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38 護衛の騎士 模擬試験

 朝、チェリたちが教室に入ると、見慣れない人物が扉の脇に立っていた。


 二十代前半ほどの女性だった。城の騎士の制服を身につけ、背筋をぴんと伸ばしている。赤い髪をひとつに束ね、まっすぐな目でチェリたちを見た。


 「おはようございます。本日よりチェリーチェ様の護衛を務めることになりました、タウラと申します」


 はきはきとした声だった。緊張しているのか、声量がやや大きい。


 チェリは少し面食らった。護衛がつくという話は父のナテュークから聞いていた。偽アリエの事件以来、ハリュークがチェリの側に常駐する護衛の選定を進めていたのだ。常に側にいることを考えて女性が選ばれたということも聞いている。だが、こうして実際に目の前に立たれると、どう接していいのか分からなかった。


 「……よろしくお願いします」


 チェリがそう返すと、タウラの表情がぱっと明るくなった。


 「はい! 全力でお守りいたします!」


 「あ、名前を呼ぶ時はチェリでいいよ」


 「はい、チェリ様!」


 声が教室に響き渡った。ガンマが「元気だな」と小声で呟き、ナハヤが苦笑した。


 「リッテ様のお孫様であるチェリ様の護衛騎士に選ばれて、光栄の極みです!」


 「リッテおばあさま……」


 チェリの実の祖母であるリッテは、平民の剣士から功を上げて騎士にまで出世した女性だった。平民の、しかも女性が騎士として認められる道を切り拓いた人物として、今も多くの平民や女性から敬意を集めている。女性騎士であれば、憧れない者はいないだろう。


 チェリからすると、おばあさまたちは自分をめちゃくちゃに甘やかしてくるおばあちゃんでしかない。だが、五人はそれぞれ英雄ハリュークの妻の名に恥じない功績を打ち立てた偉大な女性たちである。


 (あ、初対面でお祖父様のことに触れられなかったのは初めてかも)


 ハリュークの孫ではなくリッテの孫として見てもらえたことが新鮮で、チェリはタウラを少し好ましく思った。


「……その籠、私が運びましょうか?」


 シルヴァーンの入った籠は、チェリとガンマが二人がかりで運んでいた。脱皮を経てひと回り大きくなったシルヴァーンは、もうチェリ一人では持ち上げられない重さになっている。洗濯籠に入れ替えてからは、なおさらだった。


