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竜は西より来たる~人が空を飛ぶには竜に勝たないといけないらしい~  作者: えいちぜろな
第二章 大学受験編

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84 出立 見送る者たち

 春祭が終わって三日後、チェリは城を発つことになった。中央領の大学まで馬車で十日。入学の日取りから逆算すれば、これ以上遅らせられない。


 荷の大半は先に送ってある。受け取りはナツァークが引き受けたが、男の身では女子寮に入れない。部屋を整えるために城の使用人が二人、荷に付いて先に発っていた。二人はチェリが着いたら城へ戻る。

 ナハヤ付きの使用人ノルムも数日前に発っていた。年が年だから道中を急がせるわけにいかないという、ナハヤの母リアーナの指図だったらしい。


 馬車が城の正門前に並んだのは、まだ朝靄の残る時刻だった。


 二台のうち一台は人が乗り、もう一台に荷を積む。先に送っていることもあって、荷積みの時間はあまりかからなかった。ディラが最後の確認をして荷車の縄を締め直していた。タウラは護衛の騎士たちと段取りを詰めている。


 チェリがホールを抜けようとすると、柱の脇に立っている人がいた。


「サジット先生」


「おはようございます。見送りに来ました」


「……この前、お別れしたのに」


「やはり、すぐに会えましたね」


 サジットは少し笑った。


「予備校の準備はどうですか」


「机を並べるところからです。まだ生徒もおりません」


 それから、サジットは少し姿勢を正した。


「チェリさん」


「は、はい!」


 チェリもつられて姿勢を正す。


「あ、そんなに身構えないでください。中央の大学は私の母校でもあるので、何か有益な情報を教えてあげられればいいと思っただけで」


「あ、先生!」

「ご無沙汰しています」


 二人が振り返るとガンマとナハヤがやってきていた。


「ちょうどよかった。皆さんに何か大学について教えられるお得な情報がないかと考えていたのです」


 サジットは顎に手を当てた。


「そうですね、黒……北寮のことはあまり詳しくないのですが……ああ、そういえば」


 サジットが手を打った。


「幽霊が出るという噂がありましたね」


「え」


「古い建物ですから。北寮の尖塔に白い人影を見た人が何人もいるとか……私は見ておりませんが」


「全然お得な情報じゃないです!」


 チェリの声が上ずった。ガンマが噴き出す。


「出たら俺が斬ってやるよ」

「斬れないだろ、幽霊は」


 ナハヤが冷静に言った。


「先生、他にないんですか。もっとこう、役に立つことが」


「役に立つこと……」


 サジットがまた考え込んだ。しばらく唸ってから、ぱっと顔を上げる。


「そうだ。大学を出てすぐの広場に軽食の屋台が並んでいます。あれは美味しいですよ」


「屋台!?」


 ガンマが身を乗り出した。


「学生の頃はよく通いました。特に朝の早い時間に出る店が良いのです。焼きたてが食べられますから」


 それは確かに役に立つ話だった。ガンマは真剣な顔で聞いている。


「幽霊より先にそっちを言ってください」


「順番を間違えましたね」


 サジットは悪びれずに言った。

 

「先生は北寮じゃなかったんですか」


「黒は……失礼、北寮は領主一族や上級貴族の方々が入る寮ですから。私にはとてもとても」


「黒?」


「学生の間では寮のことを色で呼ぶのです。建物の色が寮ごとに違いますので。北は黒い石、西は白い石、南はレンガで赤、東は青練土で青」


 サジットは懐かしそうな目をした。


「私は赤寮でした。副寮長をやっていて、赤の二番手だったんですよ」


 サジットの声が少しだけ得意げになった。


 寮に長がいることは知っている。ナツ兄様がその役目で、今は引き継ぎに追われているらしい。ただ、それがどういう仕組みで、何をする役なのかまでは知らない。二番手というのがどれほどのことなのかも分からなかった。

