08 春祭 開演
華やかな装飾が施された中央広場の舞台、その右手に用意された特等席に、チェリは座っていた。薄く透ける白銀のドレスに、春の花をあしらった髪飾り。メイドたちが丁寧に仕上げた化粧は、いつもの彼女とは別人のように気品を添えていた。
だが、肝心のチェリの表情は固く、緊張に唇をかみしめている。
舞台の左手奥には、堂々と構えた一人の男の姿があった。チェリの祖父にして西領の主、ハリューク。背筋を伸ばして座るその姿は威圧感すら漂わせていたが、彼の表情にはいまのところ、まだ穏やかさがあった。
舞台の袖、客席から見えない厚いカーテンの裏側。ナハヤとガンマは、わずかに顔を覗かせて舞台の様子をうかがっていた。
「……始まるね」
「チェリ……めちゃくちゃ緊張してる」
「“春の姫”として席に座ってるだけならまだしも……いや姫役は僕もごめんだけど……」
「……やー、マジで、お祖父様に騙し討ちなんて……オレには無理だわ……」
二人はそっと息を吐き、舞台袖の陰に身を潜め直した。
広場にはすでに多くの市民たちが集まり、祭の開始を今か今かと待ち構えている。
色とりどりの衣装に身を包んだ者たちが、広場の端から端まで人の波を作り、屋台からは香ばしい匂いや、笑い声が絶えず聞こえる。
舞台の中央では、進行役の司会者が姿を現し、軽やかな声で告げた。
「皆さま、お集まりいただきありがとうございます。今年の春祭は、例年とは少し趣向を変え、特別な出し物をご用意しております!」
ざわり、と人々がざわめく。舞台上のチェリは、心の中で「来たっ!」と呟いた。呼吸が浅くなる。握った手には汗がにじんでいた。
ハリュークが、わずかに首を傾げた。普段とは違う進行に、いぶかしげな視線を司会者に向ける。
司会者はハリュークの反応に少したじろいだが、手に持った台本のとおりに続けた。
「ほ、本来であれば、このあとはエルナダ様による開会の歌の演目でしたが――今年は、春の姫にまつわる一幕劇をお届けします!」
「劇……?」
ハリュークの眉が、少しだけ動いた。
チェリの脈が跳ね上がる。彼女は座ったまま、ごくりと唾を飲んだ。
司会者が舞台袖へと姿を消すと、入れ替わるように現れたのは、サリアだった。艶やかな紺の礼装に身を包み、閉じた扇を片手に静かに一礼する。
すると舞台が闇に沈んだように暗くなった。
「皆さま。西領地に古くから伝わる物語をご存知でしょう。“春の姫”――それは、長い冬を越え、春を呼ぶ妖精と、それにまつわる者たちの物語です……」
よく通る声が、春祭の喧騒を静かに断ち切るように響く。サリアはこうした口上はお手のものだ。彼女は名うての商人。数々の商談や交渉で鍛えた話術には場をつかむ力がある。
落ち着いた声にほどよい抑揚があり、観客の耳は自然と舞台に引き寄せられていった。
「昔々、ある冬にこの地を雪が深く覆い尽くし、全ての水は凍り、大地は眠り、人々はいつまで経っても来ない春の訪れを待ち焦がれておりました――」
舞台上が突然白一色に塗り替えられる。風に雪が舞い、舞台の上だけが、まるで真冬に戻ったように変化していた。
ミルザの魔法球が舞台上に冬のイメージを投影しているのだ。
サリアの扇が軽やかに開かれ、舞台の左右から、演者たちが姿を現した。
最初に現れたのは、全身を灰銀の甲冑に包んだ「凍土の騎士」。リッテである。
若い頃は剣士として名を馳せたリッテは硬質な足取りで舞台を歩みながら、場の空気を一変させる。
「私は冬の神の騎士、凍土の守り手。誰にも春は渡さぬ。雪解け水の妖精は我のものだ。どこにもやらぬ。氷の城で永久に我と共に生きるのだ」
そう告げると、舞台の一隅――氷を模した装飾の中に、小柄な白いシルエットが浮かび上がる。チェリの姿だ。役者とは思えない、姫がそこにいた。
氷同士がぶつかって軋むような硬質な音が響いてくる。
舞台袖のミルザが魔法球を使って、劇中の照明や音響を客席に届けていた。この劇を仕組んだミルザだが、本番では効果演出の裏方に回っている。
