40 旅立ち 馬車での移動
朝靄の中、二台の馬車が城の正門前に並んでいた。
見送りに出た親族たちが口々に声をかける中、チェリ、ナハヤ、ガンマの三人が馬車に乗り込んだ。ディラとタウラも続く。護衛の騎士が数名、もう一台の馬車と馬に分かれて配置についていた。
おばあさまたちが手を振っている。サリアが「お土産よろしくねー!」と叫び、エルナダが「体に気をつけて」と声をかけ、ミルザが何か言いかけてやめた。リッテは黙って頷いた。ネイディーアが静かに手を上げた。
ハリュークは正門の奥に立っていた。何も言わなかったが、その目は三人をじっと見ていた。
馬車が動き出した。城門をくぐり、街道に出る。チェリは窓から身を乗り出して、遠ざかっていく城を見つめていた。
「チェリ様、危ないですよ」
ディラに注意されて体を引っ込めたが、すぐにまた窓に顔を寄せた。
「だって、こんなに遠くまで馬車で行くの、初めてだもん」
城に暮らすようになってから、チェリが遠出をしたことはほとんどなかった。城下の街には何度も出かけたが、街道を何日もかけて旅するのは初めてのことだ。窓の外を流れていく景色のひとつひとつが新鮮だった。
ガンマは馬車の揺れに体を預けて、すでにくつろいでいた。
「チェリ、そんなにはしゃいでると疲れるぞ」
「ガンマは慣れてるからいいけど、私は初めてなんだよ」
「俺たちは城に来る時にはいつも馬車で何日か移動してるからな」
ナハヤも窓の外を眺めていたが、チェリほどの興奮はない。城から離れた街に暮らしていた二人にとって、馬車での長距離移動は珍しいことではなかった。
「中央まで馬車で十日か。長いね」
チェリが言うと、ナハヤが少し考えてから答えた。
「竜なら、もっとずっと速いよ。春の渡りの竜だと、西領地の首都から中央まで一日もあれば行けるらしい」
「一日!?」
「東領地の端までだって、三日もあれば飛べるって聞いたことがある」
「竜って速いんだね……」
チェリは窓の外に広がる街道を見つめた。この道を十日かけて進む距離を、竜は一日で飛んでしまう。途方もない速さだった。
「じゃあ、風魔法で飛べればそれくらいの速さで行けるってこと?」
チェリが聞くと、ナハヤはしばらく考えてから「多分、そう」と答えた。
「風魔法で竜と同じ速さが出せるかどうかは分からないけど、理屈の上では近い速さで移動できるんじゃないかな」
「十日が一日になるなら、すごいよね」
「まあ、その前に竜に食われるけどな」
ガンマがあっさり言った。チェリとナハヤは顔を見合わせて、それもそうだ、と笑った。
「じゃあ、風魔法を地面スレスレて発動させて、こう……」
チェリが両手を使って横向きに風魔法を噴射するようなポーズを取った。
「危ないと思う。絶対何かにぶつかる。道だと馬車がいるし、平原でも木とか岩とかあるし」
「専用の道を整備しないと無理かあ……しかもまっすぐなやつ」
「鉱山なんかは、線路を引いて風魔法で荷車を動かしてるらしいけど」
「線路!じゃあ地下にトンネルを掘って……」
「いや、掘るのにどれだけかかるんだよ!馬車で何日もかかる距離!」
子供たち三人はそんな他愛もない話をしていたが、タウラは馬車の中でも姿勢を崩さず、扉側の席に座って周囲に目を配っている。ディラはチェリの隣で、旅の行程表に目を通していた。
馬車は街道をゆっくりと進んでいく。冬の陽が低く差し込み、枯れた木々の間を白い光が走っていた。
* * *
夕方近くになって、馬車は初日の宿を取った街に到着した。
西領地の首都から馬車で朝から夕方まで走った距離にある街だった。街道沿いに宿屋や商店が並び、旅人の姿が多い。小さいが活気のある街だった。
宿に着くと、主人が飛び出してきた。
「ハリューク様のお孫様方ですね! お待ちしておりました!」
主人は深々と頭を下げ、一行を奥の一番良い部屋に案内した。部屋には豪華な調度品で溢れ、たくさんの花が飾られ、暖炉には火が入り、テーブルには果物と菓子が用意されていた。
「ハリューク様には大変お世話になっております。街道を整備していただいたおかげで、この街は見違えるほど賑わうようになりまして」
主人は嬉しそうに語った。かつてこの街は馬車の行程として中途半端な位置にあり、旅人が素通りすることが多かったらしい。ハリュークの街道整備によって道が良くなり、ちょうど首都から一日目、もしくは首都まで一日前の休憩地点として多くの旅人が立ち寄るようになった。宿も商店も潤い、街全体が活気づいたのだという。
「どうぞごゆっくりお過ごしください。何でもお申しつけくださいませ」
主人が去った後、チェリは部屋の椅子に座ってため息をついた。
「……もしかして、寄る街寄る街でこうなるのかな」
「こうって?」
ガンマが聞くと、チェリは少し遠い目をした。
「……お祖父様の威光を、ずっと浴び続けるんじゃないかなって」
ナハヤが「そうかもね」と呟いて、チェリと同じ顔をした。ガンマだけが「飯が美味けりゃいいだろ」と果物に手を伸ばしていた。
その頃、城ではシルヴァーンの姿が消えていた。




