71 天授の力 厳しい師
「誰を呼ぶのですか?」
チェリが尋ねると、ハリュークは短く答えた。
「ヴァーシャラだ」
その名を聞いた途端、チェリたち三人は凍りついた。三人の頭に、あの厳しい礼儀作法の授業が一斉に蘇る。立ち方だけで一時間、笑い方で叱責、歩き方を延々とやり直し。思い出しただけで身がすくんだ。
「な、なんで……」
チェリは声を震わせた。
「彼女には、彼女にしかできないことがあるのでな」
「シ、シルヴァーンにも、礼儀作法を教え込むんですか!?」
一瞬の静寂が訪れた。
それから、おばあさまたちがどっと笑いだした。
「そうか。チェリは知らないのねえ」
サリアが目尻を拭っている。
「ヴァーシ……ヴァーシャラには、天授の力があるの」
「天授?」
ガンマが聞き返した。
「生まれつき授かった特殊な能力のことだよ。滅多にいないけど、魔力みたいに誰もが同じように使える力じゃなくて、もっと特殊な……」
ナハヤが言いよどむと、続きをミルザが引き取った。
「その人だけの特殊な力。持っている本人ですら、それと気づいていないこともある」
チェリは、「天授」という言葉そのものは知っていた。生まれ持った特別な力があるという話は、どこかで聞いたことがある。
けれどそれは、持ち主が自覚して、意図して使うものだと思い込んでいた。本人すら気づいていないことがある、というのは初めて聞く話だった。
「気づいていないのに、力があるって分かるの?」
チェリが尋ねると、ミルザは頬杖をついたまま答えた。
「状況から推し量っているだけ。天授がどんな効果かを調べる術は、そもそもない」
ミルザの返答に、チェリは目を見張った。
「魔力なら測れるが、天授はそういうものじゃない。どこにどう宿っているのか確認する術がない。だから結局、その人の証言や結果から、これは天授だろうと当たりをつけるしかない」
ミルザは指先で卓を軽く叩いた。細い魔力の線が多重の円を描いて、光って消えていく。
「……多分、私も持ってる。魔力の操作が、やたらと精密にできる。そういう天授をね」
誰かに教わったり練習した覚えもないのに、生まれつきできてしまう。それ以外に説明のしようがないのだという。
「お祖父様の魔法が強力なのも、それなんですか?」
チェリがハリュークのほうを見た。ハリュークの眉が、ぴくりと動いた。
「……そうかもしれん」
ミルザはハリュークを見やって、続けた。
「理由もないのに、何故かできてしまう。そういうのが天授の力だよ」
チェリは、ふと幼い頃のことを思い出した。魔法の天才、と呼ばれていた。誰よりも早く、難しい魔法を覚えた。あれも、才能だと思っていたけれど――もしかしたら、天授というものなのだろうか。それなら本人が気づかないというのも頷ける。何故かできてしまうのだから。
そこまで考えて、チェリはあることを思い出しかけた。
アリエが、青籠亭で言っていた言葉。あなたには何か、人を――。
いや、まさか。
チェリは首の内側で、その考えを振り払った。あれとこれは、別の話だ。
「ヴァーシャラ先生は、どんな力をお持ちなんですか?」
気を取り直して尋ねると、ハリュークがぴしゃりと言った。
「天授の力は、それを知る者が他人に軽々しく伝えてよいものではない」
「えっ」
「本人の許しなく明かすものではない。それが礼儀ということになっている」
「……そうですか。申し訳ありませんでした」
確かに、かなり立ち入った話だ。他人が勝手に口にしていいことではなかった。聞くべきではなかったと、チェリは小さく反省した。
すると、ガンマがぽつりと言った。
「でも先生の力って、無理矢理言うことを聞かせる力としか思えないんだけど……その力で、シルヴァーンを従えるとか……?」
おばあさまたちが、また笑った。
けれど、笑い終えたあとで、五人の顔がすっと真顔になった。
「……確かに。ヴァーシには、そういう力もあるかもしれないわね」
「考えてもみなかったわ。でも一理あるかも……」
「あの子に逆らえた試しがないもの」
「言われてみれば、確かに」
本気で心当たりを探り始めた五人を前に、ハリュークは深いため息をついた。ガンマの軽口が、思わぬ真剣な議論に発展しかけている。
「……そういう力はないだろう」
ハリュークが低く釘を刺すと、おばあさまたちはようやく口をつぐんだ。
* * *
こうして、再度ヴァーシャラを呼ぶことが決まった。
ヴァーシャラは南領地の人間だ。呼び出すとなれば、それなりの日数がかかる。早馬で報せを届けるだけでも数日、そこから旅をして来るとなると、十日近くはかかるだろう。
それでも、入学の日までには間に合いそうだった。
あの厳しい師が、また城へやってくる。
チェリは、竜の申請への期待と、授業の記憶からくる憂鬱とを、半分ずつ抱えていた。




