57 学長の話 試験の事情
翌日、チェリたち三人は大学へ向かった。タウラも護衛として付き従っている。
学長室の重厚な扉の前に立ち、チェリはノックをした。中から秘書が扉を開け、三人を招き入れる。秘書は一礼すると、そのまま退室していった。タウラは扉の内側に立ち、控えめに待機する。
学長は皺の深い老年の男性だった。眼鏡をかけ、白く長い髭をたくわえている。頭は薄く、少しの白髪が残るのみ。それでも背筋は伸び、相応の威厳があった。お祖父様ほどではない、とチェリは思う。あの底知れなさに比べれば、学長の威厳はずっと分かりやすいものだった。
「初めまして。チェリーチェ・バイフートと申します。本日はお招きいただきありがとうございます」
チェリは膝を折って礼をした。公の場での名乗りだった。続いてナハヤ、ガンマと、三人は順に決まりきった挨拶を交わしていく。緊張のせいか、二人の所作はいつもより硬かった。
「学長の、キリウス・リーザースだ。よく来てくれた」
学長は親しげに言った。嬉しそうに目を細め、三人をソファへと促す。すぐに茶が運ばれてきた。紅茶と、上品な菓子が皿に並べられる。ガンマが菓子をちらりと見て、それから背筋を伸ばし直した。ナハヤは膝に手を置いたまま硬くなっている。
学長は向かいに腰を下ろすと、一度ゆっくりと息をついた。
「まず、詫びねばならないことがある」
その声は急に重くなった。
「大学の構内で爆発が起きた。試験の最中にだ。受験生を守るべき場所で、あのような事態を招いてしまった。本当に申し訳ない」
学長は深く頭を下げた。
「そ、そんな、学長が謝ることでは」
チェリは慌てて手を振った。爆発を起こしたのは教団であって、大学に非があるわけではない。
「それに、被害を受けた受験生は大勢います。わたしたちだけを呼んで謝っていただくのは、なんだか違うように思います」
チェリはそう言ってから、出すぎたことを言ったかと思った。けれど学長は気を悪くした風もなく、ゆっくりと頷いた。
「もっともな言い分だ。だが、君たちには君たちだけに話しておくべきことがあってな」
「君たちが竜を保護していることは聞いている。竜を神聖視する教団に、目をつけられていることもな」
学長は紅茶のカップに手を伸ばし、けれど口はつけずに話を続けた。
「宿への襲撃があったとも聞いている。そのうえ試験の最終日には、君たち三人だけ別室での受験という形になった。負担をかけた。私はそれを詫びたいのだ」
ガンマとナハヤが顔を見合わせた。二人とも、どう反応すればいいのか分からない様子だった。チェリも同じだった。謝られるたびに、座り心地が悪くなっていく。
「実を言えば、学内ではこういう意見も出ていた。これだけの騒ぎが起きたのだから、最終日の試験は取りやめて、君たち三人はそのまま合格にしてしまえばよいのではないか、と」
チェリは少し身を縮めた。
「ハリューク殿からは、孫たちは皆優秀だと聞いている。試験などせずとも合格させて差し支えあるまい、という声には一理あった」
恥ずかしさで、チェリは紅茶のカップに視線を落とした。
「だが、私はそれを退けた」
学長の声に、ふと熱がこもった。
「君たちは試験を受けに来たのだ。貴族であれば、試験を経ずとも入学できる。それを選ばず、勉強をして、こうして試験会場まで足を運んだ。ならばこちらも、それに見合った態度で迎えねばならん。途中で投げ出すような真似はできなかった」
チェリは顔を上げた。学長は真っ直ぐに三人を見ていた。
「とはいえ、別室での受験という形になったのは事実だ。余計な負担をかけたかもしれん。その点は、すまなかった」
また頭を下げられて、チェリは小さく息を吸った。
「学長。気を遣っていただく必要はありません」
はっきりと言った。
「受験はもともと、無謀な挑戦でした。わたしたちは年が若いですし、本来ならもう少し先に受けるものです。何かトラブルがあっても合格できるように、ちゃんと準備をしてきました。ですから、どうか気に病まないでください」
学長が眼鏡の奥で目を見開いた。
「……いやはや」
ぼそりと一言漏らして、白い髭を撫でる。
「爆破の件では、体調を崩した受験生もいてな。それについては、私にも責任があるのだが」
「その責任は、わたしにもあるかもしれません」
チェリは静かに言った。
「隠してはいましたが、わたしはこちらにシルヴァーンを――竜を連れてきてしまいました。教団が動いたのは、そのせいです。巻き込んでしまった方々には、申し訳なく思っています」
学長はしばらく黙ってチェリを見ていた。それからもう一度、白い髭を撫でる。隣ではガンマとナハヤが、緊張した面持ちで成り行きを見守っていた。二人は年相応に強張っている。チェリだけが、落ち着いた声で受け答えをしていた。
「いやはや。ハリューク殿の孫娘というのは……」
学長は言いかけて、その先を飲み込んだ。
チェリは膝の上で指を組んだ。
最近は忘れがちだった。竜と一緒に暮らしているというだけで、自分はとても異常なのだ。シルヴァーンがそばにいる毎日が当たり前になりすぎていた。怖がっていたサジット先生や、昨日のフィウクスの反応。あれが普通なのだろう。竜という生き物を前にして、人はああして怯えるものなのだ。
いつのまにか、自分の感覚のほうがずれてしまっている。チェリは改めてそう思った。
「おっと、いけない。茶が冷めてしまう」
学長がふいに表情をやわらげた。
「菓子もある。遠慮せず食べていきなさい。せっかく来てくれたのだから」
ガンマがほっとしたように肩の力を抜いた。チェリは小さく頷いて、ようやく紅茶のカップに口をつけた。冷めかけた紅茶が、緊張で渇いた喉に染みた。
ガンマが菓子に手を伸ばし、ナハヤもようやく肩の強張りを解いた。和やかな空気が戻りかけた、その時だった。
「謝罪のほかに、もう一つ。君たちに話しておきたいことがあってな」
チェリはカップを持つ手を止めた。
「竜生学のことだ」




