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竜は西より来たる~人が空を飛ぶには竜に勝たないといけないらしい~  作者: えいちぜろな
第三章 大学入学編

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97 孫と祖母 二人での話

 二人の足音が廊下の向こうへ遠ざかると、応接間が急に静かになった。


 サリアは長椅子に深く座り直して、焼き菓子をもう一つ摘まんだ。


「やっと静かになったわねえ。あの二人、悪い子たちじゃないんだけど、商売の話になると止まらないのよ」


「サリアおばあさまが言う?」


「あら、私は止まるわよ。止めるところでちゃんと止めるの」


 サリアは悪びれもせずに菓子を口に運んだ。


「そうそう、チェリちゃん。エルナダから荷物が届いてるのよ」


「荷物?」


「チェリちゃんの服。春の分ですって」


 チェリは天井を仰いだ。城を出たのはまだほんの少し前のことだった。季節ごとに送ると言っていたのは本気だったらしい。


「寮に送ってもらえばよかったのに」


「寮のお部屋に入りきらないかもしれないから、まずこっちに送るって。エルナダにしては気が利いてるわよね」


 入りきらないほどの量なのだ、とチェリは察した。


「今日持って帰る?」


「……今日は無理かも」


 チェリは膝の上の魔道具の板と笛を見下ろした。これだけでも両手が塞がりかけている。


「そうよね。じゃあ後で届けさせるわ」


 サリアは軽く頷いて、茶碗を持ち上げた。


 チェリは魔道具の板を撫でた。まだひんやりとしている。


「ねえ、サリアおばあさま。どうして中央に来たの?」


「チェリちゃんの様子を見るために決まってるでしょ〜」


「それだけ?」


 サリアの手が、茶碗を持ったままほんの少し止まった。


「……私にもね、色々と用事があるのよ」


「どんな用事?」


「大人の用事」


 サリアはにっこり笑った。それ以上は何も付け足さなかった。


 チェリは口を尖らせたが、問い詰めても無駄なことは分かっていた。サリアは言わないと決めたことは、どれだけ聞いても言わない。言わないまま、いつの間にか話を別のところへ運んでいく。


 チェリは茶碗を卓に置いた。


 青籠亭を出てから、ずっと頭の隅に残っていることがあった。


「サリアおばあさま。お祖父様って、どこの生まれなの?」


 サリアはきょとんとした顔をした。


「あら、急にどうしたの」


「……ちょっと気になって。聞いたことがなかったから」


 サリアはしばらくチェリの顔を見ていた。それから茶碗を置いて、小さく肩をすくめた。


「知らないのよ」


「え?」


「私も知らないの。私だけじゃないわ。ネイディーアも、ミルザも、リッテも、エルナダも。五人とも誰も知らないのよ」


 チェリは言葉を失った。


 妻が五人いて、誰一人として夫の生まれを知らない。


「聞いたことはあるのよ、何度も。でも、そのたびにはぐらかされるの。上手にね。気がついたら別の話になってるのよ」


 サリアは困ったように笑った。人の話を逸らすのが得意なのは、サリアも同じだった。そのサリアがそう言うのだから、相当なのだろう。


「だからチェリちゃん」


 サリアが身を乗り出した。


「もしあの人から聞き出せたら、真っ先に私に教えてちょうだい。他の四人より先によ。絶対よ」


「……真っ先に?」


「真っ先に」


 サリアの目は本気だった。


 チェリは曖昧に頷いた。あのお祖父様が自分に生まれを話してくれるとは、とても思えなかった。


「それとね」


 サリアは姿勢を戻して、何でもないことのように続けた。


「大学の出入りの業者に、うちの者を少し入れてあるの」


「……え?」


「洗濯屋さんとか、厨房とか、掃除の人とか。何人かね」


 サリアは指を折りながら言った。


「あの教団はなくなったって聞いてるけど、残ってる人がいないとも限らないでしょう。不安がないわけじゃないもの。だから手は尽くしてるのよ。チェリちゃんたちは気づいてないかもしれないけど」


