96 サリアの別宅 二人の弟子
サリアの家へ向かう途中、チェリは通りの菓子屋に寄った。
手ぶらで行っても、サリアは何も言わないだろう。けれど後で「チェリちゃんがお土産を持ってきてくれなかった」と他のおばあさまたちに話すかもしれない。変な所で心配はされたくなかった。
焼き菓子の詰め合わせを包んでもらい、タウラが受け取った。
手紙に書かれていた場所は、大学の正門から通りを二本隔てたところだった。大通りから一本入った静かな道に、小さな家が並んでいる。
「……ここ?」
チェリは手紙と門札を見比べた。
こぢんまりとした家だった。低い塀に囲まれた庭があり、季節の花が植えられている。二階建ての建物は手入れが行き届いているものの、飾り気はない。通りに並ぶ他の家と比べて、特に大きいわけでもなかった。平民の一家が暮らしていても不思議ではない構えだった。
豪商の娘で、西の経済を回してきた人の家とは思えなかった。
庭で花に水をやっていた使用人が顔を上げた。城で何度も見た顔だった。
「チェリ様」
使用人は如雨露を置いて駆け寄ってくると、すぐに門を開けた。タウラにも会釈をする。
「奥様はご在宅です。どうぞ」
家の中は外から見た印象よりも明るかった。窓が大きく取られていて、廊下に日が差し込んでいる。案内された応接間の扉を使用人が叩くと、中から聞き慣れた声が返ってきた。
「はあい、どうぞ〜」
扉が開く。
長椅子に腰かけたサリアが、チェリの顔を見るなり両手を広げた。
「まあまあまあ、チェリちゃん! 来てくれたのね〜」
「サリアおばあさま。お手紙ありがとう」
チェリが歩み寄ると、サリアは立ち上がってチェリを抱きしめた。香の匂いがした。手紙の便箋と同じ匂いだった。
抱きしめられたまま部屋の中に目をやって、チェリは応接間にいるのがサリア一人ではないことに気づいた。
卓を挟んだ向かいの椅子から、男女が二人立ち上がっている。どちらも二十代の後半くらいだろうか。男のほうは背が高く、髪を短く刈り込んでいる。女のほうは髪を一つにまとめ、袖口を少し捲っていた。二人とも身なりは整っているが、貴族の服ではなかった。
「ああ、紹介するわね」
サリアがチェリを離して、二人のほうへ手を向けた。
「こっちはコルヴ。こっちはエクル。二人とも商人なのよ」
「コルヴと申します」
「エクルと申します。お目にかかれて光栄です」
二人は揃って頭を下げた。
「師匠の元で、色々と学ばせていただいております」
コルヴが言うと、サリアがひらひらと手を振った。
「何も教えてないわよ。便利だから使ってるだけ」
「師匠はいつもそう仰いますが」
エクルが笑った。言われ慣れているらしく、少しも気にした様子がない。
「チェリちゃん、この二人も一緒にいて構わないかしら? ちょうど用があって来てもらってたのよ」
「うん。大丈夫」
チェリが頷くと、二人は改めて礼をして椅子に戻った。チェリはサリアの隣に座り、タウラは扉の傍に立った。
チェリは向かいの二人を見た。
城では見たことのない顔だった。サリアに付いている者なら城に出入りしていそうなものだが、記憶のどこにもない。
「お城では、会ったことないよね」
「ええ、城には入れたことがないもの。知らなくて当然よ」
サリアがあっさりと言った。
「西にいた頃は、私の別宅に出入りさせてたの。商いの話は城でするものじゃないでしょう」
サリアが城の外に家を持っていることは知っていたが、そこに誰が出入りしているのかまでは知らなかった。
使用人が茶を運んできた。チェリが持ってきた焼き菓子も皿に並べられて出てくる。サリアが一つ摘まんで、まあ美味しい、と目を細めた。
「それにしても珍しいわね。ガンマちゃんとナハヤちゃんは一緒じゃないの?」
「誘いたかったんだけど」
チェリは茶碗を両手で包んだ。
「寮が男子と女子で分かれてて、すぐに連絡がつかないの。学内郵便も届くのは次の日になるし、寮の中では魔法を使っちゃいけないし。同じ寮にいるのに、すごく遠いの」
「あら、そうなの」
エクルが身を乗り出した。
「それでしたら、ちょうど良いものがございます」
エクルは足元の鞄から布の包みを取り出し、卓の上で開いた。
中には、手のひらに収まるほどの平たい石の板が六つ並んでいた。どれも同じ形で、表面が滑らかに磨かれている。縁に細い金具がはめ込まれていた。
