39 晩餐会 それぞれの夜
冬が来ていた。
模擬試験を何度も繰り返し、季節は秋から冬へと移り変わった。明日の朝、チェリたちは入学試験のために中央へ向けて旅立つ。その前夜、ハリュークは晩餐会を催した。
城の大広間に長いテーブルが据えられ、料理が並べられていった。ガンマの両親であるアキュークとアルノ、ナハヤの両親であるフィルユークとリアーナ、そしてナハヤの弟ジェイワ、ガンマの兄ザイネルと弟ランダ。普段は城から離れて暮らしている親族たちが、この日のために集まっていた。
チェリの両親ナテュークとリェンタも、もちろん席についている。おばあさまたち五人も勢揃いだった。
残念ながらハリュナルとナツァークは試験があり、参加はできなかった。
大広間がこれほど賑わうのは久しぶりだった。
ハリュークが立ち上がり、杯を掲げた。
「明日、チェリ、ナハヤ、ガンマの三人が中央の大学の入学試験に向かう。この場を借りて、三人を指導してくれた家庭教師を紹介したい」
ハリュークの視線がサジットに向けられた。
「サジット・フィンラー先生。大学を首席で卒業し、受験指導に関しては右に出る者がいない。三人の成績は先生のおかげで十分な水準に達している。この場にいる皆にも、先生の功績を知ってもらいたい」
サジットは席から立ち上がったが、顔が真っ赤だった。ハリュークの絶賛に、明らかに緊張で縮こまっている。
「あ、ありがとうございます……その、私の功績など、お孫様がたの、皆さんの、努力があってのもので……」
声が上ずっていた。チェリたちは顔を見合わせて苦笑した。授業中のあの堂々とした姿はどこへやら、といった有り様だった。
「先生、顔赤いですよ」
ガンマが小声で言うと、サジットは「分かっています」と消え入りそうな声で答えた。
親族たちからは拍手が送られた。サジットはぎこちなく頭を下げて、逃げるように席に座り直した。
晩餐はそれから和やかに進んだ。杯が交わされ、笑い声が上がり、大広間はしばらくの間賑やかな空気に包まれていた。
* * *
晩餐会の後、チェリは自室でディラと荷造りをしていた。
「チェリ様、着替えはこちらに入れておきますね。中央は西領地ほど寒くないそうですが、念のため防寒具も持っていきましょう」
ディラがてきぱきと荷物を詰めていく。その動きにはいつも以上に気合が入っていた。
「ディラ、張り切ってるね」
「当然です! チェリ様の大事な試験ですもの。私も一緒に行きますので、安心してくださいね!」
扉の脇に立っていたタウラも声を上げた。
「私もいますので!」
大きな声が部屋に響いた。チェリは苦笑した。この二人がいれば、心強いのは間違いない。
「ディラ、弟さんに会えるんだよね?」
「はい! 久しぶりに……」
ディラの顔がほころんだ。ディラの弟は中央の大学にハリュークの創設した奨学金で通っている。試験の後で会う時間をもらえることになっていた。
「私も兄様たちに会えるかな。大学にいるんだし」
ハリュナルとナツァークは中央の大学の寮に住んでいる。チェリが中央に行くと知れば、ハリュナルは間違いなく飛んでくるだろう。ナツァークはその手綱を握る役目になるに違いない。
荷造りがひと段落したところで、チェリは部屋の隅の籠に目を向けた。洗濯籠の中で、シルヴァーンが丸くなっている。
「シルヴァーン、良い子で留守番しててね」
チェリがそっと声をかけると、シルヴァーンは籠から顔を出してチェリを見た。が、その目にはいまいち理解の色がなかった。留守番という概念が分かっていないのか、自分が置いていかれることをまだ知らないのか。きゅい、と小さく鳴いて、すぐに頭を引っ込めた。
