07 五人の作戦 春の姫の物語
春祭の支度で慌ただしい城内とは対照的に、静けさが保たれた一室があった。厚い絨毯と高窓に守られた応接室、その中央に置かれた円卓を囲むのは、ハリュークの四人の妻たち――正妻のネイディーアと、二番目の妻サリア、四番目の妻リッテ、五番目の妻エルナダだった。
刻は昼過ぎ。春祭の行われる領都の中央広場ではちらほらと屋台が開き始めている頃。
「……皆さんの所にも届きましたか」
一人だけ立ち上がっているネイディーアは淡い光を帯びた紙片を卓上に置く。
他の三人も無言で次々と紙片を取り出して、ネイディーアに見えるように置いた。
他の妻たちの紙片を確認したネイディーアは、自分の紙片に書かれた文字を指でなぞりながら、はっきりと読み上げた。
「『チェリが竜の卵を孵した。飼えるように手伝ってほしい。ハリュークを説得したい』」
一瞬の沈黙のあと、サリアが吹き出しそうになるのを必死で堪えながら肩をすくめた。
「……相変わらず、あの人は……全員、文面は全く同じだし」
「あっはっは、説明、以上! って感じだよなあ」
リッテは豪快に笑っている。
「なんというか……端的で、無駄がないといえばないんですけれど」
エルナダが控えめに微笑む。
「いつも通りです。補足も状況説明も一切なし。それでも“何かが起きた”という確信だけは持たせてくるあたり……やっぱりミルザですね。春祭当日で皆忙しいというのに……」
ネイディーアの目がわずかに細められた、その時だった。
「……ん?」
ネイディーアに届いた紙片の表面に、かすかに魔力の揺らぎが走った。
ネイディーアは眉をひそめて紙片を見つめる。光を帯びていた文の下部に、新たな文字がじわじわと浮かび上がっていくのが見えた。まるでインクが紙ににじむように。
「これは……」
彼女が読むより先に、他の三人も自分の紙片に変化があることに気づき、次々とそれを手に取った。
四人がほぼ同時に声をそろえるように、その新たな一文を読み上げる。
「『みんなで“春の姫”をやろう』……?」
再び、静まり返る応接室。
「……??」
サリアがぽかんと口を開けたまま、次に言葉を探す。
「え、えっと、これはつまり……どういう意味?」
「“春の姫”って、あの、チェリが毎年嫌々やらされてる役のこと?」
ネイディーアが少し俯いて、考え込むポーズを取った。
「嫌々という言い方はどうかと思いますが……まあチェリさんは確かに嫌そうな顔してますけど……」
エルナダは小さく溜息をつきながら言った。
「“みんなで”って、もしかして……私たちも含めて、って意味……なんだろうなあ」
リッテが頭をかきながら言う。
「ミルザは本当に言葉が少なすぎる……」
ネイディーアはやっとの声で絞り出した。
みんなは紙片を持ったまま、しばし無言になった。
「協力してくれるよね?」
困惑して沈黙していた四人に、突然ミルザの声が降り注ぐ。
四人は同時に声のする方向――上を向いた。
ガッシャァァァン
そこにはガラスが細かく砕ける鋭い破壊音と共に、高窓を勢いよく蹴破って部屋に入ってくるミルザの姿があった。
壊れた高窓の破片は落下途中で空中にとどまり、魔法によって時間が巻き戻るように元の窓の位置に戻り、高窓は何事もなかったように修復されていった。
「またあなたは!部屋に破壊するんじゃありません!」
「この窓、開かないし……直すんだからいいじゃん……」
ネイディーアが子供を叱るような口調で言うが、ミルザは意に介さない様子でふわりと床に着地した。
「というか!ちゃんと入り口から入りなさいって言ってるでしょう!子供ですか!」
ミルザは怒るネイディーアから目をそらして逃げるように円卓の自分の席についた。
「チェリが竜の卵を孵したってほんとかい?」
サリアがまず口を開いた。
ミルザは頷いた後「売っちゃダメだよ」と険しい顔で念を押すように言った。
「私をなんだと思っているの?いくら子竜が珍しくても売るわけがないでしょう!」
サリアはすぐに反論したが、ミルザはまだ疑うような視線を向けている。
「……だっていきなりでしょ。販路がないわ」
サリアのその一言を聞いた四人はもれなく呆れ顔になった。
「チェリは竜を手元に置きたいと思っているんだね?」
リッテが尋ねると、ミルザはこくこくと頷いた。
「でも……ハリュークは竜には関わらないようにしているでしょう?どうしますの?私達が竜を保護する方向に勝手に動いてもいいの?」
エルナダが困り顔で言う。
「……いや、竜と関わるなと頼まれたわけじゃないし」
ミルザは事も無げに言い放つと、他の四人は目を見張った。
「確かにハリュークは私たちに直接『竜に関わるな』という頼んだことはないですね」
ネイディーアは口元に人差し指を当てて思案している。
「竜にできるだけ関わらない、というのはあの人の秘密の一つ。明言はしてないけれど、行動の一つ一つを見ていると察することはできた」
リッテは視線を上に向けて記憶を辿っている。
