79 竜の飼育許可 王の印章
チェリが中庭を通りかかると、使用人たちが木を組んでいた。
長い材を何本も渡して縄で縛り、大きな骨組みを立ち上げている。まだ何の形とも言えない。ただ毎年この時期に同じものが中庭に現れるので、チェリには何が始まったのか分かった。
春祭の竜の張り子だ。
竜の渡りが確認されるとこの準備が始まる。使用人たちは何日もかけて骨を組み、紙を貼り、色を塗る。祭の夜に空へ上げてしまえばそれきりのものに、彼らは毎年ずいぶんな手間をかけていた。
チェリは通り過ぎながら骨組みを見上げた。今年もまた大きい。
* * *
議事の間に人が集まったのは、その日の午後だった。
卓の上に一通の書類が広げられている。チェリが近づくと、下の隅に押された印章が目に入った。城で使われるどの印章とも違う。
「王の印章だ」
ナテュークが言った。
チェリは書類を覗き込んだ。紙の質も文字も城のものとは違っている。堅く整った書きぶりで、読み下すのに時間がかかった。
「……国王陛下が? 竜の申請って、そこまで上がるものなの」
「前例がないからだ」
ハリュークが答えた。
「竜の飼育が敵対行為に当たるかどうか、誰も判じたことがない。判じられる者が上にしかいなかったというだけの話だ」
議事の間には両親とおばあさまたち、ガンマとナハヤも来ていた。皆が卓を囲んで書類を覗き込んでいる。ミルザは紙に指を近づけて何かを確かめていた。
「認可は下りた。ただし条件が付いている」
ナテュークが条文を読み上げていく。竜が人に危害を及ぼした場合、その責は飼育者が負うこと。飼育にかかる費用は飼育者が負担すること。竜の状態を定期に報告すること。飼育の場所を届け出ること。
「……全部、私が」
「そうなる。書類の上ではお前の名で申請している」
チェリは自分の名が記された行を目で追った。その下に義務が並んでいる。城にいる間、シルヴァーンの食べるものは厨房から出ていた。誰が何を負担しているのかを、チェリは考えたことがなかった。
「餌は……どのくらい要るのかしら」
チェリが顔を上げると、壁際のディラが首を傾げた。
「今は果物と、厨房の余りものを分けていただいておりますけれど。あちらでも同じようにいくかどうか」
「大きくなったらどうすんだ? あんなに毎年でかくなってるのに」
ガンマが卓の脇の籠を指した。シルヴァーンは籠から出て卓の脚に頭を擦りつけている。書類にも印にも関心を示さない。
「そもそも竜が何を食べるのかを、誰も知らないんじゃないの」
ナハヤが静かに言った。
渡りの竜を見上げて春を祝う土地でありながら、その竜が何を食べているのかを気にした者はいない。飼った者がいないのだから当然だった。ミルザが面白そうな顔で口を挟む。
「調べればいい。誰も知らないなら、チェリが最初に知ることになる」
「そういう話じゃなくて……」
「そういう話だよ」
ミルザは指先で卓を叩いて、それきり黙った。
チェリはもう一度書類に目を落とした。定期に報告すること、とある。何を報告するのか、どこまで書けばいいのか、条文からは読み取れない。
「大学は、これに従うのですか」
ネイディーアが尋ねた。
「従わないわけにはいかん。王の名が入っている」
ハリュークが答えた。
「ただし学内でどう扱うかは大学が決める。講義に連れていけるかどうかは、向こうと話すことになるだろう」
通ったと言われたのに、決まっていないことのほうが多い。チェリは小さく息を吐いた。
書類はそれから丁寧に折られ、ナテュークの手で封に収められた。
皆が退出しても、ハリュークは席を立たなかった。
封の上に指を置いたまま、王の印章が透ける位置を眺めている。長い間そうしていた。何かを確かめているようでもあり、ただ手が止まっているだけのようでもあった。
扉のところでチェリが振り返った。
「お祖父様?」
ハリュークが顔を上げる。表情はいつもと変わらなかった。
「いや。……行きなさい」
それだけだった。
* * *
議事の間を出た三人は、そのまま廊下を歩いた。中庭の骨組みの前でチェリが足を止める。使用人たちはまだ木を縛っていた。
「そういえば、二人は家に帰らなくていいの」
チェリが尋ねると、ガンマは骨組みを眺めたまま答えた。
「あー……別にいいかな」
「別にいいって、しばらく帰ってないでしょう」
「試験の前からずっとここにいるからさ。なんかもう、ここが家みたいになってる」
ガンマは肩をすくめた。帰りたいという顔をしていない。
「僕も必要なものは届けてもらうよ」
ナハヤが言った。
「それに春祭には父様も母様も来るから。ジェイワも一緒に来ると思う」
チェリは二人を見比べた。
ガンマの家もナハヤの家も、城から馬車で何日かかかる街にある。二人はその街を離れて城の客室で暮らし、朝に起きて教室へ行き、夜になれば城の中の自分の部屋へ戻る生活を一年近く続けてきた。親の顔を見るのは行事の時だけだ。
「……二人とも、もう親元を離れてるってことよね」
「そうなるな」
「今さら?」
ナハヤが呆れた顔をした。
チェリは中庭の骨組みに視線を戻した。自分は生まれてから今まで、この城を出て暮らしたことがない。旅に出たのは受験の時が初めてで、それも十日ほどのことだった。
勉強では負けたことがない。竜のことも自分が一番よく知っている。それなのに、当たり前に暮らすというところで二人が先を行っている。そんなことを気にする自分が子供じみているとも思う。思うのに、胸のあたりが落ち着かない。
「チェリ」
ナハヤに呼ばれて顔を上げた。
「自分だけ遅れてるって思ってるでしょ」
図星だった。
「そういう顔してるから」
ガンマが笑い出した。チェリが何か言い返そうとしているうちに、ガンマは中庭へ歩いていって、木を組んでいる使用人に話しかけていた。




