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58 竜生学の今 過去の研究

「竜生学のことだ」


 学長は紅茶のカップをようやく口に運び、一口含んでから続けた。


「今、この大学で竜生学を扱う研究室は、一つしかない」


 チェリは姿勢を正した。


「古くからある学問でな。竜がこの世界に存在する以上、決して軽んじてよいものではない。だが正直に言えば、ここ何十年と、新しい発見というものがほとんど出ておらん。世間でも、この大学でも、研究は縮んでいくばかりだ」


 学長の声には、惜しむような響きがあった。


「先日まで、竜生学には教授補が一人おった。アリエ・キンディールという。だが彼は親の病を理由に長く休んでいてな。そのまま故郷に戻ることを決め、正式に大学を辞めてしまった」


 チェリは膝の上で指を組んだ。本物のアリエ・キンディール。あの偽アリエが名を騙っていた、当の人物だった。その名がこうして学長の口から出てくると不思議な心地がした。


「おかげで今、竜生学を専攻する教授は、この大学にただ一人だ。シーズ・ヴェレネスという。竜のことなら、この国で一番詳しいと胸を張って言える男だよ。もっとも、その一番に教えを乞う学生が、年々減っておるのが現実だがな」


 学長は苦笑した。


「竜についての研究は、竜が消えてなくならぬ限り、絶やすわけにはいかん。何としても続けていくつもりだ。だからな――」


 学長は三人を順に見た。


「君たちが竜生学を専攻したいと言ってくれたのは、正直、助かったのだ。僥倖、などと言ってしまうと、いろいろと問題があるかもしれんが」


 ガンマが菓子を口に運びかけた手を止めて、照れたように頭をかいた。ナハヤは黙って小さく頷いている。チェリは少しくすぐったい気持ちになった。


「ところでな」


 学長は背もたれに体を預けた。


「シーズ・ヴェレネスは、私の学友でね。ずいぶん長い付き合いになる」


 遠くを見るような目をした。


「年寄りの昔話は退屈かもしれんが、少し聞いてくれ」


「退屈だなんて、そんな」


 チェリは首を横に振った。なんとなく竜生学絡みの話なのではないかと、期待した。学長がわざわざ前置きをするということは、ただの世間話では終わらないのだろう。そう思うと、続きが気になった。


「私たちがまだ学生だった頃の話だ。シーズは竜生学にのめり込んでいてな。あるとき、大きな発見につながる調査をするのだと、興奮した様子で話していた。詳しい中身までは、私も聞けずじまいだったのだが」


 チェリは身を乗り出しそうになるのを、かろうじてこらえた。竜生学の話で「発見」という言葉が胸の奥で小さく跳ねた。


「だが、その調査は叶わなかった。一緒に研究をしていた仲間が故郷へ帰ってしまってな。シーズ一人では調べきれなかった。ちょうど、竜の研究が下火になりはじめた時期でもあった。検証の機会はついぞ巡ってこなかったのだ」


 学長はカップに残った紅茶を見つめた。


「その発見が正しかったのか、間違っていたのか。今となっては、誰にも分からん。長い時が経ってしまった」


 部屋に静かな間が落ちた。


「だがな」


 学長が顔を上げた。眼鏡の奥の目に、ふと光が宿る。


「君たちのそばには、生きた子竜がいる。もしかすると止まっていたあの研究が、また動きだすかもしれん。私はそれをひそかに期待しているのだよ」


 チェリの胸が高鳴った。


 教授の発見とは、いったいどんなものだったのだろう。竜の何を調べようとしていたのか。考えるだけで、心が前のめりになっていく。いつか教授に会えたなら、その話を直接聞いてみたい。チェリはそう思った。


「頑張ります!」


 気づけば、声が出ていた。素直な本心だった。学長が目を丸くする。


「俺も頑張ります」


「私も、力を尽くします」


 ガンマとナハヤも、続けて言った。学長は破顔して、何度も頷いた。


「うむ、うむ。良い返事だ」


 それから、ふと思いついたように手を打った。


「そうだ。君たちに、ぜひ会わせたい人がいてな」


 チェリの鼓動が、また少し速くなった。もしや、あの教授に――。期待が胸にふくらんでいく。


 学長はにこやかに微笑んでいた。それから、よっこらせ、と腰を上げる。


 学長は部屋の奥の執務机へ戻った。机の端に、艶やかな盤が一つ据えられている。通話盤だ。城にあるものと似た、離れた相手と声を交わす魔道具だった。学長が盤に指を触れると、淡い光が走る。


「ああ、私だ。例の件だが、こちらへお連れしてもらえるかな。……うむ、もう着いている頃だろう。では、頼んだ」


 相手の声はチェリたちには届かない。短いやり取りのあと、学長は盤から指を離した。


 それから、しばらく経った頃だった。

 扉が控えめにノックされた。


「学長。お連れいたしました」

 扉の向こうから、秘書の声がした。

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