 あとで兄たちに聞いてみよう、とチェリは思った。何かとても意味のある称号らしいと、その顔つきで分かる。


「ああ、青練土って、あの青い壁の」


 考え込んでいたナハヤが思い出したように言った。


「倉庫とかに使ってあるやつだろ」


 ガンマもすかさず口を挟む。


「そうです。安くて丈夫ですから、首都のほうでも広く使われるようになりました。東寮は古い造りのままなので青いのですよ」


「……先生、寮を色で呼ぶことを最初に教えてくれればよかったんじゃないですか。役に立つ情報です」


「確かにそうですね」


 サジットが笑った。


 外からタウラが歩いてきた。声はかけず、少し離れたところで立ち止まる。支度が整ったという合図だった。


「長話をしすぎましたね」


 サジットが自分から話を切り上げた。


「では、お気をつけて」


 深く頭を下げる。三人も礼を返した。

 チェリがホールを出るとき、サジットはまだそこに立っていた。


 * * *


 正門の前におばあさまたちが揃っていた。


 ネイディーアが中央に立ち、リッテとエルナダがその左右にいる。ミルザは少し離れたところで浮遊する魔法球に腰かけていた。


 チェリは数えて、一人足りないことに気づいた。


「サリアおばあさまは?」


「大事な用があるので、今朝早くに発ちました」


 ネイディーアが答えた。


「そうなんだ」


 サリアなら商いの話が入ればそちらを取る。今までも何度かあったことだ。ガンマも「相変わらずだな」と言って、先に馬車へ足をかけた。


「体に気をつけて」


 エルナダが両手でチェリの手を包んだ。


「食事を抜いてはいけませんよ。ちゃんと寝ること」


「はい」


「ドレスは季節ごとに送ります」


「そんなに要らないです」


「要ります」


 エルナダは一歩も引かなかった。それから思い出したように手を打つ。


「そうそう、チェリさん。大学にはヤシャークさんがいますからね。困ったことがあったら頼りなさい」


「ああ、ヤシャーク兄様……」


 顔の綺麗な従兄の顔が浮かんだ。チェリたちよりも少し年上の、エルナダの実の孫。親族の集まりで何度か見かけている。話した記憶はほとんどない。


「あの人、頼りなさそうだったけどなあ」


 馬車に足をかけていたガンマが振り返って言った。


「ガンマ……」


 ナハヤが窘めたが、エルナダは怒らなかった。むしろ少し考え込む顔になった。

 しばらくして、両手を頬に当てる。


「……そうね。チェリさん、ヤシャークさんの様子を見てきてもらえるかしら」


「え」


「ちゃんと食べているか、あの子は放っておくと歌ってばかりで」

 さっきと言っていることが逆になっていた。


「はい……分かりました」


 チェリは頷くしかなかった。


「まあ、ハリュナルとナツァークがいるから大丈夫だろう」


 リッテが笑いながら背中を叩いた。強い。


「困ったら手紙を書きなさい。力になる」


「うん」


 ミルザは魔法球に腰かけたまま、こちらを見ていた。何も言わない。チェリが目を合わせると、片手を上げてひらひらと振る。その手にきらりと光るものがあった。

 白銀の鱗のお守りだった。


 チェリは首にかけている自分のお守りを引き出して、掲げてみせた。ミルザが頷いた。


 馬車に乗り込む。ディラが先に、タウラが最後に。シルヴァーンは座席に体を伸ばして、頭だけをチェリの膝に乗せていた。ガンマとナハヤは向かいに座った。


 扉が閉まる直前、チェリは正門の奥を見た。


 ハリュークが立っていた。


 去年と同じ場所だ。何も言わない。ただこちらを見ている。チェリが小さく頭を下げると、ハリュークは一度だけ頷いた。


 馬車が動き出した。


 * * *


 城門をくぐると、道の両側に人が出ていた。


 朝の早い時刻だというのに、城下の者たちが並んでいる。手を振る者、名を呼ぶ者、抱き上げられた子供が背伸びをしている。昨夜の祭の名残で、まだ幟が立ったままの店先もあった。


「姫様!」


「行ってらっしゃいませ!」


 チェリは窓から手を振った。ガンマが向かいで「すげえ人だな」と呟いている。


 道が曲がる手前で、チェリの手が止まった。


 人垣の後ろに、誰かが立っている。


 外套を着て、左腕を体の前で押さえるようにしていた。顔がこちらを向いている。笑っていた。


 見覚えのある笑顔。


 右手が上がって、ゆっくりと振られた。


 見送りの人垣の中で、その動作だけが他の誰とも違っていた。周りの者は声を上げ、腕を大きく振っている。その人だけが静かに、こちらだけを見て手を振っていた。


 チェリは窓に顔を寄せた。


 馬車が進む。人垣が流れていく。もう一度その場所を見たときには、そこには誰もいなかった。


 外套の色も、輪郭も、初めからなかったように消えている。


「どうした?」


 ガンマが覗き込んできた。


「……ううん」


 チェリは座席に体を戻した。


 タウラは扉側で外を見ている。何も言わない。気づいていないのか、気づいていて言わないのかは分からなかった。


 膝の上でシルヴァーンが身じろぎした。チェリはその頭に手を置いて、窓の外へ目を向けた。


 城が遠ざかっていく。尖塔の先が朝の光を受けて、それも間もなく見えなくなった。

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