97 孫と祖母 二人での話
二人の足音が廊下の向こうへ遠ざかると、応接間が急に静かになった。
サリアは長椅子に深く座り直して、焼き菓子をもう一つ摘まんだ。
「やっと静かになったわねえ。あの二人、悪い子たちじゃないんだけど、商売の話になると止まらないのよ」
「サリアおばあさまが言う?」
「あら、私は止まるわよ。止めるところでちゃんと止めるの」
サリアは悪びれもせずに菓子を口に運んだ。
「そうそう、チェリちゃん。エルナダから荷物が届いてるのよ」
「荷物?」
「チェリちゃんの服。春の分ですって」
チェリは天井を仰いだ。城を出たのはまだほんの少し前のことだった。季節ごとに送ると言っていたのは本気だったらしい。
「寮に送ってもらえばよかったのに」
「寮のお部屋に入りきらないかもしれないから、まずこっちに送るって。エルナダにしては気が利いてるわよね」
入りきらないほどの量なのだ、とチェリは察した。
「今日持って帰る?」
「……今日は無理かも」
チェリは膝の上の魔道具の板と笛を見下ろした。これだけでも両手が塞がりかけている。
「そうよね。じゃあ後で届けさせるわ」
サリアは軽く頷いて、茶碗を持ち上げた。
チェリは魔道具の板を撫でた。まだひんやりとしている。
「ねえ、サリアおばあさま。どうして中央に来たの?」
「チェリちゃんの様子を見るために決まってるでしょ〜」
「それだけ?」
サリアの手が、茶碗を持ったままほんの少し止まった。
「……私にもね、色々と用事があるのよ」
「どんな用事?」
「大人の用事」
サリアはにっこり笑った。それ以上は何も付け足さなかった。
チェリは口を尖らせたが、問い詰めても無駄なことは分かっていた。サリアは言わないと決めたことは、どれだけ聞いても言わない。言わないまま、いつの間にか話を別のところへ運んでいく。
チェリは茶碗を卓に置いた。
青籠亭を出てから、ずっと頭の隅に残っていることがあった。
「サリアおばあさま。お祖父様って、どこの生まれなの?」
サリアはきょとんとした顔をした。
「あら、急にどうしたの」
「……ちょっと気になって。聞いたことがなかったから」
サリアはしばらくチェリの顔を見ていた。それから茶碗を置いて、小さく肩をすくめた。
「知らないのよ」
「え?」
「私も知らないの。私だけじゃないわ。ネイディーアも、ミルザも、リッテも、エルナダも。五人とも誰も知らないのよ」
チェリは言葉を失った。
妻が五人いて、誰一人として夫の生まれを知らない。
「聞いたことはあるのよ、何度も。でも、そのたびにはぐらかされるの。上手にね。気がついたら別の話になってるのよ」
サリアは困ったように笑った。人の話を逸らすのが得意なのは、サリアも同じだった。そのサリアがそう言うのだから、相当なのだろう。
「だからチェリちゃん」
サリアが身を乗り出した。
「もしあの人から聞き出せたら、真っ先に私に教えてちょうだい。他の四人より先によ。絶対よ」
「……真っ先に?」
「真っ先に」
サリアの目は本気だった。
チェリは曖昧に頷いた。あのお祖父様が自分に生まれを話してくれるとは、とても思えなかった。
「それとね」
サリアは姿勢を戻して、何でもないことのように続けた。
「大学の出入りの業者に、うちの者を少し入れてあるの」
「……え?」
「洗濯屋さんとか、厨房とか、掃除の人とか。何人かね」
サリアは指を折りながら言った。
「あの教団はなくなったって聞いてるけど、残ってる人がいないとも限らないでしょう。不安がないわけじゃないもの。だから手は尽くしてるのよ。チェリちゃんたちは気づいてないかもしれないけど」
「全然気づかなかった……」
「でしょうね。気づかれるようにはしてないもの」
チェリは思わず扉の傍を振り返った。
「タウラ、知ってた?」
「存じません」
タウラが首を横に振った。
サリアが声を立てて笑った。
