43 馬車の中 不安と慰め
買い物から馬車に戻る前にチェリは、タウラに小声で言った。
「さっきの手紙のこと、誰にも言わないで」
タウラは一瞬迷ったような顔をしたが、「分かりました」と答えた。
馬車が再び走り出した。チェリは座席に深く座り、窓の外を見ていた。見ているというより、目を向けているだけだった。手紙の内容が頭の中をぐるぐると回っている。
偽アリエはチェリたちの近くにいる。見ている。それも、シルヴァーンの部屋の窓を開けた後に、チェリたち一行を追いかけて、追いついている。
安心してください、と書いてあった。だが、安心などできるはずがない。あの人物が味方なのか敵なのか、チェリにはまだ分からない。教団とは手を切ったと言っていた。でも、それが本当かどうかも分からない。
チェリは鞄の中の封筒にそっと触れて、手を離した。
タウラも様子がおかしかった。いつもなら姿勢よく座って周囲に目を配っているのだが、今日はどこか落ち着きがない。視線が泳ぎ、時折チェリの方をちらりと見ては目を逸らしている。
チェリには口止めされたが、タウラの雇い主はハリュークである。チェリの身に何か不穏なことが起きたのなら、報告しないわけにはいかない。買い物から戻る道すがら、タウラはこっそりと護衛の騎士の一人に手紙を託していた。誰かから手紙を渡されたこと、その時のチェリの様子を、ハリューク宛にしたためたものだった。
当然の行動だった。だが、チェリを裏切るようで気が咎めた。タウラの様子がおかしいのはこのためである。
馬車の中は、どことなく暗かった。
ガンマはチェリとタウラを交互に見て、眉をひそめていた。買い物に出る前は普通だった二人が、戻ってきたら揃って黙り込んでいる。何があったのかは分からないが、この空気は居心地が悪い。
ディラも同じことを感じていたらしい。チェリの隣に座ったまま、何か声をかけようとしては引っ込めている。
ナハヤだけは、いつも通りだった。本を開いて読んでいる。チェリとタウラの様子には気づいているだろうが、無理に聞き出そうとも、明るく振る舞おうともしなかった。放っておくのが一番だと分かっているのだろう。
しばらく沈黙が続いた後、ガンマが我慢しきれなくなったように口を開いた。
「なあ、中央領の飯ってどんな感じなんだ? やっぱり西領地とは違うのか?」
唐突な話題だった。ディラがすかさず乗った。
「中央は色々な地方の料理が食べられるそうですよ。南領地の果物を使った料理が有名だとか」
「果物の料理? デザートじゃなくて?」
「果物を肉と一緒に煮込むんだそうです。甘味と酸味のある味付けで」
「へえ、美味いのかな」
ガンマとディラが懸命に話を繋いでいた。チェリは相槌を打とうとしたが、うまく声が出なかった。タウラも黙ったままだった。
ナハヤは本から目を上げず、ページをめくった。
その時、座席の隅に置かれた籠の蓋が、もそもそと動いた。
シルヴァーンが蓋を押し上げて、籠から頭を出した。青い眼が、馬車の中を見回す。いつもと違う空気を感じ取ったのか、きゅい、と小さく鳴いた。
するりと籠から抜け出したシルヴァーンは、座席の上をよちよちと歩いてチェリの隣まで来た。そして、チェリの顔に頭をぐりぐりと押しつけ始めた。
「っ……シルヴァーン、くすぐったい」
シルヴァーンは構わず、チェリの頬に額をこすりつけている。ぐり、ぐり、と力を込めて。
「もしかして、撫でてるつもりなんでしょうか」
ディラが不思議そうに言った。
チェリは思わず笑ってしまった。小さな笑いだったが、それまでの重い空気にひびが入った。
「俺も撫でてくれよ!」
ガンマが身を乗り出してシルヴァーンに顔を近づけた。
シルヴァーンはガンマの顔をじっと見た。それから、勢いよく頭突きした。
ごん、と鈍い音がした。
「痛ってー!」
ガンマが額を押さえて仰け反った。ディラが「大丈夫ですか」と慌て、ナハヤが本から顔を上げて「何やってるの」と呆れた声を出した。タウラも思わず目を丸くしている。
シルヴァーンは何事もなかったかのようにチェリの隣に戻り、またチェリの顔にぐりぐりと頭を押しつけた。
「……ガンマには厳しいね、相変わらず」
チェリがそう言うと、ガンマは額をさすりながら「ひでえよ」とぼやいた。
馬車の中に、ようやく笑い声が戻った。
明日は中央領に入る。その翌日には、大学のある中央領の首都に着く。旅の終わりはもう近かった。
チェリは隣でぐりぐりと頭を押しつけてくるシルヴァーンの背中を、そっと撫でた。冷たかった指先が、少しだけ温かくなった気がした。




