92 学内郵便 三通の手紙
食堂を出たところでチェリはナハヤとガンマと別れた。二人は男子棟へ、チェリは女子棟へ向かう。共用棟を挟んで、寮の建物は左右に分かれていた。
チェリの半歩後ろをタウラが歩いている。交流の間、タウラはずっと食堂の壁際に立っていた。
壁際に立っていたのはタウラだけではない。黒寮は領主の一族やその縁者が多いため、連れてきている護衛の数も他の寮より多い。今日も壁に沿って各家の護衛がずらりと並んでいた。学生が騒いでいる間、壁の側だけは誰も口をきかず、揃いの仕着せを着た者たちが静かに主人を見ていた。
「タウラ、立ちっぱなしで疲れたでしょう」
「慣れておりますので」
タウラはいつもの調子で答えた。
「それより、色々とありましたね」
「……見てた?」
「見ておりました」
「もしかしたら、護衛の人が飛び出してくるかと思ったんだけど」
「害する気があるようには見えませんでしたので」
タウラはさらりと答えた。
「口喧嘩にもなっていなかったではありませんか」
その声に笑いが混じっていた。求婚の件も、アニャンドラの件も、壁際からは全部見えていたらしい。チェリは顔が熱くなるのを感じて、足を速めた。
女子棟の階段を上がって自室の扉を開けると、中にいたディラが振り返った。
「お帰りなさいませ、チェリ様」
部屋の奥の大きな籠の中で、シルヴァーンが首をもたげた。チェリの姿を見ると籠の縁に前脚をかけて、喉の奥で短く鳴く。機嫌の良い時の声だった。
「ただいま、シルヴァーン」
チェリが籠の傍に膝をつくと、シルヴァーンは首を伸ばしてきて頭をチェリの肩に押しつけた。首に掛けたアミュレットが小さく揺れた。
城を出る前は、寮の部屋でおとなしくしていられるか不安だった。見知らぬ建物、見知らぬ匂い、城の部屋よりずっと狭い。慣れるまで鳴き続けるのではないかとも思っていた。けれど着いて数日で、シルヴァーンはもう籠の中に自分の居場所を作っていた。
「今日も大人しかった?」
「はい。昼過ぎに少し外を眺めておりましたけど、あとはずっとお昼寝を」
ディラが答えた。
「交流会はどうでしたか」
「……いろいろと」
チェリは籠の縁に腕を乗せた。何から話せばいいのか分からなかった。求婚のことを話せばディラは卒倒しそうだし、アニャンドラのことは説明が難しい。
「そうだ。近いうちにシルヴァーンのお披露目があるかもしれないの」
「お披露目、ですか」
「寮の皆に見せるか、大学全体に見せるか、まだ決まってないんだけど。セティ姉様が寮長と寮監に話を通してくれてるところ」
ディラの目が輝いた。
「では、綺麗にしておかないと!」
「え?」
「鱗を磨くんです。柔らかい布で丁寧に拭くと、光り方が全然違うんですよ。脱皮したばかりの頃ほどではありませんけど、虹色がちゃんと出ます」
ディラはもう戸棚のほうを見ていた。どの布を使うか考えているらしい。
「まだ決まったわけじゃないよ」
「決まってからでは遅いんです」
きっぱりと言われて、チェリは何も言えなくなった。籠の中のシルヴァーンは、自分の話をされているとも知らずに欠伸をしていた。
「それと、チェリ様」
ディラが卓の上から何かを取り上げた。
「学内郵便で、お手紙が三通届いています」
学内郵便は、大学の中で手紙を届ける仕組みだった。学生や教員が決まった箱に手紙を入れておくと、係の者が集めて各寮や研究室へ配って回る。寮に届いた分は寮の受付に置かれ、使用人が受け取りに行く。
ディラから三通の封筒を受け取って、チェリは椅子に腰を下ろした。
「来たばかりなのに、三通も?」
チェリは封筒を眺めながら、首を傾げた。
「入学式のことでしょうか」
入学式は三日後に控えている。案内の類であればまとめて一通で来そうなものだった。
