78 報告の手紙 事実の裏付け
チェリを呼びに来たのはタウラだった。
呼びに来るのはたいていディラの役目だ。それがタウラだということは、部屋の外に人を置きたくない話ということになる。竜の申請の返事が届く頃合いではあった。けれど廊下を歩きながらチェリの頭をよぎっていたのは別のことだった。
タウラが執務室の扉を叩く。
扉が開くと、ハリュークは執務机の向こうに座っていた。手元に封筒が一通ある。
「アリエから手紙が来ている」
チェリの足が止まった。廊下でよぎった予感がそのまま形になっていた。
「大学の合格祝いで領民が城に来た日があっただろう。あの時に届けられていた」
あの日からもう随分になる。チェリは何も言わなかった。
「宛先もなく、無記名でしたので、既に封は切られております」
タウラが言った。城に届く差出人のない物は改められる。当然の手順だった。
チェリは便箋を受け取って広げた。合格を祝う言葉が並んでいる。書き慣れた手で、どこにでもある文面だった。アリエに繋がるものは何ひとつ書かれていない。
「どうしてアリエからって分かったの」
「……ここに」
タウラが便箋の隅を指した。小さな絵が刷られている。
青い鳥籠だった。試験を受けに行った日、チェリとタウラが地図を頼りに探し歩いた店の看板と同じものだ。木の看板に描かれていたものを、路地を一つずつ確かめながら見上げた。青籠亭のものだった。
「店の紙を使っただけかもしれないと思いましたが」
タウラが封筒を裏返して見せた。縁の糊が剥がされて、二重になった内側が開かれている。
「念のため、分解いたしました」
内側の紙に細かい文字が並んでいた。封を切っただけでは決して読めない場所だ。チェリはタウラを見上げた。あの日、この人も同じ店にいた。
「教団を壊滅させた、とある」
ハリュークが言った。
「教祖と幹部、それから強硬活動部隊は念入りに潰した、と」
「強硬活動部隊?」
「大学の爆発を起こした者たちだ。ああいう荒事を実際に動かす連中がそう呼ばれていたらしい」
チェリの指が便箋の縁を握った。
「部下に確かめさせたが……手紙の内容は正しいようだ」
蒼眼の竜では内輪揉めが起きたのだという。集会の最中に教祖と幹部たちが激しく争い、人が死ぬ事件になった。理由は分かっていない。
「一般の信者は何が起きたのか分からず、その場で呆然としていたそうだ」
頭がいなくなれば教団の形は保てない。蒼眼の竜は解散した。
手紙には続きがある。教団は解散しても教えを信じる者は残るので注意はするべきだ、と。
「このことを伝えるのが遅くなったのは、裏付けが取れるまで待っていたからだ」
なぜ今なのかという疑問は、それで解けた。
チェリは便箋を持ったまま動けなかった。
争ったのは教祖と幹部たちだ。アリエが手を下したとは書かれていない。ではどうやって、と考えかけて、考えるのをやめた。
人が死んでいる。何人死んだのかも書かれていない。
いつだったか、あの人は言った。左腕を取り返しに行く、ついでに教団そのものも潰すつもりでいる、と。あの時のチェリは、そこまでしてほしいわけじゃないと答えた。それでもあの人は自分個人の決定だと言って、実際にやってのけた。
同時に、体の力が抜けるような感覚もあった。荒事を動かす者たちがいなくなったのなら、シルヴァーンを奪いに来る者はもういない。大学で誰かが爆発に巻き込まれることも、ディラやタウラが自分のせいで刃の前に立つこともない。それを安心だと感じている自分がいる。
「安心しました」
タウラが言った。
チェリは顔を上げた。タウラの表情に迷いはない。護衛としてはそれが正しいのだと分かる。分かるのに、背中が冷たくなった。
ハリュークは何も言わなかった。便箋を受け取って封筒に戻し、それだけだった。表情から何を考えているのかは読み取れない。いつものことだった。
チェリは礼を言って執務室を出た。廊下は明るかった。
* * *
部屋に戻ると、ディラが床に広げた布の上で荷を仕分けていた。持っていくもの、置いていくもの、迷っているもの。三つの山ができている。
「お帰りなさいませ」
ディラが顔を上げて、それから少しだけ目を細めた。何かに気づいた顔だった。けれど何も聞かずに手元へ戻った。
籠からシルヴァーンが首を伸ばしている。チェリを見つけて短く鳴いた。長く留守にしたわけでもないのに、いつも同じように迎える。
「本はこちらの箱でよろしいですか?」
「……うん」
「チェリ様、こちらの手袋は。片方が端がほつれておりますが」
「……うん」
「うん、では分かりません」
ディラが手袋を掲げたまま待っている。チェリは慌てて目を向けて、それから捨てていいと答えた。ディラは頷いて置いていく山に重ねた。
それきり何も聞かれなかった。
チェリは籠の前に座り込んだ。
教祖と幹部が死んだ。何人死んだのかも分からない。それを知らせる紙が封筒の内側に隠されて、ひと月近く城のどこかにあった。あの人が何をしたのかは書かれていない。書かれていないことのほうが恐ろしい。
その一方で、体の力が抜けている。もう誰もこの子を狙って来ない。それを安心だと思っている自分がいる。人が死んだ話を聞いて、安心だと。
シルヴァーンが籠の縁から顔を出して、チェリの手に鼻先を押し当てた。
目が合った。金にも青にも見える瞳がこちらを覗き込んでいる。
卵の殻を割って出てきた日、この竜は同じ目でチェリを見た。それだけのことで、何もかもが決まった。竜を飼うために大学へ行くと決めたのも、試験の勉強を始めたのも、この目を見た日から続いている。
チェリは指先で鼻先を撫でた。
守るのだ、と思った。
安心したのは自分の身が安全になったからではない。この竜を守り切れる見込みが立ったからだ。荒事を動かす者たちがいなくなったなら、四年の間、この子に手を伸ばしてくる者はいないはずだ。人の死を喜んだのではない。守れると分かって息をついただけだ。
それで許されるのかは分からない。人が死んだことは消えないし、あの人が何をしたのかを自分は知らないままだ。知らないまま、その結果の上に立って安心している。
それでも連れていく。
ヴァーシャラ先生はこの子が皆を家族だと思っていると言った。チェリが同じ言葉を思い浮かべたのと寸分違わないことを言い当てた。
家族なら、守るのは当たり前だ。
その後に何を抱えることになるのかも言われていた。今ならその意味が少し分かる。分かった上で連れていく。
「チェリ様」
ディラが呼んだ。手には籠の敷布を持っている。
「これは新しいものを用意いたしますね。四年分ですから、余分に持たせませんと」
四年分。
「……いえ、四年も経ったら籠には入らないかもしれませんね。敷布も必要かどうか」
チェリは顔を上げて、そうだねと答えた。声が思っていたよりも普通に出た。