「連絡を取り合うための魔道具です。短い言葉であれば、互いに送り合うことができます」
エクルは一つを手に取り、指先で表面をなぞった。なぞった跡が淡く光り、文字が浮かび上がる。それから板の縁を軽く押すと、文字はすっと消えた。
卓の上に残っていた五つの板のうち一つを、エクルがチェリのほうへ滑らせた。
表面に、さっきの文字が浮かんでいた。
〈はじめまして〉
「わ」
チェリは板を持ち上げた。ひんやりとしていて、思ったよりも軽い。
「送る相手を決めておけば、その相手の板にだけ届きます。長い文は送れませんが、待ち合わせの場所や時刻くらいでしたら十分です」
「でも、寮の中で魔道具を使っても大丈夫なの? 魔法は駄目って書いてあったけど」
「そちらは確かめてございます」
エクルは迷わず答えた。
「寮の決まりで禁じられているのは、魔法を使うことです。連絡のための魔道具は持ち込みも使用も認められております。念のため、大学の事務方にも同じことを伺ってまいりました」
チェリは目を瞬いた。自分でさえ、寮の規則を読んだのは入寮した日の一度きりだった。
「すごい! 便利!」
チェリは板を傾けたり裏返したりしながら、エクルの顔を見た。
「どうしてこんなにちょうど良いものがあるの?」
「大学で暮らすのに便利なものがないか、二人に考えてもらって持ってこさせたのよ」
サリアが茶碗を置いた。
「私はもうおばあちゃんだから、そういうのには疎くて」
「またまた」
コルヴとエクルの声が揃った。チェリも同じことを言っていた。扉の傍で、タウラまで小さく首を振っていた。
サリアは聞こえなかったふりをして、コルヴのほうへ顔を向けた。
「で、コルヴのほうは何を持ってきたのかしら?」
コルヴは少し居住まいを正した。懐から細長い布袋を取り出し、中身を卓の上に置く。
笛だった。小指ほどの太さの細い笛で、白っぽい木でできている。
「竜をお連れになると伺いましたので」
コルヴが言った。
「竜の耳によく届くと言われる、高い音の出る笛です。人の耳にはほとんど聞こえません」
コルヴは笛を布袋の上に載せたまま、チェリのほうへ差し出した。
「よろしければ、吹いてみてください」
チェリは笛を受け取って口に当てた。息を吹き込む。
何の音もしなかった。
「……鳴ってる?」
「鳴っております」
コルヴは真面目な顔で頷いた。
「竜に聞こえているかどうかは、実際に試していただかないと分かりませんが」
チェリはもう一度吹いてみた。やはり何も聞こえない。笛の穴を覗き込んでから、窓の外を見た。大学の方角だった。
「早く帰って試してみたい」
サリアが噴き出した。
「気に入ったって顔に書いてあるわよ」
「だって面白そうなんだもの」
チェリは魔道具の板と笛を膝の上に並べて、二人に頭を下げた。
「ありがとう。大事に使います」
コルヴとエクルも慌てて立ち上がり、深く頭を下げ返した。
チェリはサリアのほうにも向き直った。
「サリアおばあさまも、ありがとう」
「どういたしまして」
コルヴとエクルは顔を見合わせて、同時に胸をなで下ろした。それから椅子に腰を戻す。
「喜んでいただけてよかった」
「お気に召さなかったら、どうなることかと」
二人の視線がそろってサリアのほうへ向いた。
「別に怒らないわよ!」
サリアが声を上げた。二人は返事をせず、揃って茶を飲んだ。
茶碗が空になる頃、コルヴが立ち上がった。
「それでは、私どもはこれで」
「もう帰るの?」
「せっかくのお孫様とのお時間ですから。これ以上お邪魔するわけにはまいりません」
エクルも立ち上がって鞄を手に取った。
「今日は本当にありがとう。大事に使うね」
チェリがもう一度言うと、二人は丁寧に頭を下げて部屋を出ていった。
* * *
門を出て通りを少し歩いたところで、エクルが振り返った。サリアの家の塀の向こうに、庭の花が覗いている。
「とても良い子じゃないか」
先に口を開いたのはコルヴだった。
「ええ。師匠のお話だと、もっとこう……気難しいお嬢さんなのかと思っていたけれど」
「祖父君のことになると、だったか」
「そう。でも今日は、ちっともそんなふうには見えなかったわね」
エクルは鞄を持ち直した。
「笛を吹いた時の顔、見た?」
「見た。あれは本当に、早く帰って吹きたいという顔だったな」
二人は小さく笑って、大通りのほうへ歩いていった。




