68 夜明け前 朝日に昇る狼煙
合格発表の日の早朝。ハリュナルは大学の寮の屋上にいた。
空はまだ薄暗い。西領地ほどではないが、夜明け前の冷え込みは肌を刺した。吐く息が白く流れていく。
「西だとこの時間ならまだ真っ暗だ。さすがに東は夜明けが早いな」
「発表は大学の門が開いた後だろう。まだ早すぎる」
隣に立つナツァークが言った。合格発表の刻限は毎年変わらない。誰もが知っていることだった。
「下調べをしているだけだ」
ハリュナルは西の空へ目を凝らしていた。魔力狼煙の中継者がいる方向を確かめているのだ。幸い天気は良い。西の方角の空に雲は少なかった。これなら狼煙は目視だけでも問題なく届く。
段取りは決めてあった。ナツァークが貼り出された合格発表を見て、結果を紙片に書き、風魔法でこの屋上まで飛ばす。それを受けたハリュナルが狼煙を上げる。ナツァークが風魔法の使い手だからこその役割分担だった。
「私が直接確認してから寮の屋上まで飛び、狼煙を上げても良かったんだが……」
「良くはない。普通に迷惑だ」
ナツァークは即座に切り捨てた。ハリュナルは氷魔法の使い手だ。氷を足場に飛ばし続ければ、屋上まで駆け上がることも不可能ではない。不可能ではないというだけで、人の行き交う朝の大学でやれば大騒ぎになる。ナツァークは兄の横顔を見て、深いため息をついた。
* * *
その頃、西領地の空はまだ暗かった。
チェリは目が覚めていた。合格発表のことが気になって、よく眠れなかったのだ。
体を起こすと、きゅい、と籠からシルヴァーンが顔を出した。暗がりの中で、その首元がうっすらと光っている。魔法封じのアミュレットだった。昼間は気づかないが、夜の闇の中では淡い光がかすかに見える。眠っている間も、静かに働き続けているのだろう。
発表の刻限までは、まだ時間がある。刻限が来ても、狼煙がここへ届くまでには、さらに間があるはずだった。
「……ねえ、シルヴァーン」
チェリは籠のほうへ声を落とした。
「もし、落ちてたらどうしよう。みんな受かってるって言うけど、結果はまだ誰も見てないんだよ。手応えなんて、当てにならないかもしれないし」
言葉にすると、不安が形を持って迫ってくる気がした。シルヴァーンはそんなチェリの気持ちを知ってか知らずか、籠からのそりと這い出してくると、ベッドに前足をかけ、そのままチェリにのしかかってきた。
「重っ!」
思わず声が出た。ずしりとした重みが胸に乗っている。チェリは苦笑しながら、白銀の首筋を撫でた。
「大きくなったね」
出会った頃は、腕の中にすっぽり収まるほどだった。あの小さな体が、今では抱え上げるのもやっとの重さになった。
孵化した時のことを思い出す。殻を割って、濡れた小さな体で、腕の中から真っ先に自分を見上げてきた。あの日からシルヴァーンはずっと大きくなり続けている。
自分はどうだろう、とチェリは思った。あの日から、少しは成長できているだろうか。できていると、思いたかった。
チェリはベッドを降りて、ブラシを手に取った。シルヴァーンに話しかけながら、鱗を丁寧に払っていく。それから柔らかな布で、一枚ずつ磨いた。シルヴァーンは気持ちよさそうに目を細めて、されるがままになっている。
鱗が艶を取り戻していくのを眺めているうちに、窓の外が白み始めていた。
夜が明けてすっかり明るくなった頃、部屋の扉が叩かれた。ディラだった。ガンマとナハヤが来ているという。会うかどうかを尋ねられ、チェリは会うと答えた。二人を待たせ、ディラに手伝ってもらって着替えを済ませてから部屋を出る。
「こんな面倒くさいことしなくても、直接来ればいいのに」
「ガンマはもうちょっと常識を学んだほうがいいよ。大学では寮暮らしになるし、規則もあるけど大丈夫? 追い出されないようにね」
「ぐっ……何も否定できねえ……」
「そこは否定してよ」
二人は朝からやり合っている。その様子を見て、チェリは笑ってしまった。
「二人とももう、合格している気になってるんだ」
ガンマとナハヤは、向き合っていた顔を同時にチェリの方に向ける。
「でも、こんなに早く来るってことは、眠れなかったんでしょ?」
二人も笑った。図星だった。
「シルヴァーンは来ないのか?」
「きゅ〜」
部屋の奥から気の抜けた鳴き声がした。籠から出てくる気配はない。
「なんか、行きたくないみたい」
* * *
三人は城の尖塔に登った。城で一番高い場所だった。
最上階の部屋に入ると、先客がいた。
「お祖父様……」
「なんだ、お前たちもか」
ハリュークは東向きの窓辺に立っていた。知らせがやって来る方角だった。窓から差す朝日が、その姿を照らしている。いつからここにいたのだろう。
シルヴァーンが来たがらなかったわけを、チェリはそこで納得した。
「まだ随分あるが、ここで待つのも良かろう」
ハリュークは窓の外へ視線を戻した。
やがて階段のほうから賑やかな声が近づいてきた。おばあさまたちだった。五人は当然のように部屋へ入ってくると、チェリたちの姿を見てそれぞれに驚いた顔をした。
「あら、あなたたちも?」
「考えることは同じね」
「ここが一番よく見える」
「ふふ、賑やかだ」
「一緒に結果を見ましょうね」
おばあさまたちは引き連れてきた使用人に朝食の支度をさせた。チェリたち三人の分を追加するよう頼むのも忘れなかった。
こうして尖塔の最上階で、皆で朝食を摂りながら狼煙を待つことになった。
* * *
朝日がすっかり昇り、街の賑わいが聞こえてくる頃、東の空に三本の狼煙が上がった。
三本とも同じ色をした狼煙は、三人の合格を告げていた。