 タウラはそれを見かねて声をかけたのだろう。チェリとガンマが籠を下ろすと、タウラが覗き込んだ。

 その気配を感じたのか、シルヴァーンが籠から頭を出してきた。


「おお、これが噂のシルヴァーン様!」


 シルヴァーンはタウラの顔をじっと見つめた。青い眼が、値踏みするように新しい人間の顔を映している。


 まさか暴れたりはしないかと、チェリたち三人に緊張が走った。シルヴァーンは初対面の相手には警戒心を見せることが多い。ガンマなどは最初何度も噛まれていた。

 だが、シルヴァーンは特に何もすることなく、おとなしく頭を引っ込めた。三人の肩から力が抜けた。


「では、教室の後ろまでお運びしますね」


 タウラは籠を軽々と持ち上げて、教室の後ろに運んでいった。さすがは騎士というべきか、あの重さの籠を片手で持っても姿勢が崩れない。


「何もなくて良かった……」

 チェリたちは胸をなで下ろした。


「明日からは授業の前にチェリ様の部屋までお迎えに行きますね。シルヴァーン様の籠は私が教室までお運びします」


「はい。でも、シルヴァーンをシルヴァーン様、と呼ぶのはやめてほしい」


 チェリの脳裏に同じ呼び方をする人物が頭をよぎった。穏やかな笑顔と、異常なほどの熱を帯びた目が嫌でも思い出されてしまう。


 「分かりました!」

 タウラの大きな声が教室に響いた。


 サジットが教室に入ってきた。タウラの存在は事前に通達されていたようで、驚いた様子はなかった。軽く会釈を交わしてから、サジットはいつもの位置に立った。


 「タウラさんは授業中、扉の近くに立っていただくことになっています。皆さんはいつも通りで構いません」


 タウラは扉の脇に戻り、姿勢を正した。じっと前を見ている。真面目なのは伝わるが、その視線がどうしても気になった。


 「今日は入学試験の模擬試験を行います」


 サジットが答案用紙の束を手に取った。その顔に、いつもとは少し違う表情が浮かんでいる。誇らしげ、というのが一番近い。


 「中央の大学の過去の入試問題を集めて、出題の傾向を分析しました。今回の模擬試験は、その分析を元に私が作成したものです」


 サジットは答案を配りながら続けた。


 「実は以前、受け持った生徒の入試対策で同じように傾向を分析したことがあるんですが、その時は出題をいくつか的中させまして」


 「すごいですね、先生」


 ナハヤが素直に感心した声を出すと、サジットは照れくさそうに、しかし隠しきれない嬉しさで「まあ、偶然かもしれませんが」と答えた。誇らしげな顔だった。


 「今回も当たるかもしれませんよ。ですから、本番だと思って取り組んでください」


 答案が三人の手元に配られた。チェリはざっと問題に目を通した。サジットの試験はいつも構成が丁寧だった。各教科で押さえるべきことをきちんと押さえ、網羅的で隙がない。基礎から応用までバランスよく配置された出題は、受ける側の力を正確に測ろうという意図が伝わってくる。今回も同じ作りだったが、後半の問題はこれまでより一段踏み込んだ内容になっていた。


 「では、始めてください」


 三人が一斉に鉛筆を走らせ始めた。


 教室に静寂が降りた。鉛筆が紙の上を滑る音だけが響く。その中で、扉の脇に立つタウラの視線がどうしても意識の端に引っかかった。悪意のある視線ではない。むしろ、守ろうという意志がまっすぐすぎて、かえって落ち着かないのだ。


 チェリはひとつ深呼吸をして、意識を答案に戻した。試験中に何が起こるか分からない環境でも力を出し切る。サジットが試験返却の時に言っていたことだ。


 ガンマもナハヤも、同じことを感じているのかもしれない。それでも三人とも、鉛筆を止めることはなかった。


 模擬試験が終わる頃には、タウラの存在にもいくらか慣れていた。ガンマが「終わったー」と伸びをして、ナハヤが答案を見直している。チェリもペンを置いて、息をついた。


 「お疲れ様でした。では回収し——」


 サジットが答案を集めようとした、その時だった。


 教室の扉が勢いよく開いた。


 「お疲れ様!」


 おばあさまたちだった。五人が揃って教室に入ってくる。サリアが菓子の箱を抱え、エルナダがお茶道具一式を持たせた使用人を引き連れている。いつもの乱入だった。

 タウラは突然扉が開いたので、剣の柄に手をかけて身構えたが、おばあさまたちと分かると力を抜いた。


 「模擬試験だったんでしょう? 差し入れを持ってきたわよ」


 サリアがにこにこしながらテーブルに菓子を並べ始めた。ネイディーアは静かに後ろに立ち、ミルザはチェリの答案を横から覗き込もうとしている。


 「ちょっと、ミルザおばあさま、見ないで」


 「いいじゃないか、ちょっとくらい」


 「先生ー!」


 チェリに呼ばれたサジットが苦笑しながら答案を回収していった。


 そして、リッテが最後に教室に入ってきた。


 その瞬間、扉の脇に立っていたタウラの体が硬直した。


 リッテがタウラに気づいて、ちらりと目を向けた。


 「ああ、タウラと言ったか。しっかりやりなさい」


 短い言葉だった。リッテらしい、飾りのない一言だった。


 タウラの膝が崩れた。


 がくん、と。音が聞こえそうなほどあからさまに、その場に膝をついた。


 「リッテ様……! 私の名前を……覚え……!」


 声が震えていた。さっきまでのはきはきとした口調はどこへやら、顔は真っ赤で、目が潤んでいる。両手で口を押さえていた。


 タウラがこの護衛任務に強い意欲を見せていたのは、ハリュークに選ばれたからではなかった。リッテの孫であるチェリを守るという使命に対してだった。


 チェリは目を丸くした。ガンマも口を開けている。ナハヤだけが「ああ、なるほど」という顔をしていた。


 リッテは少し困ったような顔をして、タウラに手を差し伸べた。


 「そんなに畏まらなくていい。立ちなさい」


 「は、はい……! そんな、お手まで……」


 タウラはリッテに手を引かれて立ち上がったが、まだ膝が笑っていた。


 おばあさまたちの間から笑い声が漏れた。ネイディーアは「昔を思い出すわ」と笑い、サリアが「あらあら、リッテったら人気者ねえ」とからかい、エルナダが「若い子に慕われるのはいいことですよ」と微笑んでいる。ミルザだけはサジットにチェリの答案を見せるようにしつこくねだっていた。


 こういう人もいるんだなあ、とチェリは思った。少し引いてしまう気持ちがないと言えば嘘になる。だが、あれが素であることは間違いない。取り繕って出てくるものではなかった。

 悪い人ではなさそうだ。少なくとも、この人が側にいて嫌な気持ちにはならないだろう。偽アリエの一件以来、どこかで張り詰めていたものが、ほんの少しだけ緩んだ気がした。

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