60 兄たちの見送り 魔力狼煙
出発の朝は、よく晴れていた。
宿の前に馬車が着けられ、荷が次々と積み込まれていく。学長から持たされた土産の包みも、その中に収まった。見送りに、ハリュナルとナツァークが宿まで足を運んでくれていた。
「忘れ物はないか。シルヴァ……籠は……ああ、それか。重いだろう、私が運ぼう」
人目があることに気づいたハリュナルが口籠りながら籠に手を伸ばすと、中のシルヴァーンが警戒した唸り声を上げた。
「相変わらず嫌われているな」
ナツァークが横から言う。ハリュナルは渋い顔をした。
チェリは、ふとセティとの面会を思い出して、口元をゆるめた。
「兄様。昨日、セティ姉様にお会いしたの」
「ほう、セティに」
「兄様がいつも妹の話ばかりしているって。幼い頃に着ていたドレスの色まで知っていると仰っていたけど……何か他に、わたしの恥になるようなことは言ってないよね?」
ハリュナルの動きが、ぴたりと止まった。
「……それは」
「だからまずいと言ったのに」
ナツァークが呆れた声を出す。隣のガンマが意外そうにナツァークを見た。
「ナツ兄は知ってたんだ」
「私の目の前でもお構いなしだったしな」
二人はナツァークも交えて交流をしているらしい。
「……こんなので仲は大丈夫なの?」
ナハヤは冷たい目でハリュナルを見た。
「なんだその目は!可愛い妹のことを話して何が悪い……!それに、私を知ってもらうにはまず家族のことから話すのが筋というもので」
「それなら少しは私の話をしてもよかったのでは?名前と弟であることくらいしか紹介されなかったが」
「それは、順序というものがあって……」
ハリュナルは歯切れが悪く言い淀んでいる。その背後から、涼やかな声がした。
「……あら、何の順序の話かしら?」
振り返ると、セティが立っていた。艷やかな黒髪をなびかせ、切れ長の目を細めて微笑みながらゆっくりと歩いてくる。
「セティ!」
「セティ姉様」
「お見送りに参りましたの。お会いできてよかった」
セティはハリュナルの隣に並ぶと、彼を見上げて、わざとらしくため息をついた。
「この方ったら、わたくしと二人のときも半分はあなたの話なのよ。義妹と言えども他の女性の話をされたら、妬けてしまうわ」
「セティ、それだけでなく、お前の話や学問の話なども……」
「否定ならさないということは、お認めになるのね?」
ハリュナルが言葉に詰まる。セティはくすくす笑った。慣れた様子で彼の暴走を受け流している。チェリは、この人なら兄を任せても大丈夫そうだと、ひそかに思った。
ナツァークが、咳払いをして話を戻した。
「それより、入試の合否のことだ」
「……そうだ、その話をしなければ!忘れていた」
ハリュナルは話題を変えるチャンスとばかりに食いついた。妹自慢を蒸し返されるよりは、よほど良いと思ったのだろう。
その勢いに気圧されつつも、合否という言葉にチェリは姿勢を正した。
「結果は、魔力狼煙で知らせる。お祖父様が手配してくださった」
「魔力狼煙……?」
「狼煙に魔力を込めて上げるのだ。中継の者たちが目だけでなく魔力でそれを捉えて、次々と繋いでいく。簡単な情報を伝えるなら早馬よりずっと速い」
ハリュナルが、得意げに胸を張った。
「三人分の合否もいっぺんに伝えられる。手間がかかる通信手段だが、お祖父様からの特別な計らいだ」
高額な手段なのだろう、とチェリは察した。またお祖父様か、という気持ちもあったが、今回ばかりは素直にありがたかった。結果を一日でも早く知れるのは心強い。
「その起点は、私がやるんだ」
ハリュナルが、さらに胸を張った。
「大学の合否の貼り出しを私が真っ先に確かめる。そして最初の狼煙を上げるのだ。誰よりも早く、チェリに合格を知らせてやる」
「兄上」
ナツァークが、低い声で釘を刺した。
「三人分です。チェリだけではありません。ナハヤとガンマの分もくれぐれも取り違えないように」
「分かっている。私を誰だと思っているのだ」
「だからこそ言っているんですが……」
ガンマとナハヤが顔を見合わせ、揃って不安そうな表情になった。チェリも内心では少し心配だった。けれどここで言っても始まらない。
「ナル兄様、お願いね。落ち着いて、ちゃんと確かめて」
「任せておけ」
ハリュナルが力強く頷いた。その自信がかえって不安をかき立てる気もしたが、チェリはあえて言わないことにした。
* * *
馬車が、ゆっくりと動き出した。
窓の外で、兄たちとセティの姿が遠ざかっていく。ハリュナルが大きく手を振っていた。チェリも小さく振り返す。
やがて街並みが流れ去り、馬車は街道へと出た。中央領の首都を、後にしていく。
馬車の床に置かれた籠の中でシルヴァーンが丸くなっていた。チェリは荷の中から布に包んだ鱗をそっと取り出した。白銀に虹色の光沢を帯びた、脱皮の鱗。帰ったらミルザに見せよう。竜の鱗は良い触媒になるのだと言っていた。実際に何に使えるのか、もっと詳しく聞いてみたい。
学長の話も頭から離れなかった。シーズという教授が若い頃にしようとして果たせなかった大発見。竜の何を調べようとしていたのか。チェリの胸の奥で、自分が見つけた小さな発見が静かにうずいた。渡りの竜と、渡り以外の竜。鱗の色と大きさの、あの食い違い。あれは、何かに繋がっているのだろうか。
入学したら確かめられることが増える。そう思うと、心が少し前に傾いだ。
それから、チェリはアリエのことを思った。今頃どこで何をしているのか。教団に置いてきた左腕を取り返すとあの人は言っていた。タウラはもうお祖父様への手紙を出した。これからの連絡も、タウラを通すことになる。考えても答えの出ないことだったが、胸の片隅にその重みは確かに残っていた。
「チェリ様、寒くはありませんか」
向かいの席から、ディラが膝掛けを差し出した。
「ありがとう。大丈夫」
チェリは膝掛けを受け取りながら、窓の外へ目をやった。空は高く晴れていた。この道を十日かけて行けば、西の城へ帰り着く。お祖父様の顔が浮かんだ。
帰ったら、話さなければならないことが、たくさんある。
馬車は、ゆっくりと西へ向かって進んでいった。