「全然気づかなかった……」


「でしょうね。気づかれるようにはしてないもの」


 チェリは思わず扉の傍を振り返った。


「タウラ、知ってた?」


「存じません」


 タウラが首を横に振った。


 サリアが声を立てて笑った。


「タウラさんにも知られてないなら上出来ね」


 チェリは膝の上で指を組んだ。


 教団の残った人たちについては、心配しなくていい。今朝アリエから聞いたばかりだった。竜を敬っているだけで、強引な真似をしそうな者は見当たらない、と。


 それを言えば、サリアは少し安心するかもしれない。


 けれど誰から聞いたのかを話さなければならない。国からも追われている男と、首都の喫茶店で会っていた。そこから先を説明できる自信はなかった。


 チェリは口を開きかけて、閉じた。茶碗を持ち上げて、冷めかけた茶を一口飲んだ。


「チェリちゃん」


 サリアが改まった声を出した。


「一つだけ言っておくわね」


「なに?」


「変な男についていっちゃ駄目よ」


 チェリは茶にむせかけた。


「な、なんで急に」


「大学なんて、いろんな男がいるんだから。顔のいいのも口のうまいのも、いくらでもいるのよ。とにかく二人きりは絶対に駄目。分かった?」


「わ、分かった……」


 頷きながら、チェリの頭にはいくつかの顔が浮かんでいた。


 昨日、食堂の真ん中で結婚しろと言ってきた男。今朝、窓のない部屋で茶を飲んでいた男。


 どちらもサリアが聞いたら卒倒しそうだった。


「……ほんとに分かってる? なんだか目が泳いでるわよ」


「分かってる!」


 チェリの声が裏返った。サリアの目がすっと細くなる。


 扉の傍から、タウラが一歩前に出た。


「ご心配には及びません」


 タウラは胸に手を当てた。


「私がどこまでもご一緒いたしますので」


 サリアはタウラを見上げて、しばらくその顔を眺めていた。それから表情を緩めた。


「頼んだわよ、タウラさん」


「はい」


 タウラは深く頭を下げた。チェリは何も言えずに、茶碗の縁を見つめていた。


 * * *


 帰る頃には、昼をとうに過ぎていた。


 玄関に出ると、使用人たちが次々と包みを運んできた。焼き菓子の箱、茶葉の缶、干した果物の袋。


「これはチェリちゃんの分。こっちはガンマちゃんとナハヤちゃんの分。こっちはハリュナルちゃんとナツァークちゃんとヤシャークちゃんの分。こっちはディラさんたちの分ね。シルヴァーンちゃんには果物も入れておいたから」


「こんなに……」


「足りないくらいよ」


 弟子の二人から贈られた魔道具の包みと笛もある。タウラの両腕はあっという間に塞がり、チェリも菓子の箱を二つ抱えることになった。


「それから、ガンマちゃんとナハヤちゃんだけじゃなくて」


 サリアは指を一本ずつ立てた。


「ハリュナルちゃんにも、ナツァークちゃんにも、ヤシャークちゃんにも言っておいてちょうだい。暇があったら顔を出しなさいって」


「……ヤシャーク兄様にも?」


「あの子、放っておいたら食べないでしょう。エルナダがずっと気にしてるのよ」


 チェリは昨日の食堂で聞いた、歯切れの悪い返事を思い出した。

 

「うん、伝えておくけど……ヤシャーク兄様、あの調子だから言っても来ないと思う」

 

「あら、そう?」

 

 チェリはヤシャークの顔を思い浮かべた。整った顔立ちと一緒に、透けるように白い肌が目に残っている。日に当たっていない人の肌だった。

 

「あまり外にも出そうにないし。来てもらうなら、何かで釣ったほうがいいかも」

 

 チェリは菓子の箱を抱え直しながら考えた。

 

「珍しい楽器があるとか、楽譜があるとか。吟遊詩人を呼ぶとか……」

 

 サリアの目がぱっと輝いた。

 

「名案ね! とびきり珍しい楽譜でも仕入れておこうかしら。伝手はあるわ」

 

 商いの話をする時の顔だった。これは本当に、ヤシャークが飛びつきそうなものを探してくるに違いない、とチェリは思った。


「お願いね。皆まとめて連れてきてくれてもいいのよ」


 サリアは包みの山を見て、自分でも少し呆れたように笑った。


「また来てちょうだいね、チェリちゃん」


「うん。今度は皆で来る」


 チェリが答えると、サリアは満足そうに頷いて門のところまで見送りに出てきた。


 通りを曲がるまで、サリアは手を振っていた。

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