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55 子竜の遊び 報告の内容

 昼前の繁華街は人で賑わっていた。


 チェリとタウラは中央通りの店をいくつか回り、両親とおばあさまたちへの土産を選んだ。リッテには革細工の小さな小物入れ、エルナダには南方の刺繍が入ったハンカチ、ミルザには中央領でしか手に入らないという銀のしおり。サリアにはレースの扇子、ネイディーアには鳥を象った紅茶の茶さじ(ティーメジャー)を選んだ。父と母にはそれぞれ落ち着いた色のスカーフを買った。


 タウラは買った品をまとめて持ってくれた。チェリの腕には、シルヴァーンへの土産の小さな袋だけが残った。中には乾燥させた果実が詰まっている。


「重くないですか」


「これは平気よ」


 路地から出る時、チェリは一度だけ振り返った。喫茶店の方角は、もう人混みに紛れて見えなかった。


 * * *


 宿に戻ると、昼を少し過ぎていた。


 階段を上がる前にディラに会った。フィウクスとの買い物を済ませて先に戻っていたらしい。ディラはチェリを見て少し驚いた顔をして、それからタウラの腕の荷物に目を移した。


「お買い物、楽しかったですか」


「うん、色々買えた。ディラは?」


「家族にお土産をたくさん」


 ディラは嬉しそうに笑った。フィウクスはさっき寮に戻ったところだという。


 チェリは上階に上がる。借り切っている続き部屋の扉を開けて中に入ると、奇妙な光景が広がっていた。


 ナツァークが部屋の中央に立っている。手には白い布製のボール。視線の先にはシルヴァーンの籠があるが、籠は空だった。シルヴァーンは床の絨毯の上に陣取っている。


 ナツァークがボールを軽く投げた。ゆるい弧を描いてボールはシルヴァーンの方へ向かう。


 シルヴァーンは鼻先をすっと上げ、ボールを軽く弾いた。ボールはほぼ同じ軌道で戻り、ナツァークの手の中に収まる。


 ナツァークがまた投げる。シルヴァーンが弾く。手の中に戻る。


 まるで打ち合わせをしたかのような滑らかさだった。


「……何やってるの」


 チェリが思わず呟いた。タウラは扉の傍で荷物を下ろし、その光景を見て口元をわずかに緩めた。ナハヤは隅の椅子に座って本を開いていたが、目だけはこちらを見ている。


「お帰り、チェリ」


 ナツァークがボールを手の中で転がしながら振り返った。


「シルヴァーンが暇そうだったから遊んでみたんだが、なかなか上手く返してくる」


「なかなかじゃなくて、すごく上手だと思うけど」


 チェリは荷物を卓に置き、外套を脱ぎながら遊びを眺めた。


 ハリュナルが横から手を伸ばす。


「貸してくれ。私もやる」


 ナツァークがボールをハリュナルに渡した。ハリュナルが意気揚々と構える。シルヴァーンは床の上で姿勢を変え、ハリュナルの方をちらりと見る。


「いくぞ、シルヴァーン」


 ハリュナルが軽く投げる。


 ボールが弧を描いてシルヴァーンの方へ向かう。シルヴァーンは目で追った。


 ……目で追っただけだった。


 ボールはそのまま床に落ち、絨毯の上で一度跳ねて、転がって止まった。


 部屋の中が静かになった。


「なんでだ!」


 ハリュナルが叫んだ。


 シルヴァーンは何事もなかったかのように頭を前足の上に乗せた。


「そこは返す所だろう!」


 ハリュナルは床に転がったボールを拾った。


「次は俺がやる!」


 今度はガンマが叫んだ。ハリュナルから半ば奪い取るようにボールを取り、構える。


「シルヴァーン、いくぞ!」


 ガンマが投げた。

 シルヴァーンは鼻先を上げた。ボールを弾いた。


 弾いた角度が、明らかに違っていた。


 ボールはガンマの顔にまっすぐ飛んできて、額にぶつかり、跳ね返って床に落ちた。


 ガンマが額を押さえた。


「なんでだよ!」


 今度はガンマが叫んだ。シルヴァーンはまた何事もなかったかのように頭を前足の上に乗せた。


「いや、ナツ兄にはちゃんと返したじゃないか! なんで俺は顔なんだよ!」


「私は返してすらもらえなかったぞ!」


 二人がしゃがみ込んでシルヴァーンに苦情を入れ始めた。シルヴァーンは目を半分閉じて聞いていなかった。


 ナハヤが本から顔を上げ、ぼそりと言った。


