第15話「ミルゼ総合診療所、開院。そして解剖学の始まり」
それから一ヶ月後。
領主から与えられた大豪邸は、すっかり様変わりしていた。
一階の大広間は広大な待合室と無菌処置室に。
中庭にはグズガル専用のガラス・金属工房(煙突付き)が増設され、カンカンと鉄を打つ音が絶え間なく響いている。
風通しの良い二階の角部屋は、テティアが管理する調合室兼、薬品庫だ。
屋敷の門には、立派な木彫りの看板が掲げられていた。
――『ミルゼ総合診療所』。
「……なんでこうなったんじゃ」
私は自分のサイズに合わせて仕立てられた真っ白な白衣(正確には、撥水加工を施した純白のローブ)を羽織りながら、深いため息をついた。
結局、領主と街の住人たちの熱意(という名の物理的な包囲網)に負け、私はこの街に留まることになってしまったのだ。
「諦めが悪いですよう、先生。似合ってますよ、その白衣!」
ザッシュが犬耳をピコピコと動かしながら、診療録の束を抱えてやってきた。
彼も今では、簡単な傷の消毒や包帯の交換なら一人でこなせる立派な『一番弟子』だ。
「よし、本日の診療を始めるぞ。オスウェル、順番通りに患者を入れろ」
「承知した」
扉が開かれ、患者たちが次々と入ってくる。
私は白衣の裾を翻し、慣れた手つきで聴診器(グズガル特製)を胸に当て、触診し、メスを握る。魔法などなくても、人間の体は知識と道具さえあれば治せる。それを、この世界の人々に叩き込む毎日だ。
――そして、その日の診療が終わった夜。
「よし、全員集まったな」
診療所の奥にある広い会議室。
そこには、ザッシュ、テティア、グズガル、オスウェルの四人に加え、スラムから引き取ってきた身寄りのない孤児たちが十数人、机に向かって座っていた。
「いいか、お前たち」
私は教壇の前に立ち、背後にある巨大な黒板を杖でバンッと叩いた。
そこには、私が記憶を頼りにチョークで書き上げた、緻密極まりない『人体解剖図(筋肉と骨格の構造)』が描かれていた。
「儂の体は一つしかない。どんなに腕が良くても、救える命には限界がある」
私は子供たちの真剣な目を見回し、力強く言い放った。
「だから、儂はお前たちを育てることにした。治癒魔法などという不確かな才能は必要ない。必要なのは、学ぶ意志と、命に向き合う覚悟だけじゃ」
私は黒板の『心臓』の部分を指差した。
「魔法で傷を塞ぐ前に、まず『器』を知れ。血の流れを理解し、骨の構造を覚えろ。儂がお前たちに、この世界で最強のチート能力である『医学』を叩き込んでやる」
「「「はいっ、大先生!!」」」
子供たちの元気な声が、夜の診療所に響き渡る。
テティアも必死にノートを取り、ザッシュは尻尾を振って目を輝かせ、グズガルとオスウェルはそんな子供たちを頼もしそうに見守っている。
「(……まあ、悪くない余生かもしれんな)」
私は小さく微笑み、白衣のポケットに両手を入れた。
「さあ、第一回・人体解剖学の授業を始めるぞ! 居眠りする奴は、問答無用で麻酔なしの注射じゃ!!」
隠居を夢見た元・天才女医の異世界医療チート。
辺境の街ルンデルから始まる、世界の医療常識を覆す革命は、まだその産声を上げたばかりだった。