「タウラさんにも知られてないなら上出来ね」
チェリは膝の上で指を組んだ。
教団の残った人たちについては、心配しなくていい。今朝アリエから聞いたばかりだった。竜を敬っているだけで、強引な真似をしそうな者は見当たらない、と。
それを言えば、サリアは少し安心するかもしれない。
けれど誰から聞いたのかを話さなければならない。国からも追われている男と、首都の喫茶店で会っていた。そこから先を説明できる自信はなかった。
チェリは口を開きかけて、閉じた。茶碗を持ち上げて、冷めかけた茶を一口飲んだ。
「チェリちゃん」
サリアが改まった声を出した。
「一つだけ言っておくわね」
「なに?」
「変な男についていっちゃ駄目よ」
チェリは茶にむせかけた。
「な、なんで急に」
「大学なんて、いろんな男がいるんだから。顔のいいのも口のうまいのも、いくらでもいるのよ。とにかく二人きりは絶対に駄目。分かった?」
「わ、分かった……」
頷きながら、チェリの頭にはいくつかの顔が浮かんでいた。
昨日、食堂の真ん中で結婚しろと言ってきた男。今朝、窓のない部屋で茶を飲んでいた男。
どちらもサリアが聞いたら卒倒しそうだった。
「……ほんとに分かってる? なんだか目が泳いでるわよ」
「分かってる!」
チェリの声が裏返った。サリアの目がすっと細くなる。
扉の傍から、タウラが一歩前に出た。
「ご心配には及びません」
タウラは胸に手を当てた。
「私がどこまでもご一緒いたしますので」
サリアはタウラを見上げて、しばらくその顔を眺めていた。それから表情を緩めた。
「頼んだわよ、タウラさん」
「はい」
タウラは深く頭を下げた。チェリは何も言えずに、茶碗の縁を見つめていた。
* * *
帰る頃には、昼をとうに過ぎていた。
玄関に出ると、使用人たちが次々と包みを運んできた。焼き菓子の箱、茶葉の缶、干した果物の袋。
「これはチェリちゃんの分。こっちはガンマちゃんとナハヤちゃんの分。こっちはハリュナルちゃんとナツァークちゃんとヤシャークちゃんの分。こっちはディラさんたちの分ね。シルヴァーンちゃんには果物も入れておいたから」
「こんなに……」
「足りないくらいよ」
弟子の二人から贈られた魔道具の包みと笛もある。タウラの両腕はあっという間に塞がり、チェリも菓子の箱を二つ抱えることになった。
「それから、ガンマちゃんとナハヤちゃんだけじゃなくて」
サリアは指を一本ずつ立てた。
「ハリュナルちゃんにも、ナツァークちゃんにも、ヤシャークちゃんにも言っておいてちょうだい。暇があったら顔を出しなさいって」
「……ヤシャーク兄様にも?」
「あの子、放っておいたら食べないでしょう。エルナダがずっと気にしてるのよ」
チェリは昨日の食堂で聞いた、歯切れの悪い返事を思い出した。
「うん、伝えておくけど……ヤシャーク兄様、あの調子だから言っても来ないと思う」
「あら、そう?」
チェリはヤシャークの顔を思い浮かべた。整った顔立ちと一緒に、透けるように白い肌が目に残っている。日に当たっていない人の肌だった。
「あまり外にも出そうにないし。来てもらうなら、何かで釣ったほうがいいかも」
チェリは菓子の箱を抱え直しながら考えた。
「珍しい楽器があるとか、楽譜があるとか。吟遊詩人を呼ぶとか……」
サリアの目がぱっと輝いた。
「名案ね! とびきり珍しい楽譜でも仕入れておこうかしら。伝手はあるわ」
商いの話をする時の顔だった。これは本当に、ヤシャークが飛びつきそうなものを探してくるに違いない、とチェリは思った。
「お願いね。皆まとめて連れてきてくれてもいいのよ」
サリアは包みの山を見て、自分でも少し呆れたように笑った。
「また来てちょうだいね、チェリちゃん」
「うん。今度は皆で来る」
チェリが答えると、サリアは満足そうに頷いて門のところまで見送りに出てきた。
通りを曲がるまで、サリアは手を振っていた。




