56 子竜の騒ぎ 明日の予定
扉を叩く音とガンマの声が続き部屋の向こうから響いている。
「チェリ! 来てくれ!」
チェリは食事の手を止めて立ち上がった。タウラも腰を浮かせる。扉を開けると、ガンマが息を切らせていた。
「シルヴァーンが、また脱皮を……」
それで察したチェリは隣の部屋へ駆け込んだ。
白銀の鱗がぱらぱらと床に散っていた。シルヴァーンは籠の縁に背中をぐりぐり擦り付けている。気持ちよさそうに目を細めていた。
「ふむ、こうか」
ハリュナルが服用のブラシを手に、シルヴァーンの背を撫でていた。鱗がさらに数枚はらりと落ちる。
「兄上、それは止めたほうが」
「シルヴァーンは喜んでいるみたいだぞ」
「喜んでいるからといって良いとは限らないでしょう」
ナツァークが兄の腕を掴もうとするが、ハリュナルはひょいと躱す。シルヴァーンは籠の中で身をくねらせ、ブラシのほうへ背を向けた。もっとやれ、と言わんばかりだった。
チェリは床にしゃがみ込んだ。鱗を一枚拾い上げる。
(前の時よりも大きい)
以前の脱皮で落ちた鱗より、明らかに一回り大きかった。光に翳すと、白銀の表面にうっすらと虹色の光沢が走る。指先で持つと、ひんやりとした硬さがあった。
ふと、アリエの言葉が頭をよぎった。
――シルヴァーンを新たなシンボルとして手に入れたい。
竜にまつわるものは何であれ、教団にとっては価値を持つ。聖印という言葉が浮かぶ。鱗ですら彼らにとっては祭具になり得るかもしれなかった。
(一枚も残さず持って帰らなきゃ)
チェリは掌に鱗を集める。床に散らばったものを丁寧に拾い始めた。
ガンマが膝をついて手伝う。ナツァークも遅れて加わった。ハリュナルだけがブラシを片手に立ち尽くしている。
「ふむ、こうすれば……」
ハリュナルは服用のブラシを使って、箒で掃くようにして鱗を集めようとする。すると、シルヴァーンがブラシと床の間に割って入ってきた。
「ナル兄にも懐いたみたいね」
「懐いたと言うのか……?これは」
まるで下僕じゃないかと呟きながら、ハリュナルはシルヴァーンの背中をブラシでゆっくりと撫でている。
部屋の隅では、ナハヤが椅子に座ってノートを広げていた。鱗が剥がれた箇所、剥がれ方、シルヴァーンの様子。淡々と書き留めている。前の脱皮の時に記録を取ろうと提案したのは彼だった。今回も律儀に記録をするようだ。
「鱗の大きさは前回の一・三倍くらいか」
ナハヤがチェリの手元を覗き込んで呟いた。鉛筆を走らせる。
ディラが布を持ってきてくれたので、チェリは集めた鱗をその上にそっと置いた。ふと、前の脱皮の鱗を見せた時のミルザの言葉を思い出す。
――竜の鱗は魔法の染み込みがいいから、いい触媒になるよ
持ち帰ったらこれもミルザに見てもらおう。チェリはそう決めた。
「ひぇっ」
短い悲鳴が上がった。フィウクスだった。シルヴァーンが転がり、床に背中を擦り付け始めたのだ。爪が床を叩き、尻尾が椅子の脚にぶつかる。ばたばたと大きな音が立つ。
フィウクスは壁際まで後退して、姉の腕にしがみついていた。ディラが声を立てて笑う。
「フィウクス、まだ子竜だよ。この子」
「この子って……竜だよ!?姉さん、感覚が麻痺してない……?」
「全然悪いことしない、いい子なんだけどねえ……侵入者に火を吹いて追い返してくれたしさ」
「……侵入者?火を吹いて!?」
ディラは笑いながら事もなげに言う。フィウクスは姉の袖を握ったまま、視線をシルヴァーンから姉の顔に移した。
「姉さんの仕事って、大変なんだね……私も領主様の城勤めを目指していたけど、相当な覚悟が必要なのか……」
フィウクスがぽつりと言った。明らかに何か勘違いをしている。
「んん……?あたしはあんたの勉強のほうが大変だと思うけどね……」
チェリは苦笑した。姉弟のやり取りに、自分と兄たちの姿が少し重なる気がした。
シルヴァーンはひとしきり暴れた後、満足したのか床に伸びてうとうとし始めた。鱗の散らばりはひとまず収まっている。ハリュナルがまだブラシを握ってシルヴァーンを撫でようとしていた所を、ナツァークが引き止めた。
「兄上、シルヴァーンはもう寝かせてやったほうがいい」
「いや、しかしまだ少し鱗が……」
「終わりです」
ナツァークに気圧されてハリュナルはブラシを引っ込める。
「くっお前、……シルヴァーンと仲良くなったからって生意気な……」
「兄上はいつも余計なことをするから仲良くなれないのでは?」
ナツァークはため息をついた。
二人のやり取りを尻目に、チェリとガンマはシルヴァーンの周りに散らばった鱗を拾い集める。
そして、集めた鱗を布で包んだ。思ったよりずっしりと重みがある。持ち帰るためにお土産を入れた荷物の箱に大事にしまっておいた。
チェリは窓の外を見た。日はまだ高い。明後日には西領地へ向けて発つ予定だった。試験は終わったし、皆へのお土産も買った。想定外のことはたくさんあったが、やるべきことは全て済ませている。
だけどまだ、何かありそうな気がして、気持ちが落ち着かなかった。
チェリはソファに座って一息ついていると、ディラがお茶を淹れて差し出した。
「ありがとう」
受け取って一口含む。温かさが胸に広がった。ディラは盆を抱えたまま、少し言いにくそうに口を開いた。
「チェリ様、お伝えしておくことがあって……明日、学長がお会いしたいとのことです。先ほど大学から使いが来ておりました。ガンマ様とナハヤ様もご一緒に、と」
「学長?」
チェリは目を丸くした。茶器を持つ手が止まる。
「え、学校の偉い人が何の用があるんだ? 俺、なんかした?」
ガンマが身を起こした。心当たりを探すような顔をしている。
ナハヤがノートから顔を上げた。眉が寄っている。
「受験生が試験後に学長に会うって、なんか裏口入学の相談でもするみたいで外聞が悪くない?」
言葉が直截だった。チェリも内心では同じことを考えていた。合否が出る前のこの時期に学長と面会するというのは、外から見れば誤解を招きかねない。
「学長は悪い人ではないんだがな」
ハリュナルが腕を組んだ。
「軽率な人だ」
ナツァークが小さく頷いた。兄弟揃ってこれだけ一致するのは珍しい。
「どんな人?」
チェリが尋ねた。ハリュナルは少し考えて答えた。
「お祖父様の……ハリュークの孫を、自分の孫だと思っているふしがあるな」
チェリは茶器を持ったまま、そういう人か、と思った。
お祖父様と親しい間柄であろうことは想像がついた。そしてその親しさを、孫の世代にまで気安く持ち込むタイプなのだろう。悪意がないぶん、扱いに困る相手だった。
「襲撃犯がチェリを狙っているという話を聞いて、心配しているんだろうな」
ナツァークが眉を下げた。その口ぶりには、学長の人柄への困惑が滲んでいる。
やはり、まだ何かありそうだ。チェリは茶器の縁を指でなぞった。




