52 偽アリエの画策 偽名と本名
「シルヴァーンの居場所を、教団に流した……?」
チェリはやっと声を絞り出した。
偽アリエは姿勢を崩さず、軽く頭を下げたままの形でチェリを見ている。
「順を追ってお話しします」
穏やかな声だった。チェリは膝の上の拳を解かないまま、続きを促した。タウラは入り口の傍に戻り、扉に背を預けて静かに立っている。
「シルヴァーン様の居場所として教団に流したのはすべて偽情報です」
「……偽?」
「ええ。違うルートを使って、それぞれ違う場所をいくつか流しました」
偽アリエは右手で茶碗の縁をなぞった。
「目的は、強襲要員を誘い出すためです。あわせて、今教団内のどの派閥が動いていて、どこに力が集まっているかを測りたかった」
チェリはそれを聞いてろくでもない理由が出てきそうだと感じた。言い分が言い訳じみている。
「教団内には、いくつかの考え方の違う集団があります。シルヴァーン様の扱いを巡っても、強硬な手段を支持する者と、慎重を求める者がいる。流した情報のうち、どれが採用されて動いたか――その動き方で、どの派閥が今、力を持っているかが分かるんです」
「それを測って、どうするの」
「敵対する派閥にコンタクトを取りました。今、色々と工作を進めている最中です」
偽アリエは茶碗から指を離した。
「教団の内部を分裂させる、ということです。シルヴァーン様の居所の情報は、その工作の道具に使わせていただきました」
チェリは口を開きかけて、閉じた。腹の底で何かが軋む感覚がある。けれど、それを言葉にする前に確認したいことがあった。
「大学の爆発は」
「流した情報の一つが、大学のあの建物でした。強襲要員が、その情報を信じて動いた結果です」
チェリは眉を寄せた。
「あなたは止めなかったの」
「止めました」
偽アリエの右手が、わずかに義手の上で動いた。
「爆発に関わった信徒は、現場で始末しました」
「……そう」
チェリは無意識に視線を逸らした。
嫌な顔をしているのが、自分でも分かった。穏やかな顔でそういうことを言う男だ、ということは知っているはずなのに、慣れることはない。
偽アリエはチェリの表情を見て、少しだけ目を伏せた。それ以上は何も付け加えなかった。
「じゃあ、宿の襲撃はなんだったの」
チェリの声に少しばかり棘があった。
「あれは、私の流した情報とは別のルートで動いた者たちです」
偽アリエはため息をつく。
「派閥の指示を待たずに、功を焦った信徒たちが独自に動いた、と申しますか。シルヴァーン様の居所は分からないが、お孫様方が泊まっている宿には独自の情報網で辿り着けた。なら宿になら竜もいるだろう、と踏んだのでしょう」
偽アリエは、ふたたび深く頭を下げた。
「その点は、大変申し訳ありませんでした」
頭を上げない。
「だからこうして、謝罪に参った次第です」
チェリはしばらく彼の頭頂を見ていた。義手の指は卓の縁に置かれたままで、組まれていない。
被害はなかった。シルヴァーンが自力で撃退したし、宿の窓と壁が一部壊れただけで、人に怪我はない。窓の修理代は後日支払うことになっているが、それも大きな話ではなかった。
「……別に謝ってほしいわけじゃないわ。頭を上げて」
偽アリエはようやく頭を上げた。
「ありがとうございます」
「シルヴァーンを利用するのは、やめて」
「肝に銘じます」
淡々としたやり取りだったが、その奥に何かしんとした空気があった。
「ちなみに、宿の襲撃犯ですが」
偽アリエが続けた。
「テロリストとして騎士団の地下牢に入れられています。今、教団を抜けたいというような話をしているそうですね」
タウラの方から、ほんの僅かに気配が動いた。チェリも顔を上げる。
「……どうしてそんなことまで知ってるの」
「色々とですよ」
偽アリエは穏やかに微笑んだ。それ以上の答えはなかった。
チェリの背筋が、すっと冷えた。
地下牢の中で交わされた会話まで把握している人間が、目の前に座っている。穏やかに微笑んで、義手の指を卓の上に置いて。
指先が冷たくなって、膝の上の拳が一段強く握られた。
――けれど。
チェリは息を一つ吸い込んだ。
この人は、これまでチェリに対して嘘をついていない。少なくとも、嘘を言うべき場面で正直に話している。シルヴァーンの居場所をリークしたことも、自分から告げた。隠そうと思えばいくらでも隠せたはずのことを、自分から言った。
恐ろしさは恐ろしさとして、横に置く。
チェリは指を解いて、卓の上で組み直した。
「アリエさん」
「はい」
「本名を教えて」
偽アリエの目が、わずかに丸くなった。
「本名……ですか」
「あなたを偽アリエって呼ぶのは、本物のアリエさんに悪いわ。口で呼ぶ時も、心の中でずっと『偽』をつけてるのはなんだか落ち着かないし」
チェリは真面目な顔で言った。
「本物のアリエさんは、たぶん何も悪いことはしていない。あなたがその名前を借りたのはあなたの都合でしょう。だから、本名を教えて」
偽アリエは、しばらく黙っていた。
それから、口元にゆっくりと笑みが広がった。穏やかで、奇妙に明るい笑みだった。
「本物、ねえ……」
義手の指が一度、軽く曲がって伸びた。
「私の本名もアリエですから、そのままアリエと呼んでいただいて一向に構いませんよ」
部屋の灯りが、その瞬間、揺れたように見えた。
チェリは、二度瞬きをした。
「……本当に?」
「本当ですとも」
偽アリエは――いや、アリエは、にっこりと笑った。
「もちろん、家名は別ですし、生まれた家とももう関係ありませんが、親から与えられた名前は、アリエです」
「じゃあ、本物のアリエさんと、たまたま同じ名前だったってこと?」
「同じ名前の人間など、世の中に何人もおりますから」
穏やかに、何でもないことのように言う。
チェリは口を半分開いたまま、相手の顔をしばらく見つめていた。タウラの視線が背中に当たっているのが分かった。きっとタウラも、同じくらい呆れているのだろう。
「……分かった。アリエ、と呼ぶわ」
「ありがとうございます」
アリエは胸に右手を当て、軽く一礼した。義手の左腕は、卓の上で静かに置かれたままだった。
チェリは茶碗を持ち上げて、すっかり冷めた茶を一口飲んだ。
苦い味がした。
「……宿の襲撃犯のことですが、お気づきですか?」
アリエが静かに話を切り出した。