チェリは少しだけ胸が痛んだが、ここで感傷的になっても仕方がない。
* * *
ナハヤは一人で荷造りをしていた。
両親は晩餐会が終わった後もハリュークのもとに残っている。ご機嫌伺いを欠かさないのは、いつものことだった。
鞄に教材と着替えを詰めていると、部屋の扉が静かに開いた。
「兄様」
弟のジェイワだった。ナハヤよりひとつ下で、両親と共に城から離れた街で暮らしている。今日は晩餐会のために来ていたが、宴の間はほとんど目立たない場所に座っていた。
「一人で来たのか。父様と母様は」
「まだお祖父様のところ。僕は先に戻っていいって言われた」
ジェイワは部屋に入ってきて、ナハヤの荷物を眺めた。何か手伝おうとするでもなく、ただじっと見ている。
「兄様、大学受けるんだね」
「ああ」
「すごいね」
その声は素直な感嘆だったが、どこか自分とは関係のないことのように聞こえた。ナハヤは手を止めて弟を見た。
「ジェイワ。お前も頑張れよ」
「僕?」
「大学に来てもいいんだぞ。お前だって」
ジェイワは少し驚いた顔をした。それから目を伏せて、小さく首を振った。
「僕は兄様ほどできないよ。兄様に頑張ってほしい」
「……なんでだ」
「そのほうが母様が喜ぶから」
ナハヤの手が止まった。
母リアーナの期待はすべてナハヤに向けられている。チェリと仲が良く、ハリュークの目にも留まる位置にいるナハヤに。弟のジェイワには、その期待の余波すら届いていないのだろう。ジェイワはそのことを、とっくに分かっていた。
ナハヤは何も言わず、弟を抱きしめた。
ジェイワは一瞬体を硬くしたが、すぐに力を抜いた。兄の腕の中で、小さく息をついた。
「……頑張ってね、兄様」
「ああ」
ナハヤはそれ以上何も言えなかった。言いたいことはたくさんあったが、今ここで言葉にしても、弟の重荷を軽くすることはできない。
できることは、試験に受かることだ。そしていつか、弟にも道を示せるようになること。ナハヤは弟の頭にそっと手を置いて、離した。
* * *
ガンマの部屋は騒がしかった。
兄のザイネルと弟のランダが、ガンマのベッドの上で跳ね回っている。
「ガンマすげー! 大学受けるなんてな!」
「兄様すげー!」
「お前ら、うるさいって!」
ガンマは怒鳴りながらも、まんざらでもない顔をしていた。荷造りをしようとしているのだが、二人が邪魔でまったく進まない。
「竜を触ったって本当?」
ランダが目を輝かせて聞いた。
「触ったっていうか、噛まれた」
「噛まれたの!? すげー!」
「痛かったんだぞ……」
部屋の入口から、父のアキュークと母のアルノが笑いながら様子を見ていた。
「ガンマ、頑張ってこいよ」
アキュークが言った。武官らしい簡潔な言葉だったが、その目は温かかった。
「それにしても、そんなに竜に興味があったとは知らなかったな」
「いや、竜っていうか……」
ガンマは少し言い淀んでから、まっすぐに父を見た。
「騎士団の幹部候補向けの学科があるんだ。できるならそっちも受講してみたいと思って」
アキュークが目を見開いた。アルノも驚いた顔をしている。
「……武官指揮科か」
「うん。父さんと同じ武官になるなら、ちゃんと勉強した方がいいだろ。剣だけじゃなくて」
ガンマがそう言うと、アキュークはしばらく黙っていた。それから、ふっと笑った。
「お前がそんなことを考えていたとはな。……頑張れよ」
「うん」
アルノが目を潤ませて「立派になって」と言いかけたが、ザイネルとランダが「ガンマ頑張れー!」「ガンマ兄頑張れー!」と叫んだので、感動的な雰囲気は一瞬で吹き飛んだ。
ガンマは弟に枕を投げつけながら、笑っていた。