「だけど、私たちはそれを察して勝手に竜に関わらないようにしていただけ。頼まれてはいないわ。ああ、盲点ね」
サリアは悔しがるようなことを言いながら口元が緩んでいる。
「確かに、私達が勝手に気を回して竜の案件は遠ざけていましたが……本当にいいんでしょうか」
「竜が嫌なら嫌と素直に言ってくれればいいだけなのに、そんな簡単な頼み事すらしないハリュークを気にする必要あるかしら」
サリアは及び腰なエルナダに畳み掛ける。
「だってサリアは面白そうなことにしか興味を示さないから、絶対何か企んでるのでしょう?」
「目の前に現れた子竜の姿を見たあの人の慌てる姿が見たいだけよ……ああ、うん、確かに面白そうだからだわ」
サリアの返答にエルナダはため息をついた。
「竜をチェリの手元に置けるように動いても問題はないでしょうね。ちゃんと頼んでおかないのが悪いとして」
ネイディーアはそういった後、一呼吸置いてミルザに向かって尋ねる。
「で、春の姫とは何なのかしら?」
しばらくの沈黙のあと、ミルザが椅子の背に深くもたれたまま言った。
「だからさ。正面から行く必要はないんだ」
要領を得ない返答に四人の視線が自然とミルザに集まる。
「ハリューは理屈で決める人だから、理屈を先に整えておけばいい」
「理屈?」
エルナダが首を傾げる。
「そう。もう決まっていたことみたいに見せる」
ミルザは指先で円卓を軽く叩いた。
「祭の客の前でね」
ネイディーアがゆっくりと顔を上げる。
「……つまり?」
ミルザはにやりと笑った。
「祭の客のみんなの前で、既成事実にしてやるんだ。みんなで。劇で」
「劇でって……あの“春の姫”の昔話を、劇に仕立てるってこと?」
リッテの問いに、ミルザは得意げに頷いた。
「うん、そう。“春の姫”は西領地の住民なら誰でも知ってる物語だしね。使えると思うんだ」
「使えるって……あなた、本気で言ってるの?だいたい、劇は誰が演じるのかしら?」
ネイディーアの冷ややかな問いに、ミルザは屈託なく笑って言った。
「だから、みんなでやればいい」
* * *
森から戻って城の正門をくぐった時、チェリは内心でほっと胸を撫で下ろしていた。
ミルザのように高窓から空中進入などせず、三人は極めて普通に、通用門から城に戻った。
子竜はミルザの腕の中にいるが、ガンマの上着に包んで隠している。何か貴重な手土産でも抱えているような格好だったが、案外誰も気に留めなかった。
使用人たちは春祭の準備で忙しくしているし、魔力感知などという高等な魔法を日常的に使える者はいない。
何人かと顔を合わせたが、軽く会釈をされる程度で、特に怪しまれることなくそのまま通り過ぎることができた。
「よし、誰にもバレてねえな」
「ガンマはいつも上着を脱いで帰ってくるから、まあ違和感はないよね」
「こんなん着てたら外で遊ぶ時に邪魔なんだから脱ぐだろ。破いたら怒られるし」
ガンマとナハヤののんきなやり取りを見て、チェリはそれどころじゃないと眉をひそめて、歩きを速めた。
三人はチェリの部屋の入り口に着くと、周りを見回して誰もいないことを確認する。丸めた上着の中から子竜を引っ張り出す。
チェリはそっとドアを開けて、中にメイドがいないことを確かめて、子竜を素早く部屋に押し込んだ。
「二人も早く部屋に戻って。……ミルザおばあさまは『準備ができたら迎えに来る』って言ってたから、それまでおとなしくね」
ガンマとナハヤは頷いて、祭の滞在中の自室としてあてがわれている客室にそれぞれ急いだ。
チェリは扉を閉めて鍵をかけ、ひと息つくと足元にいた子竜と目が合う。
自分の部屋に竜がいるという現実がどこか夢のようだった。
「……このままだと、ディラが来たら一発でアウトだよね」
視線を部屋に巡らせる。クローゼット、机の引き出し、ベッドの下、カーテンの裏……どれも一時的には隠せそうだが、おとなしく収まっていてくれる気がしない。
今も子竜はチェリの心配など知らぬ顔をしてベッドの上でぽよんぽよんと跳ねている。この子はどこかに押し込んでも、抜け出してくるに決まっている。
チェリはベッドに倒れ込んで、跳ねる子竜に抱きついた。
(ミルザおばあさまの言う“準備”って、いったい何なんだろう……)
ミルザおばあさまは説明が足りない、というより説明という概念がそもそも欠けている。いつも目的だけを示し、その過程は自分で補完しろという無言の圧力をかけてくる。
コンコン。
扉がノックされて、チェリは驚いて子竜を強く抱きしめてしまった。
その拍子に子竜の息が大きく音を立てて漏れたので、チェリは慌てる。
「迎えに来たよー、チェリ」
ミルザの声だった。ため息と安堵が同時にこぼれる。
「今行く!」
チェリは子竜を手近な所にあったスカーフにくるみ、慎重に抱えて扉を開けた。
そこには相変わらず飄々とした笑みを浮かべるミルザが立っていて、後ろには四人のおばあさまたちの姿があった。
「えっ……おばあさまたち?……みんな!?」




