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09 祭の終わり 子竜の居場所

 春祭の夜空は、いまや幻想そのものだった。


 中央広場の空に、大きな竜の張り子が舞い上がる。年に一度の祭のために、城の使用人たちが時間を見つけては少しずつ作り上げたそれは、魔力の光を帯び、ゆっくりと、しかし確かに、風に乗って昇っていく。


 その周囲には、大小さまざまな張り子の竜たちも浮かんでいた。西領地の各地から届けられたもので、それぞれの村や町の名を背に受け、住民たちが誇りを込めて作った竜たちだった。彩色や形も多種多様で、金属箔の鱗が煌めくもの、植物を編んだ羽を持つもの、あるいは小さな子どもたちの落書きのような顔をしたものまである。


 張り子の竜に使われている紙には、魔力を帯びやすい特殊な加工が施されており、舞い上がるとマナの風の魔力を受けて淡く光を放つ。


 さまざまな色をした作り物の竜たちがマナの風に乗って夜空へと次々に昇っていくさまは、まるでこの地の春の命が一斉に羽ばたいていくようだった。


 竜たちが東の空へと渡っていくこの数日だけは、特別な日でもある。マナの風が安定して吹き、そして何より、竜たちはこの移動期には空を飛ぶものに対して寛容になる――ある種の掟のように、渡りの最中だけは空を飛ぶ他者に干渉しない。だからこそ、この張り子の竜たちも、魔力の風に乗って高く、遠くへと舞い上がることができるのだ。


「それー!」「飛べー!」


 竜の張り子の背後を追うように、無数の小さな切り紙の竜が子どもたちの手から放たれていく。大人たちが竜の張り子を作る時に余った紙を貰い、子どもたちが作った切り紙の竜は、様々な形で竜を模しており、あるいはぎこちなく、あるいは軽やかに宙を舞い、広場の空に混じり合った。


「わあ……」「やっぱりうちの竜が一番だな!」「すげえ、あの竜どこのだ?」「おお、マナの風よ……」「ぼくの竜、飛んだよ!ほらあそこ!」「今年はよく飛んどる。きっと豊作じゃ」「姫様が竜を連れてきたしのう」「明日から種蒔きだ」


 西領地の民たちは、それぞれに声を上げたり、じっと見上げたりしながら、その幻想的な光景に見入っていた。


 * * *


 竜の張り子が空を舞うその頃。

 石造りの城の奥の、執務室。


 祭の華やぎとは正反対の静寂が、分厚い扉の向こうに広がっていた。


 「……で、一体どうしてこんなことを?」


 低く、重く響いたのはハリュークの声だった。


 長机の前に座る彼を囲むように、五人の妻たちとチェリ、そしてナハヤとガンマが立っている。


 全員が、どこか気まずそうな顔だった。


「その、あの子がね……珍しくお願いしてきたのよ」

最初に口を開いたのは、サリアだった。

「ほら、チェリちゃんって、いつも遠慮して頼みごととかあんまりしないでしょ? だから、なんだか可愛くて……私の商人として鍛えてきた話術が、あの子の助けになるならって思ったのよ」


「責任の所在を明らかにしますか?私です。あなたの妻たちの行動の責任は、全て私が受け持っていますから」

ネイディーアが凛とした表情で言う。

「劇の台本を書いたのも私。……とはいえ、あの“劇”で収拾をつけようというやり方は、私の発想ではありませんが」


「言い出したのは、ミルザだった」

 リッテがやや困ったように笑う。

「“公の場で見せてしまえば、あとから否定はできない”と」


「既成事実……事後承諾というか」

 ミルザが肩をすくめる。


「ちょうど春祭っていう絶好の機会があったし、西の民に『春の姫のための竜だ』って印象を植え付けておくのが一番だと思ったんだよ。……まあ、私も楽しんだけどね。魔法を使った劇の演出」


「私は……あの子が寂しそうに見えて、つい手伝いたくなってしまって……それに」

 リッテが少し恥ずかしそうに言った。


「あの『凍土の騎士』役なんて、やってみたいに決まってるじゃないか」


「私は、チェリさんがあの子竜を抱いていた時の顔を忘れられなかったのです」

 エルナダは静かに語った。

「あんなに穏やかで……嬉しそうだったから。小さい頃、竜に襲われて、あんなに怖い目に遭ったのに……あの子にとって、あの子竜は……救いなのではないかと、そう思ったのです。それに、私の歌が役に立つのならって」


 五人五様の言い分があったが、そのすべては「チェリに子竜を育てさせたかった」という一点において一致していた。


 ハリュークは、それを黙って聞いていた。全員が話し終えると、彼は一度、大きく息を吐いた。


 「……別に、反対するつもりはなかった」


 その一言に、部屋の空気が一変する。


 「……え?」

 声を漏らしたのはガンマだった。


 「お祖父様、今なんて……?」


 「反対しないと言ったのだ」

 ハリュークはゆっくりと目を閉じて、言葉を選びながら続けた。


 「確かに、私はこれまで竜に関わらなかった。それは、あれが“自然そのもの”だからだ」


 彼の視線が、部屋の全員をゆっくりと見渡す。


 「人の手で制御するものではない。あの春の竜の渡りを見るたびに、私は……その美しさに、ただ見とれていた。だからこそ、あれに私が手を出すのは違うと思っていた。だが……」


 ハリュークの視線が、チェリに向く。


「お前と……その子竜の姿を見て、少し考えが変わった」


 チェリは、はっとして息を飲んだ。


 「関わってもいいのかもしれん、と。すべてを“遠ざける”のではなく、少し手を伸ばしてみてもいいのではないか、と」


 五人の妻たちは静かにうなずいた。ナハヤとガンマも、どこかほっとしたような表情を見せていた。


 だが――チェリだけは、微かな違和感を抱えていた。


 「子竜の姿を見て」……?


 本当に、それだけで考えが変わったのだろうか。

 そもそも祖父は、子竜の何を見たというのか。

 そして――チェリ自身の、何を。


 あの短い対面で、何かが伝わるほどのことがあっただろうか。

 それとも祖父は、最初から別の理由で考えを変えていて、今の言葉は、ただの飾りにすぎないのではないか――。


 「……チェリ?」


 リッテが心配そうに声をかけたが、チェリはすぐに笑って首を横に振った。


 「うん、ちょっと考え事してただけ」


 そう言って笑ったものの、胸の奥には消えない疑問が残っていた。


 春祭の夜、色とりどりの竜の張り子が舞う空を背景に――


 チェリの中に芽生えたその小さな疑念は、祖父ハリュークに対する違和感を、彼女の中で静かに深めていった。

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