温でも熱は平熱に下がっていました!」
朝の回診。
真っ白な白衣を羽織った私の後ろを、首から聴診器を下げたザッシュが、木板に挟んだカルテを抱えてついてくる。すっかり様になっている一番弟子の姿に、私は内心で目を細めた。
一階の大広間を改装した入院病棟には、現在十名ほどの重症患者が寝泊まりしている。
スラムでのパンデミック騒動以降、私の『科学(物理)医療』の噂は瞬く間に広がり、教団の治癒魔法に見切りをつけた患者たちが連日押し寄せていたのだ。
「しかし、先生……」
ザッシュが、カルテを見ながら少し心配そうに犬耳を垂らした。
「傷口は綺麗なのに、みんななんだか元気がないというか……。起き上がるのも辛そうにしている人が多いです。オスウェルさんが腹を切った時は、もっと早くピンピンしてましたよね?」
ザッシュの指摘に、私は顎に手を当てて唸った。
その通りなのだ。魔獣に腕を抉られた冒険者も、足を骨折した木こりも、傷口自体は順調に塞がりつつあるのに、顔色は土気色で、筋肉がげっそりと落ちている。
肉芽の形成――つまり、傷を修復するための新しい細胞が作られるスピードが、私の想定よりも圧倒的に遅いのだ。
「オスウェルは長年鍛え抜かれた異常な筋肉ダルマじゃから例外として……確かに、治りが遅すぎる。患者自身の持つ『自己治癒力』が根本的に足りておらん」
私が原因を考え込んでいた、その時だった。
「お食事をお持ちしましたよー」
スラムから雇い入れた厨房のまかない係の女性が、大きな木製の配膳カートを押して病棟に入ってきた。
待ちわびていた患者たちが、ゆっくりと身を起こす。
「ふむ、ちょうど昼飯の時間か。どれ、ちょっと見せてみい」
私は配膳カートの中を覗き込んだ。
そして――絶句した。
「……なんじゃ、これは」
「へ? 今日のメニューですか? 黒パンと、干し肉の塩茹で、それに野菜のクズを入れたスープですが……お肉が出るなんて、下層民からすれば大変なご馳走ですよ!」
まかないの女性が胸を張る。
私は震える手で、その『黒パン』とやらを手に取った。
石のように硬い。試しに近くの机の角にぶつけてみると、ゴツッ! という鈍器のような音が響いた。
「このパン、どうやって食うんじゃ……?」
「スープに浸して、ふやかして食べるんです。それでもかなり顎が疲れますけどね」
「干し肉は?」
「塩がたっぷり効いてるので、一切れでパンが一つ食べられます! 噛み切るのに十分くらいかかりますけど!」
私はワナワナと肩を震わせ、手にした黒パンを床に叩きつけた。
「馬鹿者ォォォォッ!!」
私の怒声が病棟中に響き渡り、患者もザッシュも、入り口で護衛をしていたオスウェルもビクッと肩を跳ねさせた。
「先生!? ど、どうしたんですか!?」
「食事じゃ! 原因はこの『食事』じゃ!」
私は患者たちの顔をビシッと指差した。
「いいか! 手術で腹を切ったり、血を流したりした患者の胃腸は、極限まで弱っておるんじゃ! そんな状態の胃袋に、こんな石のようなパンや、塩の塊のような干し肉を放り込んでどうなる! 消化するだけで無駄な体力を使い果たし、栄養として吸収される前に排出されてしまうわ!」
「あ……」
言われてみれば、と患者たちが気まずそうに目を逸らす。確かに彼らの多くは、出された食事の半分も食べられずに残していた。
「血を作り、傷を塞ぎ、肉を再生させるには『良質なタンパク質』と『ビタミン』が不可欠なんじゃ。こんな粗末な食事を食わせていては、治るものも治らん!」
私は白衣の袖を勢いよく捲り上げた。
「ザッシュ! 今すぐオスウェルを市場へ走らせろ! 鶏でも牛でもいい、とにかく『動物の骨』を大量に買ってくるんじゃ! それと、卵! 新鮮な卵をありったけじゃ!」
「ほ、骨ですか!? 肉じゃなくて!?」
「いいから行け! 今日からこの診療所の厨房は、儂が直轄する『医療施設』じゃ!!」
元・天才女医の怒りの矛先が、異世界の粗末な食文化へと向けられた瞬間だった。