チェリは一番上の封筒を裏返した。
差出人は天授奉明室、ミクラ・レンジー。
チェリの手が止まった。
ミクラ。ついさっきヤシャークの口から聞いた名前だった。
封を切って便箋を広げる。丁寧な字で、天授について調べていること、ハリュークの血縁の方にぜひ協力を願いたいことが書かれていた。言い回しは柔らかい。無理にとは申しません、と一度ならず書いてある。最後の行に、研究室にはいつでもお越しください、事前のご連絡は要りません、とあった。
ヤシャークの言っていた通りだった。はっきり誘うのではなく、来たくなるように書いてある。
それにしても早い。交流会でヤシャークの話を聞いたばかりなのに、手紙のほうが先に部屋に届いていた。入学式もまだなのに、もう動いている人なのだ。
チェリは便箋を畳んだ。
ナハヤとガンマのところにも、きっと同じ手紙が届いている。ナハヤは慎重だから心配ないとして、ガンマは何も考えずに研究室へ行きかねない。すぐに行かないように伝えなければならなかった。
城にいた頃なら、風魔法で紙を飛ばして伝言を送ることもできた。けれど寮内でむやみに魔法を使うことは禁じられている。入寮の時に渡された紙の、最初のほうに書いてあった決まりだった。
「ディラ。ガンマとナハヤに学内郵便で送ったら、すぐに届く?」
「早くて明日になりますね。集配は一日に一度だけなので、急ぎの用には向かないと思います」
「そっか……」
チェリは溜息をついた。同じ寮の中にいるのに、男子棟と女子棟に分かれているだけで、こんなに遠い。城では廊下を走れば済んだ話だった。
「もうすぐ夕食のお時間ですし、食堂で伝えればいいのでは?」
「……そうする」
チェリは一通目を脇に置いて、二通目を手に取った。
見覚えのある字だった。裏を返すと、サリアの名があった。
「サリアおばあさまから?」
封を切ると、便箋からかすかに香の匂いがした。
中央領の首都に持っている別宅にしばらく滞在していること。困ったことがあればいつでも頼りなさいということ。それから、でも早めに顔を出してくれると嬉しいわ、と書き添えてあった。末尾に別宅の場所が記されている。地図で見る限り、大学の正門からさほど遠くない。
チェリは便箋から顔を上げた。
「見送りの時、サリアおばあさまがいなかったのって……」
大事な用があるので朝早くに発った、とネイディーアは言っていた。商いの話だと思って気にも留めなかった。けれど、行き先はここだったのだ。
「私は知っておりました」
ディラが申し訳なさそうに言った。
「ただ、私の口から先に言うわけにもいきませんでしたので」
「……うん。分かってる」
チェリは便箋をもう一度見下ろした。
家族が近くにいるのは、正直に言えば心強かった。
ただ、サリアが自分から言い出したことではないだろう、とチェリは思った。商いを放り出して孫の近くに住むような人ではない。おばあさまたちの誰かに、もしくは他の全員に頼まれたのだ。いや、あのサリアが頼まれただけで動くはずがない。何かしら見返りを受け取って、行かされたのだろう。
そこまで考えて、チェリは苦笑した。たぶん当たっている。
三通目を手に取った。
白い封筒だった。差出人の名はない。宛名だけが丁寧な字で書かれている。
封筒の隅に、小さな絵が描かれていた。
青い鳥籠。
チェリは息を止めた。
ディラは気づかなかったらしく、シルヴァーンの籠の傍で布を選び始めている。チェリは封筒を膝の上に置いたまま、しばらく動かなかった。
それから封を切った。
便箋は一枚だった。チェリは最後まで目を通し、もう一度初めから読み直した。
便箋を封筒に戻す。
「タウラ」
扉の脇に控えていたタウラが顔を上げた。
「少し、話があるの」