スポットライトに照らされる、チェリの姿を見た観客から、驚きと感嘆の声が漏れる。春の姫が氷の檻に閉じ込められている姿はまるで冬に囚われているように見え、その視覚的な演出に誰もが息を呑んだ。
その時、場面は転じる。
凍土の騎士であるリッテからスポットライトが外れた。
スポットライトに照らされ新たに登場したのは、ネイディーア演じる「西の領主」。
西領主の娘として生まれ、格式と儀礼を身につけて育った彼女にとって、このような役はまさに本職のようなもの。自然と備わる威厳をたたえ、舞台中央に立ち、力強く宣言する。
「雪が解けぬこの春。妖精の姿が見えぬこの春。ならば我が、直接山の神に問うしかあるまい!」
その言葉を合図に、舞台背後の幕が開く。
山々を模した緞帳の奥から、風を感じさせる衣をまとった者が現れる。歌声のような楽器のような、優しく不思議な響きを持つ声が響く。
それはエルナダ――山脈の神である「ウィゼル」だった。
「……人よ。何を求めて、この高みに声を届ける」
もともと歌のうまさには定評があり、春祭の歌い手として毎年舞台に立っていたエルナダにとって、この神の役はまさにうってつけだった。
ウィゼル役のエルナダの声は静かで深く、舞台の空気を震わせる。
西の領主はひるまず、両腕を大きく広げて訴える。
「長き冬が去らぬ。春が訪れぬ。未だ遠き冬風が吹くばかり。凍土の騎士が妖精を囚え、雪解け水は流れ出ぬ。われらの畑に、種を蒔くことすら叶わぬのだ!春の姫を取り戻すにはどうすれば良い!」
「……氷の城は人の身で行ける場所ではないぞ」
「ならば教えてくれ、山の神よ。どうすれば春の姫を取り戻すことができるのか。祈り、耐え、待つだけでは春は来ぬ。春が来ねば民は死を待つのみだ」
「……下界の事情など高みの知る所ではない」
「春を取り戻してくれるならば、民は山の神を祀ろう。春が来るならば夏も秋も訪れるだろう。秋には実りを山の神へと捧げよう」
ウィゼルはしばし沈黙し、風のように揺らぐ衣の裾をひるがえす。そして、ゆっくりと告げた。
「――ならば風を起こそう。古よりこの地に吹く、命の風を。マナの風が届くとき、空を裂いて舞い降りる者があろう。彼の者こそ、春を運ぶ翼なり」
その言葉とともに、ウィゼルの両手がゆるやかに空を仰ぎ、その指先から光が放たれる。
「……目覚めよ、風よ。マナの風よ。雪を溶かし、空を揺らし、この地に春を――」
その歌声に合わせて、魔法の光が舞台上を駆け巡る。ミルザによる魔法の照明が、淡く、優しく、まるで本当に季節が移ろっていくような光として演出された。
最後に現れたのは、舞台袖から飛び出したひとつの影――小さな竜。
そう、あの子竜だった。
観客のどよめきが広がる中、スポットライトに凍土の騎士が照らされる。
子竜は凍土の騎士の脇をすり抜けるようにゆっくりと飛ぶ。
「……ぐわあああっ!!!」
同時に凍土の騎士は吹き飛ばされてしまった。これもミルザの魔法演出である。
その後子竜はまっすぐにチェリ――「妖精」の元へと飛び、彼女の氷の檻の周囲を旋回する。
そして、その身体からまばゆい光が放たれた。
氷の牢が、砕け散った。
チェリは息を呑んだ演技をしながら、ゆっくりと立ち上がる。
空を飛ぶ子竜に手を伸ばし、力いっぱい抱きしめた。
すると子竜からまばゆい光が生まれて、舞台上の雪が吹き飛ばされるように消えていく。
風が冬をどこかへ連れて行ったかのように。
「かくして春はもたらされた。竜が、風とともに舞い降り、妖精を救った――それは、春の姫の物語……」
サリアの語りが始まると舞台上に花が舞う。ミルザの魔法で作られた春の花吹雪が、空を埋め尽くす。
魔法で起こした風が渦を巻き、劇を見守る人々の上に色とりどりの花びらを降らせる。
観衆は万雷の拍手で、春の姫と小さな竜を讃えていた。
「姫様!」「姫様の竜だ!」「本物だ!」「姫様!」「竜!」「かわいい!」「姫!姫!姫!!!」「うおおおおお」
興奮が高まり、歓声とも咆哮ともつかないような声を上げはじめた観衆を見て、チェリは引きつった苦笑いをしていた。
舞台の左手に座るハリュークは額に手を当て、黙って俯いていた。