「うるさい人が嫌いなんじゃない?」


「ナハヤ!」

「私はうるさくない!」


 二人が同時に叫んだ。


 チェリは思わず吹き出した。アリエと会ってからまだ重かった頭が、少しずつほぐれていく気がした。


 * * *


 ハリュナルたちは既に昼食を済ませており、チェリとタウラは遅れて食事を摂ることになった。

 チェリは宿の者に、自分とタウラの分の昼食を部屋に運んでもらうよう頼んだ。

 

 チェリは自分の寝室として使っている小部屋に下がった。タウラもついてくる。シルヴァーンへの土産の袋だけは、籠の傍に置いてきた。シルヴァーンはチェリの匂いを嗅いで、それから袋に鼻先を寄せた。


 * * *


 昼食が運ばれてきた。チェリとタウラは小さな卓を挟んで向かい合った。


 タウラがこの宿でチェリと向かい合って食事を取るのは初めてのことだった。タウラは一度浅く息を吸ってから、料理に手をつける前に口を開いた。


「……率直に申し上げます」


 チェリは顔を上げた。


「今日のことは、ハリューク様にだけは隠し通すことはできません。全てをお知らせいたします」


 タウラの声は静かだった。けれど、明確な決意が乗っていた。


 チェリはスプーンを置いた。


「分かってる」


 タウラは少し驚いた顔をした。


「お祖父様には隠し通せるなんて、最初から思ってない」


 チェリは小さく息をついた。


「昔から不思議なの。お祖父様には何でもバレてしまう」


 チェリが竜に襲われた時、ハリュークは信じられない速さで駆けつけてきた。使用人が知らせたという話だったが、明らかにおかしい速さだった。本人が直接見ていたか、何か別の手段で察知したか――詳しくは分からないが、何かそういう手段を持っているとしか思えなかった。


 チェリはタウラの顔を見た。


「……お祖父様が何もしないっていうことは、私にとって危険じゃないって判断なんだと思う」


 チェリは少しだけ笑った。


「だからタウラがお祖父様と連絡を取ることを私は気にしてない」


 タウラの肩から、わずかに力が抜けた。


 ずっと胸の奥にあった、隠れて連絡を取り続けることの後ろめたさが、ようやく解ける気がした。チェリは気づいていて、それでもタウラを責めていなかった。それどころか、タウラの立場を理解してくれていた。


 タウラは深く息を吐いた。


「……はい、報告させていただきます」


 チェリはスプーンを取り直した。


 しばらく二人は無言で食事が進んだ。料理は思ったよりも温かく、味も悪くなかった。


 半分ほど食べたところで、タウラが口を開いた。


「一つ、お伺いしたいことがあります」


「何?」


「アリエ様が仰っていたこと――ハリューク様とチェリ様に何かしらの特性があるという話ですが、これを手紙に書くべきかどうか」


 タウラの声は慎重だった。


「私の判断としては、書かないでおこうかと考えております。あくまで仮説ですし、それに――」


 タウラは少し言葉を切った。


「私自身、その話を知ってしまったことが、少し恐ろしくもあります」


 チェリはタウラの顔を見た。


「重大な秘密を、知ってはならない立場で知ってしまったような気がして」


 タウラは正直だった。チェリはタウラの正直さを、少しだけ申し訳なく感じた。


「……うん。タウラの好きにしていい」


 チェリは静かに頷いた。


「書きたいなら書いてもいい。書きたくないなら書かなくていい。そこはタウラの判断に任せる」


「ありがとうございます」


「私のほうこそ、ありがとう。タウラ」


「これが私の務めです」


 タウラは微笑んだ。


 * * * 


 昼食後、チェリは窓辺に立って外を眺めていた。冷えた空気が窓越しに伝わってくる。


 通りの向こうから蹄の音が遠ざかっていく。手紙を載せた早馬が、西へ向かって駆け出すのが見えた。


(お祖父様なら、こうしてわざわざ知らせなくとも、もう全部知っているんじゃないか……)


 さすがにそれは人間離れしすぎてるか。チェリが思考を切り替えようとしたその時。


「チェリ!来てくれ!」


 突然扉を叩く音と、ガンマの声が耳に飛び込んできた。

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